2017年3月26日日曜日

羽村美和子「風葬の風のはじまり根白草」(「豈」第135回東京句会)



 本日は、現代俳句協会の総会と重複したこともあるが、いつもより少人数の句会となった。それだけ微に入った批評ができた感じがした。従って少し早めに句会が終了したお蔭で、愚生は夕刻から行われた現代俳句協会懇親会には十分間に合った。久しぶりに皆さんにあうことが出来て、この歳になるとひたすら健康げあることと次の会、と言っても、今年は創立70周年の11月23日(木曜祝日)の帝国ホテルでの参集になるのかもしれない。
ともあれ、以下に本日の句会の一人一句を挙げておこう。

  いたちぐさチェロを少々悪戯す      杉本青三郎
  転ばぬはこよなき自愛花は春       福田葉子
  ヒヤシンスす・さす・しむとは使役    羽村美和子
  もう一度抽斗探す鳥曇          小湊こぎく
  花一重八重九重のうれひかな       早瀬恵子
  梅残る日向ぽこぽこ歩みけり       佐藤榮市
  水を出て翳なきことも鳥ぐもり      大井恒行




                         現俳総会の行われた東天紅よりスカイツリーを望む↑




2017年3月22日水曜日

鍵和田秞子「スイートピー戦火くぐりし妣(はは)の花」(「未来図」3月号)・・



「未来図」3月号の特集は未来図32周年記念大会。記念吟行や写真がふんだんにあって記念号らしく明るい。通常号の連載ものに、「豈」同人でもある飯田冬眞「現代俳句逍遥」、そして角谷昌子「時代を担った俳人たち㉗ー平成に逝った星々」の興味ある記事がある。その角谷昌子の星々の一つの古沢太穂論が、今号の連載三度目でひとくぎり、次号からはまた別の星を訪ねるのだろう。古沢太穂というと、いわゆる社会性の濃いリアリズムの作品、闘争の過程で多くの佳句、秀句を残した俳人として記憶されているが、角谷昌子の論はそれらに加えてロシア文学による影響を読み解いてみせる。
折しも、古沢太穂生誕100年を記念した大冊の『古沢太穂全集』(新俳句人連盟)と一昨年、戦後70年を期すように『古沢太穂全集補遺ー戦後俳句の社会史』(新俳句人連盟刊)も刊行され、古沢太穂の全貌を知るには格好のテキストが揃ったところだった。その成果を糧に、角谷昌子は以下のように述べている。
  
 五木寛之はドストエフスキーとゴーリキイを対比させ、前者は「ゆるす」人であり、後者は「責める」人だと言う。(中略)それこそがロシア文学が日本人を惹きつける秘密だとも述べる。
 そうすると太穂は、「ゆるし」と「責め」の人であり、「恐ろしさ」と「優しさ」という両極が備わっていた俳人だと思えてくる。

そして角谷昌子が挙げた句の中から以下にいくつかを挙げておこう。

   かかる八月熱いもの食べ空を鞭      『火雲』
   蜂飼のアカシアいま花日本海    『撒かるる鷗』
   怒濤まで四五枚の田が冬の旅      
   霜の土昭和無辜(むこ)の死詰めて逝く 『うしろ手』  
   

ところで、愚生は一度だけ古沢太穂に会ったことがある。それは「俳句空間」8号(1989年)で「さらば昭和俳句」の特集を組んだとき、谷山花猿に「古沢太穂に聞くープロレタリア俳句」についてのインタビュアーをお願いした時だ。確か「道標」の事務所で愚生が立ち合い、その後、近くの呑み屋に一緒に連れて行ってもらったのだ(諸角せつ子も一緒だったように思う)。谷山花猿は現代俳句協会の事務所にもよく顔を出されていて、愚生もよくお会いし、多賀芳子宅での句会でも一緒になったことがある。その谷山花猿が体調を突如崩したと聞いてから幾年もたつ、以来消息不明のままだ。




                                         ワスレナグサ↑

2017年3月21日火曜日

望月至高「父を焼き父を畏れて雲に鳥」(『俳句のアジール』)・・


昨日は、望月至高句集『俳句のアジール』(現代企画室)の出版を祝う会が、三宮・スペイン料理店カルメンで行われた。カルメン二代目オーナーである大橋愛由等(あゆひと)は詩人であり、俳人でもあり、様々な詩祭や企画もやり、まろうど社という出版社もやるマルチな人だ(写真下は月刊同人詩誌「M’elange」120号)。「豈」「吟遊」の同人でもある。



 愚生も実に久しぶりで外の空気にふれるべく日帰り旅で神戸まで出かけたのだ。
会そのものは内輪の会ということで、俳人はごく少数で、本人の望月至高を入れても4人。したがって,そのほかの方々には、初めてお会いする方ばかりだった。
 とはいえ、会は俳人ではない出席者にも(事前に強制なしとされながら)、各人が句集から5句ほど選び送り、それがプリントされていた。選句は重なる句が少なく(けっこう珍しいことだ)、各人の人生上の言語体験を反映して、逆に望月至高の句の幅の広さを示すことになり、各人が選んだ理由もそれぞれで興味深いものだった。
 愚生の選んだ5句は、愚生の好みに偏しすぎたものだったので、以下には、他の人の選句のなかからいくつかを挙げておこう。

   いつからのフランスパンの梅雨湿気    至高
   三寒の墓碑と四温の父母の恩
   薔薇をもて死美と散華の抒情打つ
   サクマドロップもて黄泉へ銀河をローアンドロー
   ふるさとの死者をふやせり吾亦紅
   国家より花の吹雪くを愛でており
   汚染土をはがして大地の油照
   梟の飛び立つ闇を愛(かな)しめり
   春嵐流民貧民避難民
   パンドラの匣の底より”Let it Be”

望月至高(もちづき・しこう)1948年、静岡県生まれ。鈴木六林男最晩年の弟子である。『俳句のアジール』は『辺縁』に続く著者第二句集。現在「六曜」同人。



2017年3月19日日曜日

高澤晶子「母記す平成十年梅漬ける」(「花林花」2017)・・



「花林花」2017(花林花俳句会・代表 高澤晶子)、鈴木六林男の弟子だった高澤晶子を中心とする年刊俳句誌。「編集後記」によると月刊「花林花百十九号」から「花林花」百三十号までを一冊に集成したものだという。旧「花曜」のメンバーと推測する。同人名簿によると13名、他に物故会員6名の名も記されてあった。月例句会の他に現代俳人研究で加藤郁乎、「花林花の作家 その五 榎並潤子自選百句2008~2015年」、くわえて鈴木六林男「オイデプスの眼玉がここに煮こぼれる」の一句についてなど、当該年度の会の活動が伺える。
ともあれ、一人一句を以下に、

  聞こえるは父のしわぶき母の歌    高澤晶子
  白守宮ジュラ紀の匂うこともあり   廣澤一枝
  走梅雨またあらわれる既視の街    石田恭介
  その笑みは僕を溶かして春の水    北山 星
  朝顔の門扉に迫る泥の川       榎並潤子
  大病院裏の静謐水仙花        金井銀井
  古里をかく恋ふと啼く閑古鳥    木津川珠枝
  「次、終点金木犀が薫ります」    狩野敏也
  春愁にゐて王国の真昼かな      原詩夏至
  幽霊にしては日傘をさしてをる    鈴木光影
  螢狩亡き兄も居る柳瀬川       島袋時子
  秋雨に飽きて「たなばた」くちづさむ 福田淑女
  風走り崖(はけ)にキツネノカミソリ来(く) 宮﨑 裕


                                              

*閑話休題

都心に出る用事があり、この機会を逃してはチャンスが無いと思い、「桜 モノクロームで愛でる」展(リコーイメージングスクエア銀座 ギャラリーA.W.P 三愛ドリームセンター ~3月26日(日)まで。500円)を観た。愚生の友人の志鎌猛をふくむ4名(他は榎本敏雄、織作峰子、テラウチマサト)のプラチナプリントでの写真展だ。志鎌猛の便りには、日本では4年ぶりの展覧会で、この「展覧会には、私が生まれ育った武蔵野吉祥寺の井の頭公園と、目下の仕事場からほど近い山梨県身延山で出合った桜の、プラチナプリント6点を出展いたします」とあった。
いつも思うのだが、静謐ななかにも生命の蠢きが感じられる作品ばかりだ。



2017年3月18日土曜日

高野ムツオ「煩悩具足五欲も完備雪の底」(「駱駝の瘤」通信13より)・・



「『駱駝の瘤』通信13、2017年春 3.11 6周年号」(ゆきのした文庫)。同人誌には珍しい大型A4判の雑誌である。その冒頭「《扉の言葉》 フクシマ核災事件」で福島市在住の磐瀬清雄は、

 〈3.11〉から八ヶ月が過ぎた二〇一一年一一月一三日、水俣・白河展の講演会のことである。(中略)
 緒方氏は語った「この原発事故は『事故』でいいんでしょうか?・・・そんなら水俣病は事故か?事件か? 事故と言えば、そこに不可抗力の響きがある。責任が問われなくなる。しかし、水俣病とは、間違いなく工場廃液の垂れ流し不法投棄事件です。海の異変と病気はその結果です・・・」。(中略)
 私は東電と国家の責任を追及する際には、福島原発事故を「フクシマ核災事件」と呼ぶことにする。事件は六年目に入る。避難指示は次々と解除され、何かあるたびに復興復旧が様ざまに演出されるが、事件は深く広く進行中である。

と記している。この磐瀬清雄は別稿でも評論「服部躬治について」を書いている。躬治(もとはる)は明治の歌人にして国文学者。不明にして愚生は初めて知った。
じつは、愚生が紹介したかったのは(俳人つながりで)、同誌掲載の五十嵐進「評論 農を続けながら2017冬」である。それは、江里昭彦が「夢座」174号に書いた「俳人の『生きるじたばた』二〇一六年版」の高野ムツオ『片翅』評に関して、江里昭彦の述べた部分に彼が批評を加えたものである。誤解なきよう全文引用したいところだが、愚生のブログはひと息しか続かない(長くは書けない)。以下に結論のみを抄録する(興味がある向きは誌の購読を申し込まれよ)。

 江里は上の十三句について「蛇足を承知で」二句について評釈している。一句は「蛙声もて楚歌となすべし原子炉よ」。「過疎地」で「抗議の人波で包囲することが望めない」「せめて蛙よ、おまえらの騒がしい声で原子炉を包囲しておくれ」「批判精神と諧謔を俳句形式のうちにうまく畳みこんだ秀作である」とは絶賛であるが、「原子炉よ」の「よ」は呼びかけではないか。原子炉は項羽であり、蛙の声を楚歌とみて、もう味方も敵にまわり、自分は孤立無援の状況なのだ、悟れ、というのがことばに即した読みなのではないか。(中略)「包囲しておくれ」ではないのだ。「批判精神」は読みとれるが、作者はどこにいるのか。静観して句をなす作者がいる。「東北の現状に対峙」とはこういうことか。はたして俳句とはこういうものなのか。もう一句は「煩悩具足五欲も完備雪の底」。「思わず唸った」「煩悩といい五欲といい、腥く、浅ましく、身勝手で、執拗なものだ。でも高野はおおらかに肯定する」「再生のエネルギーとみなす」「かかる肺活量の大きな詩人」と、これも絶賛する。「東北の現状」を核発電所爆発、終わりなき放射能汚染にみれば、これをもたらしたのは「煩悩具足五欲を完備」した人々であり、その価値観なのだ。視野を広げれば、ここに帰結する戦後社会を推し進めたのがこれだ、といえよう。ここでこれを「おおらかに肯定」する姿勢は、必ずや二度三度同じ轍を踏むであろう。原発再稼働はもちろん人を人とも思わない労働社会、沖縄の現状、軍事問題、核武装・・・、根は同じであろう。「現実への感度」が依然として問われている。「大御所様」。

と指弾している(「」内の言葉は江里昭彦の文中のもの)。


            撮影・葛城綾呂 シロバナタンポポ↑

2017年3月17日金曜日

五島瑛巳「母呼ぶ声か父呼ぶ羽根か朝涼に」(『車座同人句集』)・・

                                                          表紙絵・五島瑛巳↑

『車座同人句集』(静岡俳句研究会2017・主宰 五島瑛巳)、目次をみると冒頭に「山頭火の詩」の英訳作品が五島はるか・五島瑛巳共訳で掲載され、五島瑛巳「Only Oneを生きて連衆」、五島はるか「英訳俳句『芭蕉・Ai ison Wooipert」、五島瑛巳「百句」、五島はるか「風光 七十句」、そして各同人三十句の掲載と続く。が、何と言っても五島瑛巳の主要と思われる評論・エッセイも収録されており、また、瑛巳・はるかの略年譜までそろっているので、五島瑛巳の俳句における主要な歩みは一望できる冊子である。
巻尾近くのエッセイ、五島はるか「グローバル俳句への挑戦」には、訳出する際の考え方が以下のように記されていた。

 四ッ谷龍氏はある俳誌でこのようにお書きなられていた。
「西洋人に理解されなくても仕方がないからコンパクトに訳すのかそれとも伝達する事を第一に考えて言葉を補いつつ訳すのか・・・」
私は疑う余地もなく、伝達する事を第一に考えて努力しなければならないと強く思っている。西洋人には理解できないのではなく我々日本人がこの戦後七十年の間に己の国の文明文化を尊ばず、見捨ててきた。我々自身がよく説明できないのである。(中略)
 私はこれから自身の血肉となった世界観を皆様によって活かさせて頂き、グローバル俳句の言葉の壁、見えない人種差別の壁へと挑んでゆきたいと思っている。

五島はるか、1977年静岡県生まれ。ともあれ、各一人一句を以下に挙げておこう。

  死化粧の母美しき月光下      五島瑛巳
  春燈を孤島に吊るす母の魂(たま) 五島はるか
  亡き夫とふらここ漕ぐや花の昼  小谷野三千世
  鋼鉄の残響海馬をすりぬける    池谷洋美
  我が裡にファシズムの蟲霾(むしつちふ)れり  山本幸風
  夕焼けが父に戦火を言はしむる   服部椿山
  雪降らぬ町に生まれて雪の歌   小野田風馬
  林立の鉄砲百合や名の哀(あわ) 村田明王
  松手入れ触れなむとして夕三日月  竹下風魚
  夏入日ブナンバナンに石の熱    井上花風
  香花をいくつ供(く)すれば亡夫(つま)に会ふ  小坂恵如
  亡父(ちち)の瞳(め)に海光こぼるる敗戦忌   荻須稔男
  手を離す姉妹に茅の輪くぐりかな  鈴木徳子
  群衆の口中が見え大花火      渡辺幸枝
  白富士に喪の闇もあり歌もあり   小坂由起乃
  

   
  
  


2017年3月12日日曜日

増田まさみ「天涯をはみだす橇と人馬かな」(『遊絲』)・・



増田まさみ句集『遊絲』(霧工房)は、著者第三句集、「あとがき」に「収録した作品二五〇句は、すべて詩歌文藝誌『ガニメテ』に掲載(2010~2016)されたものである」という。

帯文に、「《穴》は再生のシノニムである。」とあり、それに添うように各章題はⅠ「水の穴」、Ⅱ「蟬の穴」、Ⅲ「風の穴」とある。

  蟬穴に星流れゐるこひびとよ     まさみ
  蟬穴も火口もさみし歯を磨く
  密葬のあとの眩しき蝉の穴
  見失う蟬穴ひとつ御魂ふたつ
  
再生とは死をはらむものなのか。『遊絲』の集名は、

  かげろうや太古を奔るわが屍

に拠っているのだろうか。
余談だが、かつて増田まさみが「日曜日」という同人誌を出していた頃、攝津幸彦が「豈」と合併して「豈の日曜日」を出さないか、ともちかけたとか(冗談だとおもうが・・)。その後「日曜日」が廃刊して冨岡和秀、亘余世夫などが「豈」同人になってくれたのもそうした縁があったからかも知れない。

追悼句が2句、

    悼・たかぎたかよし
  慟哭の蚯蚓を見たり路傍の死
    悼・流ひさし
  一月の真空をいく羽音あり

たかぎたかよしの詩の「蜻蛉」の一行に、

 ここに落とされた命の慟哭

があり、それを踏まえている。あるいはまた、


  鷗忌や荒海ばかり抱くまくら

「鷗忌」は三好達治の忌日、その詩「鷗」は、「ついに自由は彼らのものだ」に始まり、同じ一行で終る。

ともあれ、久しぶりに読む増田まさみ調の句、愚生好みの句をいくつか挙げておきたい。
  
  人間は戦争がスキほたるが好き
  春霖や遥か人馬を濡らしたか
  虚貝(うつせがい)ごまんの春を死に代わり
  天上も溺るる海にすぎざらむ
  くちびるの水位は寒し天の川

ちなみに発行所の霧工房は自身の工房、最近は句集の装幀者としての増田まさみをよく目撃した。本集の表紙画は、川柳作家の墨作次郎。