2014年3月15日土曜日

高橋龍「黒き猫飛雪流し目にしたり」(『飛雪』)・・


高橋龍句集『飛雪』(高橋人形舎、不及齋叢書・伍、2014・2・28)は、彼が17歳から19歳にかけての俳句を収めた10代句集(復刻)句集である。
制作時期は昭和21年12月から昭和24年2月、復刻前の部数約50部。
高橋龍と面識のあった中村草田男、大野林火、古家榧夫、藤田初巳、また、すでに彼がその名を知っていた中島斌雄、志摩芳次郎、高橋鏡太郎、本島高弓、古川克己、髙柳重信などに贈呈したという。
本句集「あとがき」に高橋龍は当時の思い出を次のように記している。

    髙柳さんからは感想を書いた葉書が届いた。全句ことごとく山口誓子のエピゴーネン   だ。だが、「山火事の鐘を打たるゝわが頭上」だけはいいと書かれていた。わたしは反論を書いて出したような気もするがよく覚えていない。

収録された句を挙げておくと「凍る夜のコップかくまで薄きかな「暖房に碧きソファの花ひらく」「黒き猫飛雪流し目にしたり」など。

また、高橋龍は「日本俳句新聞」を古書店の目録で見つけ、29号分(3号欠け)を入手、高柳恵幻子の作品で、『髙柳重信全句集』に漏れている作品を見つけたばかりか、あろうことか、高橋龍自身の記憶から消え去っていた作品10句が自身の署名と合わせて掲載されているのを見つけた。まさに10代最後の句であるこの10句を今回の『飛雪』に増補している。
「罪ゆえに」(日本俳句新聞・第24号、昭和24年・7)と題された10句を以下に挙げておこう。

   夕雲雀雑木は梢のみ燃えて       龍
   春三日月橋のリベット頬に冷たし
   復活祭すつくと下枝なき巨木
   真夜中のたゞ照る鐵路初蛙
   菜園の隅初花の樹のもとに
   自動車の淡き燈坂の夕櫻
   花冷えのペンシル握る白き指  
   街角の突風手のばらに
   蝶ねむりたれば麻薬の青まさる
   罪ゆえに蟲打たれたる蝶よ

高橋龍は今年85歳になる。これまでも第一句集『草上船和讃』から第二句集『翡翠言葉』、また『後南朝』『伯爵領贋志』や個人誌「龍年纂」など、実に多彩な表現法を駆使してきたが、3年ほど前に出された句集『異論』(天主公教会出版部、不及齋叢書壱・平成22年・限定200)の「あとがき」には韜晦的に以下のようにも述べている。

   何しろ駄目な句ばかりなのだから、この句集について言うことは何もない。世の中の多く  の人たちのように、俳句で自己の外なる風景や景色、物事や出来事を書いたり、内なる  理念や心象を書いたり、あるいは俳句で俳句を書いたりもしなかった。ただ、時たまこと  ばの塊りがぽたりと落ちてくるので、それに箟を使っただけである。それが俳句であれば  よいとはおもって来たが、いまだに遂に一度もそのようなことはなかったし、これからも実  現しないであろうが、何しろ他にやることもないのだから、これからも書いてゆく。

 『異論』からいくつかの句・・

    二十六(とどろき)といふ村ありき青あらし       龍
    死にたしと時には思へ年の豆
    はじまりに行き着く道の燕麦(からすむぎ)
    夏山も丹下左膳も縦に傷
    天地を開闢(おしひらく)なり貝柱
    突撃一番春二番昭和の日

       




ともあれ、愚生にとって、高橋龍との第一の思い出といえば、髙柳重信の「俳句研究」編集長時代の編集後記を集めた『俳句の海で』(ワイズ出版1995年9月)の出版である。
構想の初めは、確か7回忌だったと思うが、鈴木六林男が、「俳句研究」の編集後記だけを集めても立派に批評集ができると発言したことによる。
愚生はそれを実現するために、もっていた「俳句研究」の編集後記をコピーし、若干不足していたものを俳句文学館でコピーをしなくてはと考えていたが、68年4月から83年8月、およそ15年間分を目の前にしていささか途方にくれていた。
重信夫人・中村苑子の了解も、当時の「俳句研究」・富士見書房の了解も得られていたが、その作業は、サラリーマン生活をしながら遂行するには、いささか骨が折れることだった。そのときちょうどと言っては申し訳ないが、高橋龍は重信没後十年を期して毎日、一日三冊分を筆写していた。それを聞きつけた愚生は、その筆写本を原稿にして本にしていただけないかと厚かましくもお願いした。高橋龍は二つ返事で受けてくれた。幸運だった。
さらにその本の「あとがき」として「遂にの人生」をも書いてくれた。
たぶん、高橋龍がいなければ、この企画は実現していなかったか、もし実現していたとしても、さらに多くの歳月を必要としていたはずである。

数年前だったか、佐佐木幸綱が某新聞のアンケートに答えて、座右の書三冊の中に『俳句の海で』を入れてくれていた。実は愚生の第二句集『風の銀漢』(書肆山田・1985年)をいち早く「俳句とエッセイ」(牧羊社)に書評してくれたのが佐佐木幸綱だった。不思議な縁と巡り合わせを思った。
もちろん、本の帯文は鈴木六林男がこれも快諾してくれた。
それを以下に筆写しよう。

   高柳重信は「俳句研究」において、現代俳句の地平を切り開くために編集の基本姿勢を  問い続けた。広い視野。冴えた現状分析。比類ない未来への洞察力。これらの結晶とし  て高柳の「編集後記」は昭和俳句史を形成する。
  「編集後記」は、職業としての編集者が想いを〈言葉〉に賭けた歴史である。その重みを   本書によって知ることができる。 ―鈴木六林男

                  馬酔木↓

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