2014年2月12日水曜日

「獣園」、戦無派の「あがき」・・・


作句集団「獣園」(1971年刊)は、愚生が最初に創刊に参加した俳句同人誌である。
切っ掛けは、愚生が「立命俳句・7号」を終刊号のつもりで出したことによる。
黒い表紙に「立命俳句」の文字が白抜きにされた雑誌を眼にした久保純夫(当時・純を)が、「立命俳句」のOB・さとう野火宅を訪ね、同人誌を企画したのに始まる。当時、愚生はすでに東京に逐電していたが、さとう野火宅で久保純夫に会い、雑誌創刊に参加することになったものだ。
思えば、その後の久保純夫と行をともにする岡田耕治(現・「香天」)、土井英一・城貴代美「儒艮」
などもいたように思う。愚生は集団「不定形」以来の林かをるというペンネームを使って「戦無派の危機」という記事を書いている(「獣園」第2号、このことは、すっかり忘れていました・・)。
その表紙裏に「戦無派の提唱『あがき』」というマニフェストのような文章がある。少し引用する。

   作句集団「獣園」の同志達はほとんどが全くの戦無派であり、戦中に生を受けた者も全 く意識 としての戦争体験はない。しかしながら、私たち青年は欲望時代の渦中で生きてゆ かなければな らない。急テンポで進むメカニズム、価値観崩壊、言語の危機・・・・それら は人間一人一人を孤  立させる。
  「獣園」、それは人間性回復の広場であり、素朴な生き物の叫びであり、ささやかな抵抗 の場で あり、あがきの場である。芭蕉は死の直前まであがいた。けっして、なげやりにな ったり、悟ったり しなかった。
                     一九七一年二月  作句集団「獣園」編集部

たぶん、これを草したのはさとう野火(一昨年死去)であろう。ちなみに第二号(創刊号ほかは現在、某氏に貸し出し中なので、手元に2号のみが残っていたので・・)より、一句ずつ挙げておこう。

   空白な過去ひたすらに地虫はう       河野雷太
   ボート伏せ白いペンキで居並ぶ冬     北野真暉
   雪から雨へ少女の嘘を溶かしゆく     京谷慶治
   足裏に雪の結晶ゲリラ進む         木村蛇子
   刈田貫く鉄路で妊婦だけの焚火      久保純を
   白息の靴打つ釘を口から出す       さとう野火
   雪ふりつむ深さへ雪のすべり台      城貴代美
   醒めて書く卒論母の咳けるのみ      土井英一
   殖える海星尾骶骨まで熱するデモ     東野月沼
   冬天を塗るべし梯子ペンキ屋に      藤原一昭
   ビル街へ運河つまりて冬の雨       山田白狼
   人形の貌もち北風の街ぬける       山本 恭
   冬どっかりと愛し切れずに海光る     横岡たけし
   夜回りの乾いた咳惰眠を敲き       横田義之
   撫でて荒野の言葉の嘘を磨きつつ    大井恒行



*閑話休題・・
  「ザ・ビューティフルーー英国の唯美主義1860-1900」を三菱一号館美術館で観た。
ビアズリーのサロメの挿画を観ることができて満足・・・そうそう、ウイリアム・モリスの壁紙(ひなぎく)も・・・。昨年だったか、府中市立美術館でのウイリマム・モリス展を散歩の途中で偶然に観た記憶が蘇った。
                 
               美術館の庭に咲いていたヒイラギナンテン↓


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