2014年5月6日火曜日

江里昭彦「俳人の『生きるじたばた』」・・・


「夢座」170号の江里昭彦の第44回連載「昭彦の直球・曲球・危険球」のタイトルが「俳人の『生きるじたばた』である。「生きるじたばた」とは茨木のり子『詩のこころを読む』(岩波ジュニア新書)のなかの章名の一つだという。その茨木のり子のキツイ警句を江里は引用している(以下孫引き)。

  詩は感情の領分に属していて、感情の奥底から発したものでなければ他人の心に達すること 
 はできません。どんなに上手にソツなく作られていても「死んでいる詩」というのがあって、無残
 な屍をさらすのは、感情の耕しかたが足りず、、生きた花を咲かせられなかったためでしょう。

江里昭彦の今回の書評(恵送お礼の気持ちらしい)には、橋爪鶴麿『禱りの木』、桑原三郎『夜夜』、後藤昌治『拈弦帖』、志賀康『幺』、高野ムツオ『萬の翅』、高橋修宏『虚器』、丑丸敬史『BALSE』、渡辺隆夫『六福神』の8冊、なかでも印象に残った江里の評は『虚器』への句集について「向後、句集における企画力・構想力を語る際には逸することのできない一書となろう」という一言だった。

「夢座」にはもう、一編、メインの連載がある。齋藤愼爾の「『時』への眼差しXー「花鳥諷詠を排す」である。今回はほぼ「ホトトギス」稲畑汀子に対する読み応えのある批判に終始している。

「夢座」も息の長い雑誌で、すでに27年を迎えている。
もとはと言えば、紀伊国屋書店新宿本店の地下街のカレーショップ・ニューながいのカウンター席で、常連客を中心に月一回、店のシャッターを半分ほどを閉めて、ちょうどカウンターに座れるだけの人数10名くらいで出発し、その句会報を毎月発行していたことを起点としている。
カレーショップの経営をしていた椎名陽子をスポンサーにその句会ははじまったらしい。その椎名陽子が病に倒れ、現在はリハビリに努めているという。もう一人の中心メンバーが市川恂々である。いわば、この二人を囲むかたちで「夢座」句会は毎月、27年間続いてきたのだ。 
現在編集上の多くの労をとっているのは、銀畑二である。

       寒月光 靴は揃えておく          鴨川らーら 
       鏡を移る雪雲に独り載せる        照井三余
       雪二尺独居老人気配なし         金田 冽
       少年に呼ばれるまではヒアシンス    渡邉樹音
       誕生日から命日 湖が澄む        ささのさら 
       おぼろ月靖国を呑んでからの鬱     江良純雄
       天高し車内の一列みなスマホ      佐藤榮市
       しめ飾り運命がドア叩く音         城名景琳
       花電車みんなで虚構の橋わたる     森 英利  
       一月一日桜山神社に詣で         銀 畑二

                                         カタバミ↑

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