2013年12月15日日曜日

森山光章句集『[法華折伏破権門理、喜悦のみがある] 』・・・


                        森山氏↑
 昨日14日、九州から上京した森山光章氏とジャズバー・サムライでお会いした。
森山氏の召集した友人の方々、玉井保人,平敏功、杉浦浩次、田中征等各氏にもお会いした。
森山光章は1952年、福岡県生まれ。かつては「未定」「連衆」に所属したこともあるれっきとした俳人である。現在、彼のことを語る人はほとんどいないが、「俳句空間」新鋭蘭に登場以来、そのスタイルはほぼ確立されている稀有な俳人である。
 現在は個人誌「不虚」を発行、句集はすでに7冊、詩集、歌集、小説集や政治的断章、また思想的断章を加えると15冊以上の著作がある。
小説家の帚木蓬生氏は実兄にあたる。
孤高の俳人にして、詩人、思想家の趣がある。
 デビューは『眼球呪詛吊り變容』(1991年、弘栄堂書店刊)だが、その栞文に林桂は「特異な作家であると僕は言ってしまいたくない」と述べ、次のように記した。
「『特異な作家』と呼んでしまえば、その言葉はそのまま森山氏に対する排除的な文脈の中で使われてしまう不安がひとつある。例えば森山氏の文体は匿名性とは無縁であり、自身の世界を強く主張するものである。(中略)氏は久しぶりに現われた『俳壇』の顰蹙を十分かうことのできる逸材である。それはまた、具体的なイメージにならないままに俳句形式を愛する読者に待たれていた作家ということでもある。(中略)ともあれ、森山氏の自己解体の道行の輝きを愛する機会を恵まれたことに今は感謝しよう」。
  
  〈屑〉(くず)に氷(こお)り奈落(しあわせ)へと墜(ゆめ)みる 芙蓉(ししゅう)かおる夜 
                                                      光章
   *( )内はルビ。  



句集『[ 法華折伏破権門理(ほつけしやくぶくはごんもんり)]、喜悦のみがる』(2012年、不虚舎刊)は初期の句よりさらに長律になっている。二、三の例を上げて読者に供しておこう。

  地湧(ぢゆ)の菩薩(ぼさつ)として僧俗和合(そうぞくわがふ)で[ 魔の所為(だうりなきいま)] を破滅(いけない)する

  改變(いけない)あるのみ、滅尽(めつじん)する我(われ)の裂傷(きず)より事(じ)は湧出(ゆしゆつ)

 いいのよ、佛罰(ぶつばつ)なき宇都之(このよ)の頽落(ノーパン)を補導(おさはり)する



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