2014年4月25日金曜日

閒村俊一「敗戦日冷やしケツネをずるずると」・・・


昨夕、アルカディア市ヶ谷で行われた「閒村俊一句集『拔辨天』刊行を祝う會」に出かけた。約220名と実に大勢の人でにぎわっていた。
閒村俊一はたぶん忘れているだろうが、愚生が氏と最初に会ったのは、福島泰樹が季刊「月光」(月光の会・発売元彌生書房)を出していたころに遡るから、ほぼ26年前のことだ。愚生が季刊「俳句空間」にかかわっていた頃、「俳句空間」に掲載するための「月光」の広告版下を受け取りに行ったときである。飯田橋駅の陸橋を小石川後楽園側に渡るとすすぐ近くに閒村氏の事務所があったのだ。「月光」創刊号の目次には「表紙・本文装幀・・間村俊一+デザインスタジオ金太郎組」とある。
たまたま、手元の「月光」創刊号を開いたら、すっかり忘れていたが、俳句作品は西川徹郎「月山へ」と愚生は「赤子(ぼうや)!」20句を載せてもらっていた。

      天心に鶴いるときは鶴とくらす       恒行
      魔子にキス、パパはラ・サンテ牢名主


『拔辨天』(角川学芸出版)は『鶴の鬱』に続く閒村俊一の第二句集、ますます俳諧風に磨きがかかってきたきた感じがするが、それも、学生時代に京都で加藤郁乎の句に出合ってから句作を始められたようだから、自ずから肯われようというもの。もっとも、その時代に郁乎はまだ『出イクヤ記』以前の、まだまだ過激な言葉の殺戮者の趣だったのだが・・・。
ともあれ、本集は句の趣の深さもさることながら、旧かな正漢字、活版印刷、著者渾身の自装になる一本である。装幀家としては、いまだにパソコンを用いず、写植版下をもって制作されているというまさにガラパゴスを僭称してやまない貴重な御仁なのである。
また、序句に「亡きタマに」と題して、「初夏の雷門で出會いしを」と詠み、ひそかに「-マダム・エドワルダに寄せて」と小文字で章扉の裏にしのばせ記すあたりは、一筋縄ではいかない句集だと想像させる。

       昭和懐舊
     ゆくとしのすめらみことのざうふはも
     どうやらもかうやらもなし水温む 
       根岸に轉居 酒井抱一画房雨華庵近ければ
     うぐひすや下戸殿ゆるせ昼の酒
      
     メルトダウンせよ官邸も菫夫人も
     それ以前それ以後の空燕来る
     まがつ火をいたゞきにけり冬山河
     雪女郎もそつと近こう寄らないか

 
カラスノエンドウ?↑
     

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