2017年11月23日木曜日

有賀真澄「よもや君虹の転写に手を染めて」(「TARUHO」)・・・


有賀真澄↑


菊地拓史↑


            稲垣足穂↑

 有賀真澄から案内をいただいた「TARUHO-稲垣足穂の愛した小宇宙(コスモ)とエロス」展(於:スパンアートギャラリ―・銀座2-2-18)11月18日(土)~11月28日(火)11時~19時に、創立70周年記念・第54回現代俳句全国大会に出席した帰路に立ち寄った。足穂からの種村季弘宛のハガキや「女性には身だしなみ男性には道徳」と書かれた短冊など、じつに興味深いものだった。愚生がかつて名を知っていた立石修志、中村宏、森ヒロコのものも展示されていて、ライトを付けてみる作品では、不器用な愚生には、上手く見えなかった作品では、菊地拓史氏(名刺を交換)が説明をして下さったり、短いながら有意義な時間を過ごさせてもらった。


 左から神野紗希・宇多喜代子・夏井いつき・岸本尚毅・渡辺誠一郎・小林貴子↑

★閑話休題・・・

 創立七十周年記念全国俳句大会(帝国ホテル)では、全国大会賞に以下の二作品が選ばれた。

   被爆胎児のわれを陽子と呼びし父   宮崎市 福富健男
   田螺鳴くまるごと村の捨てられて   豊能郡 原田タキ子

因みに一般選者だった愚生が選んだ特選1位句は、

  おことばの真意とどかぬ夏の雲    松下けん (4点)

特選に選んだ句は、

  わたくしの敗戦忌まで行ってくる   山本敏倖 (5点)
  小鳥来るペイネの胸の小窓にも    窪田英治 (2点)
  夏の空パントマイムのホームラン   前田猫佳 (3点)
  梅雨闇のフクシマ非常口がない   北村美都子 (秀逸賞) 
  
 講演とシンポジウムのテーマは「俳句の未来、季語の未来」。講演は宇多喜代子、パネリストは夏井いつき・岸本尚毅・渡辺誠一郎・小林貴子、司会に神野紗希だった。
この方はいずれ「現代俳句」で記録が掲載されると思うが、「季語とは記憶の再生装置である」、「日々のくり返しこそが季語の現場」「歳時記があって季語があるのではない、季語があって歳時記が出来上がる」「季語集のことを死語集、隠語集という人もいる」、「地貌季語運動」など、それぞれに興味深い話があった。
 愚生は、記念式典、懇親会は失礼したが、その前段の時間に、地下の「とらや」でお茶を飲んでいたら、黒田杏子、黒田勝雄、鳥居真里子、さらに角谷昌子など現俳協ではない人たちとも偶然に会い、お話ができ、しばし楽しい時を過ごした。


 


2017年11月19日日曜日

石井俊子「跳ねる魚冬木の影のあたりなり」(『虹の橋』)・・



 石井俊子第2句集『虹の橋』(東京四季出版)、集名は、

  言の葉の優しき人や虹の橋

の句に因むと思われる。懇切な序は鹿又英一、序によると職場の上司と部下であったらしいが、実に優秀な部下(石井俊子)のお蔭て郵便局長の激務をこなすことが出来たと感謝が記されている。しかし、その部下と上司が俳人として初めて出合うのは数年後の俳句の席である。そうした縁こそが大事だと鹿又英一はいう。また、親愛の跋は佐藤久、その跋には、、

  石井さんの句には、作者の生身の息遣いが感じられます。全てが実景句であり、実感句なのでしょう。飾らず虚勢もなく心のままに詠むことは、実際には大変難しいことですが、石井さんはこの壁を軽々と越えているように感じます。それゆえ石井さんの俳句は様々な顔を持っているのでしょう。それは複雑で矛盾した生身の人間として生きていることの有り様そのものです。

とある。あるいはまた、著者「あとがき」には、平成28年1月「蛮の会」に、縁あって入会し、

 理想の師、若い熱心な句座の皆さんに恵まれて、きびしさと恩情の句会に無我夢中でついていきました。それもつかの間の平安、四月に癌のリンパへの転移がみつかり、急ぎ、上梓の実現を目指し、二十七年春から二十九年春までの二年間の作品四百句あまりを収めました。

と、本集の上梓への経過と思いが語られている。
ともあれ、今後の健吟を祈って以下にいくつかの句を挙げておこう。

  雛飾り父母の遺影を拭ひたる     俊子
  手の平の幅の川なる花筏
  米軍の基地も氏子や本祭
  寄り添いし影のもつるる蛍の夜
  谷崎を読みて寝落ちの昼寝かな
  福も鬼も一人二役豆を撒く
  病廊の迷路めきたり春隣

石井俊子(いしい・としこ)昭和20年、神奈川県生まれ。装幀は田中淑恵。




 

2017年11月18日土曜日

原島なほみ「ひとつだけ嘘をついたわ神の留守」(「第173回遊句会」)・・



 一昨日は第173回遊句会(於:たい乃家)。いっこうにマシな句が出来ず、句歴だけはながーい愚生の現在の句会出席といえば、「豈」と、この「遊句会」以外は、ほとんど無いのだが、若年のときから思い起こせば、一度だけだが、中村草田男健在の「萬緑」や沢木欣一「風」などにも出たことがある。二十歳になりたての頃、京都に居たころは、天狼系だった「立命俳句」、鈴鹿野風呂「京鹿子」、山口草堂「南風」などの句会にも出た。運命を変えたのは代々木上原での「俳句評論」の句会への出席だったかもしれない。そして、愚生が遊句会に参加させてもらうことになったのは、ある御仁との縁によるものである。飲み食いをしながら句を楽しみ、人との付き合いを楽しむという趣だが、なかには、新聞俳壇に投句をしたり、「海程」の句会に出て、本格的に俳句を創ろうとしている人もいる、多士済済の仲間である。
 この長い遊句会の歴史を支え、築いてきたのは、そうした仲間が句会の進行役、兼題など、毎月担当を決め、なおかつその都度、句会報を出し続けてきたことによるだろう。今回は、その句会報の担当をしている山田浩明氏の句会報に添えられた感想を本人に無断で以下に引用したいと思う(許されよ・・)。じつによく、この句会の雰囲気を伝えていると思うからだ。

 今回の遊句会は「原島なほみDay」&「加藤智也Day」でした。


それにしても原島さん。貴女がこんなに〝悪いオンナ〟だったとは。
村上直樹が「嫁に欲しいぐらい・・・」と、手も無く騙されるのを見て、
大したものだと感心しました。

超低空飛行の私が云うのもナンですが、 
村上氏作の「銚子二本」もイイ、加藤さん作の「予報士の棒」もイイ、
天畠氏作の「七五三」も身につまされるヒトがいて、それぞれにイイと思いつつ、
やはり〝善〟より〝悪〟にこそ神の力は宿るのか。
もっともっと闇の底から香り立つような句が詠みたいなと思った次第です。

無理かな?俺もこれで結構イイ人してるからな・・・
余計なことを云いました。とにかく原島さん、オメデトウ。
                                  山田

今月の兼題は、神の留守・時雨・千歳飴。一人一句を以下に・・。

  小夜時雨銚子二本の理由(わけ)になり   村上直樹
  七五三親子が家族でありし頃         天畠良光
  時雨くるデイサービスの送迎車       春風亭昇吉
  鈴の音も虚ろに聞こゆ神の留守       橋本 明
  落葉松(からまつ)の一本道に片しぐれ   中山よしこ
  あの人に似た人のいて時雨かな       原島なほみ
  傘たたく音もなかりし時雨かな        武藤 幹
  祈祷待つ泣き顔笑顔千歳飴         石原友夫
  出雲へと留守居も置かず神の旅       渡辺 保
  心情を背に貼りつけてゆく時雨       たなべきよみ
  あっぱれな過剰包装千歳飴         山田浩明
  送信のあてなきメール初時雨        大井恒行

*欠席投句より

  予報士の棒の先から時雨来る        加藤智也
  引きずりし身の丈ほどの千歳飴       林 桂子
  休耕の田圃乾(ひ)上がる神の留守     石川耕治

次回(第174回)は、12月21日(第3木曜日)。兼題は、手袋・冬の海・除夜の鐘。



2017年11月16日木曜日

岩田由美「雲なしと思ふ待宵さしわたる」(『雲なつかし』)・・



 岩田由美第4句集『雲なつかし』(ふらんす堂)、帯には岸本尚毅の、ごくシンプルな惹句「いい句もある。」がいい。集名は、

  天窓の雲なつかしや避暑の宿   由美

からのものだろう。雲はさまざまに変容する。変転する。著者の雲にはそれぞれの愛着がたんたんとしてうかがえる。

  白き雲来て去る秋の神事かな
  鳥雲にもの皆花を急ぎつつ
  秋高し雲の映れる水に漕ぐ
  虹の色帯びて薄雲初御空
  雲なしと思ふ待宵さしわたる

収録句は、「平成二十二年四月から平成二十九年五月までの二百九十一句」(「あとがき」)とある
。読むにはほどよい句数である。ともあれ、以下に愚生好みの句を、いくつか挙げておこう。

  探りとる小銭冷たき小春かな
  恋ゆゑに世間が狭し花空木
  をりをりに飛ぶ蟬見えて蟬時雨
  天高し海ある方となき方と
  天高きまま満月の空となる




  

2017年11月14日火曜日

仁智榮坊「戦闘機ばらのある野に逆立ちぬ」(「『京大俳句』を読む会会報」第4号より)・・



「『京大俳句』を読む会 会報」第4号、挟み込まれた「ご挨拶」冒頭に、

 (前略)第1回目の「読む会」を開催したのは平成20年7月5日でした。会場は、柿衞文庫に近い伊丹郷町館の2階で、19名の参加がありました。爾来毎月「読む会」を続け108回を越えました。「京大俳句」復刻版全12巻、86冊を読み続けてきました。あと昭和15年1,2月号を読めば一応全冊を読了することになります。プロの研究者ではなく素人でありながら各々課題をもち、毎回レクチャーを決め、担当する者は関連する資料を準備してレクチャーするという形で地道に続けて参りました。その持続を支えたのは「京大俳句」という発表誌に拠りながら、俳句という表現により時代と向き合い、「新興俳句」という新たな自由な表現を追求する個性ある人々の情熱に、私達各々が魅力を感じたからだと思います。(後略)
  「京大俳句」を読む会 代表 西田もとつぐ 、編集責任 梶谷予人       

と記されている。最後のページにあった「『京大俳句』を読む会 活動記録」(平成二十七年六月~二十九年三月)を見るとさすがに最初の参加人数のほどではないが、常に10人前後の参加者で毎月行われてきたことが知れる。愚生などには到底及ぶべくもない活動というべきだろう。本会報の内容についても、おのおの数十ページを費やす力篇である。目次から、例えば、「人と作品」では、堀本吟「『京大俳句』の仁智栄坊」、西田もとつぐ「桂樟蹊子の決断ー満州俳句への道ー」、梶谷忠大「井上白文地ー鎮魂、異国の地に眠る人へ」、特別寄稿に、樽見博「中西其十の跡」、その他、新谷陽子「満蒙開拓移民と俳句ーその二ー」、綿原芳美「『京大俳句』の読み方」等々である。
 ここでは、「豈」の同人でもあり、本誌を贈ってくれた堀本吟の仁智栄坊についての以下の個所のみを引いておきたいと思う。仁智栄坊の俳句について述べた部分である。

  (前略)それらを一覧して感じたことは、戦争、反戦或いは厭戦気分が出ている作品でも、栄坊の場合は、他の人達よりは人工的で劇的であることだ。大衆小説のように風俗を大胆に持ち込む。彼も野放図さが時局を軽視侮辱したと言いがかりをつけられそうなところもある。しかし、表現は往々にそういう毒を許すものだと考える。俳句の諧謔精神もまさにそうなのだ。

こう指摘されたのが以下の俳句だ

  戦闘機ばらのある野に逆立ちぬ(「京大俳句」昭和11年1月号)
  射撃手のふとうなだれて戦闘機(「同」昭和12年10月号)
  哨兵よそなたの嫁は自害して(「同」  〃  )
  砲弾ガ風ヲ切ル鶯ヲ探セ(戦線日記)(「同」昭和13年5月号)
  リトヴィノフは葡萄酒じやないぞ諸君(「同」昭和13年9月号)
  幾山河越え來し馬のもの言はぬ(「同」昭和13年10月号)



2017年11月13日月曜日

右城暮石「鱧ちりの氷を白布にて砕く」(『右城暮石の百句』)・・



 茨木和生『右城暮石の百句』(ふらんす堂)、ブログタイトルにした句は、暮石句集『天水』所収、昭和59年作とあり、その解説(鑑賞)は以下のように記されている。

 梅田のビルの一階を借りて、安騎生さんの奥さんが料亭『井戸平』を営んでおられた。板前料理だったが、その魚は絶品だった。前登志夫さんや中上健次さんも何度かここにこられた。この句、先生ええ鱧が入っていますといって、後藤綾子さんと私も一緒に招待を受けた。板前さんは目の前で、鱧ちりに敷く氷を白布に包んで、すりこ木のような棒で打ち砕いていた。私など食べること、飲むことだけだが、先生の目は違うと感心した一句である。このときの後藤さんの句は「老すすむ湯攻めの鱧の縮む間も」である。

あるいは、また、「ふたたびは会ふこともなき滝仰ぐ」暮石(『一芸』・昭和62年作)の句には、

 句に前書をつけなかった暮石先生だが、この句には「兵庫県大屋町天滝 三句」とあり、(中略)先生は八十八歳、無理をさせてはならないと、藤本安騎生さんと私は代わる代わるに先生を負ぶって登った。「予は満足じゃ」というのが滝を見ての感想。

 著者・茨木和生は暮石に師事して以来、暮石の作句のほとんどの現場に立ち会っている。そしてまた、藤本安騎生も茨木和生と同じく、行く先々を車で案内し、同行しているように思える。師弟とはその生活を、共にする人のことではないかとも思わせる。そこには俳句を通しての実に濃密な関係が想像される。ともあれ、本書より、いくつかの暮石の句を以下に挙げておきたい。

  大和どこも団栗柴の黄ばむ頃
  狐かと南瓜の花に駭きし
  大学生最後まで観る後宴能

上掲の大学生は茨木和生のことらしい。

  いつからの一匹なるや水馬
  薬莢の笛猟犬を呼び戻す
  妻の遺品ならざるはなし春星も

茨木和生(いばらき・かずお)昭和14年、奈良県生まれ。
  




2017年11月12日日曜日

百瀬石涛子「死者の衣を分配の列寒月光」(『季語体系の背景』より)・・



 宮坂静生『季語体系の背景』(岩波書店)、「地貌季語探訪」の副題が示すように、宮坂静生が推し進めてきた地貌季語とはなにか?という命題に、現地での実作を踏まえて探求してきた一本である。が、愚生がもっとも感銘を受けたのは、第一部の「忘れられた戦後ー地貌への目覚め」である。この部があることで、宮坂静生が求めてきた根源にあるものが何であるかを明示できている。改めて宮坂静生は60年安保世代だったのだということを思い知らされた。なかでも第3章「シベリア抑留譚ーもうひとつの戦後体験」では、香月泰男、石原吉郎に触れられた部分は何より印象的だった。愚生は残念ながら行きたいと思いながら香月泰男記念館にはいまだに行ってないが、若き日、香月泰男,無言館についての連作を発表したことがあるし、石原吉郎には、句作上でもかなり意識した時期がある。この章では過日、恵送されていた百瀬石涛子『俘虜語り』の句も多く引用されていた(愚生は何も書けずに日月を過ごした)。例えば、

   収容所(ラーゲリ)の私物接収霏々と雪   石涛子(せきとうし)
   伐採のノルマの難き白夜の地
   哭く声は虜囚の声か冬に入る
   凍てし樹皮刻み煙草の日々なりし
   大八車の遺体白夜に搬送す
   柩なき遺骸を覆ふ班雪土
   秋深し愚鈍を以て我卒寿




また、満蒙開拓民を詠んだ宮坂静生の句に「満州より帰途、妻子足手まとひとなりて、自害さす」の前書きを付した、

  白萩や妻子自害の墓碑ばかり    静生

の句があり、痛ましい。そして、本題である地貌季語について著者は、

  (前略)季節が等分なのは地球の北緯、南緯ともに三〇~四〇度の地域に限られている。地軸の傾きによる日照の違いが、気温の変化をもたらすのである。日本列島では、北緯三〇度は鹿児島県屋久島と中之島の間、四〇度は秋田県の男鹿(おが)半島から岩手県境の八幡平(はちまんたい)を結ぶ線上である。(「まえがき」)

と述べ、本著でも秋田県以北、南は沖縄の地貌季語の豊かさを探訪し、触れた部分がより魅力的である。さらに、その地貌の探求の過程において、以下のように「あとがき」記していることは、まさに本質的なことだと思われる。

 私は地貌季語が使われる現場に立つ体験を重ねながら、地域限定語はわかりにくく拡がりがないという問題に絶えずぶつかった。そこで納得できたのは、表現の究極の目的は端的に広く知られるこのと普遍性が問題なのではないということである。一つ一つの地貌季語の持つ特異性への理解を深める愛情こそが新しさを見出す喜びに繋がるということではないか。

宮坂静生(みやさか・しずお)1937年、長野県生まれ。