2017年1月22日日曜日

江里昭彦「ひとり飯済み英霊の写真あり」(「ジャム・セッション」第10号)・・




「ジャム・セッション」第10号(2016年12月28日発行・非売品)は、江里昭彦の個人誌である。従って、小冊子ながら、誌面は隅から隅まで江里昭彦の姿勢、思考に貫かれている。「あとがき」には、

 ●「現代化学」という老舗の専門誌がある〔版元は東京化学同人〕。今年の11月号に、相棒の手記「当事者が初めて明かすサリン事件の一つの真相」が掲載された。(中略)
 学術語はそれほど出てこないし、理解しやすい文章なので、一読をお薦めしたい。

とあった。また、今号でもっとも興味深く読んだのは江里昭彦「大阪府警機動隊員の『土人』発言について(前)」である。あるいは、また「沖縄新報」を購読することになった経緯を「あとがき」に書いているのだが、その紙面から読み取れる沖縄の現状を分析する視点には多く教えられた。
その結びには以下のように記されてある。
  
 ●基地問題で安倍政権と正面から対決する沖縄が、ゆきづまり、うろたえ、疲弊していると見るのは、とんでもない誤りだ。
 人口増加と、好調な経済と、海外移民とのネットワークに支えられた活気と強気とが、現在の沖縄を特徴づけている。

ともあれ、以下に今号の俳句作品を挙げておこう。

    大虚(おおぞら)のヤマト運輸はずぶ濡れで        後藤貴子
    大西日 千二百秒母と会い                  中川智正
    神無月 腐乱はげしき神もいて                江里昭彦



2017年1月21日土曜日

田島健一「無限に無垢につづく足し算秋澄む日」(『ただならぬぽ』)・・



田島健一第一句集『ただならぬぽ』(ふらんす堂)。集名は以下の句に因んでいよう。

  ただならぬ海月ぽ光追い抜くぽ       健一

序は石寒太、加藤楸邨の系譜に連なる新派とみて、明瞭に、次のように記されている。

  無意味之真実感合探求
  新感覚非日常派真骨頂
                       石 寒太

現在、句、批評ともに期待されている気鋭の人である。批評意識の先鋭な分だけ、句はいっそう困難な道行を歩まざるを得ない予感がする。それでも、それを手放したら、序にある「新感覚非日常派真骨頂」が泣くことになる。従ってこの困難な道を引き受けるしかないだろう。そして、それは愚生などの手が届かいないところだが、それを田島健一は、確実に引き受けて進むだろう。
ともあれ、以下にいくつかの句を紹介しておこう。

  音楽噴水いま偶然のこどもたち
  戦争をしたがるド派手なサマーセーターだわ
  いちご憲法いちごの幸せな国民
  死も選べるだがトランプを切る裸
  さくら葉桜ネーデルランドのあかるい汽車
  紙で創る世界海月の王も紙
  噴水の奥見つめ奥だらけになる
  次のバスには次のひとびと十一月
  なにもない雪のみなみへつれてゆく
  何か言うまであるようでない冬日

「あとがき」にいう。

 俳句が俳句であることは難しい。
 それは自分が自分であることの難しさと似ている

田島健一、1973年、東京生まれ。


2017年1月20日金曜日

地畑朝子「武器捨てぬ人間愚か秋の雷」(『まつすぐに』)・・



地畑朝子『まつすぐに』(ウエップ)の集名は、以下の句からもものだろう。

   まっすぐに控え目に生き更衣     朝子

序文の酒井弘司は他にもある二句、

  まっすぐが好き冬欅並木ふりむかず
  まっすぐに今日のわたしへ日傘さす

を挙げている。「七十歳に手が届く頃から俳句を始め」(「あとがき」)たという著者だが、なかに興味をひかれたのは、前登志夫を悼み、偲ぶ句が三句もあったことである。

     歌人・前登志夫を悼む
  大和讃歌五月の空へ木霊せり
  前登志夫逝き五年の朝櫻
  朝ざくら登志夫の声す空耳か

前登志夫は、自らの歌を、たしか「魂の反響としての詩」と述べた歌人ではなかったか。その真摯な魂をこの著者はみているのだろう。
ともあれ、いくつかの句を挙げておこう。

  手庇の離るる風の夏に入る
  梅雨の蝶吾もきらめく雨のあと
  大樹いま囀りとなり応えけり
  ごつごつの柚子君考えすぎたのか
  すこし老いすこしかたくな茄子を焼く
  


  

2017年1月19日木曜日

谷川晃一展「森の町・朝の光」(ギャルリー東京ユマニテ)・・・


                                             「牡牛と歌手」2013 の案内ハガキ↑

先に神奈川県立近代美術館 葉山で開催されていた谷川晃一・宮迫千鶴展「陽光礼賛」には、事情ゆるさず行けなかった。わが家からは、一日日帰り旅になるので現状では、一日中家を空けることが難しいのだ。それゆえ今回の東京での個展には、案内状(ギャルリー東京ユマニテの展示2016年~2017年1月21日)を頂いた時から、是非とも行かなけれなならないとおもっていたが、これも明後日21日が最終日である。
ともかく、今日は渋谷の漢方内科・渋谷診療所に一ヶ月分の煎じ薬をもらいに行かなければならない日なので(愚生や愚妻の煎じ薬を調合してもらうのに一時間半くらいはかかる)、その待ち時間をぬって会場の京橋まで取って返したのである(銀座線で乗れば20分くらいだった)。
実は、「豈」のデカルコマニーの表紙絵・風倉匠と谷川晃一氏は友人だったという。
それを知ったのは、谷川晃一氏が俳句の小冊子を出されたときに「豈」を贈り、その返信に、「豈」の表紙絵の風倉匠は、懐かしい友人だったとしるされていたからだ。
その風倉匠が亡くなってからはや9年が経とうとしている。愚生はよく知らないが、1960年代の前衛美術家たちネオ・ダダの活動盛んな時代、赤瀬川原平などともに、同時代の仲間だったのではなかろうか。
谷川晃一、1938年、東京生まれ。



                      ユズリハ↑

2017年1月16日月曜日

荒井芳子「酸葉噛む戦後の空も今の空」(『柚の蕾』)・・・




荒井芳子句集『柚の蕾』(文學の森)、集名はかの古沢太穂に評されたという、

  ふくらみてふくらみきりて柚の蕾       芳子

からの命名である。「道標」、「新俳句人連盟」ひとすじらしいから、社会詠に真骨頂があろうかと想像したが、自然詠も率直でいい。それは、

 諸角先生は常々「対象をよく見る」「把握した対象を身体に浸透させてから表白する」「感じる」そして必ず「勉強しなさい」とおっしゃいます。高齢となり少しづつ薄れ行く感性に、きつい坂を登る苦しさを覚えますが、希望を失わず進みたいと思っています(「あとがき」)

と書かれていることが、日々修されているからだろう。そして諸角せつ子の序句は、

   米寿いま柚子の実あまた芳しく      せつ子

ともあれ、いくつかの句を以下に挙げておこう。

  ひらがなで「へいわ」と書く子流灯会       芳子
  藁塚(にお)棚田このこの島かくれきりしたん
  非武装地帯板門店に萩こぼれ
  七日数えて大屋根の雪痩せにけり
  父親に抱かれて遺影卒業す
  瘤抱いて天空に枯れプラタナス
  冬天へ赤芽ふやしてブルーベリー

荒井芳子、1928年、栃木県生まれ。



2017年1月13日金曜日

柏田浪雅「鉈彫も木屑も佛雪ばんば」(『螢火の塔』)・・・



柏田浪雅句集『螢火の塔』(角川書店)。著者は「老いの遊み」であった俳句が近年、自己構築の様相を呈してきたと、「あとがき」に次のように記している。

  事は三年前の「岳」入会をもって始まります。俳句を始めたあとは、「冬浪」「古志」「ランブル」と結社を変わり、自身の弱みの克服を目指して参りました。その時々の主宰を始め会員の方々には大変お世話になり、心豊かな日々を過ごさせて頂きました。この場を借り感謝申し上げます。

と、気配りの人らしい。それは集中の、

  踏鞴踏(たたらふ)むこと多き性海鼠噛む      浪雅

の句に触れた序文の宮坂静生がその人となりを以下のように記していることからも伺える。
  
  柏田浪雅の体型は見るからに堂々としている。風貌にも眼力がある。その大きさ、鋭さが俳句に現れる。まず作品がちまちましていない。小手先の捻りがない。真正面から持てる力をぶつけるように作品を掬い挙げる。そして、大らかなモラリストとしての人間的な安心感を接する人に与える。

そうだと思う。愚生も年に一度だが、現代俳句協会年度作品賞の選考委員会で会う顕彰部長としての柏田浪雅の姿が髣髴としてくる。
以下に句をいくつか挙げておこう。

   寒林のどこかを掃いてゐるらしく
   雷を食うて大魚となりにけり
   ひやひやと夕日のなかへ柩押す
   父来るやこの世かの世と木の葉降り
   逝く父に子の画きたる秋の馬

柏田浪雅、昭和17年、宮崎県生まれ。





「岳」つながりで、序文を書かれた宮坂静生の句集『噴井』(花神社)から、以下にいくつか句を紹介しておきたい。
今回通読して強く思っことは、句集『噴井』には社会的メッセージの込められた句が実に多くあった、ということだった。それは現在只今の社会的な状況、世界の在り様を反映してのものだ。それはまた、有季定型翼賛型の句への叛乱でもあろう(地貌がそれを支えている)。
その宮坂静生は昭和12年、長野県生まれ。

      鷹柱あれば草柱も
   草の絮舞ひ立つこれぞ草柱
   干し幻魚(げんげ)とは面妖な冬の貌
   冬の象に揺られ三橋敏雄かな
   泣いた戦後運動靴のない九月
      宮崎進展(神奈川県立近代美術館葉山)
   捕虜収容所(ラーゲリ)の夏黒パンは死の軽さ
   斑猫や人類遠くまで来過ぎ
   怒りゐて鶴凍鶴になりきれず




2017年1月12日木曜日

遠山陽子「いつか来るその日のやうな秋夕焼」(「弦」39号)・・・




明けましておめでとうございます。
年賀に替えて「玄」39号をお届けいたします。

と扉にある。「弦」は遠山陽子の個人誌。三橋敏雄の評伝を書き発表するために発行し続けられた。『評伝 三橋敏雄』が刊行されたのちも発行し続けられている。今号にも「三橋敏雄を読む(2)」で三橋敏雄『眞神』の作品が取り上げられている。それには、

 しかし『眞神』は敏雄自身が満足していなかった全句集以後八年間をかけて、主題と手法の見事な転換を見せた句集である。ここにおいて三橋敏雄が三橋敏雄として初めて確立した句集であると私は見ている。

と結ばれている。前句集とは『まぼろしの鱶』である。

  撫でて在る目の玉久し大旦     三橋敏雄『眞神』より
  鈴に入る玉こそよけれ春の暮
  たましひのまはりの山の蒼さかな





他には、遠山陽子、中村裕、佐藤文香で「悟空句会」というのをやっているらしい。命名は三名が申年生まれだからという。句会から一人一句を以下に挙げておこう。

   背高きまま老いたれば花の見ゆ     陽子
   全館空調冬のシベリア鳥瞰図       裕
   イヤフォンの土まで垂れて葛飾区    文香