2014年8月1日金曜日

吉村毬子「水鳥の和音に還る手毬唄」・・・


待望された吉村毬子の句集『手毬唄』(文學の森)が上梓された。
栞文は安井浩司・志賀康・豊口陽子・福田葉子。吉村毬子にとっては縁の深い先輩俳人たちである。
帯文はその中から安井浩司。

  吉村毬子は、何時からかじつに不思議な詩的夢幻境に身を挺するに到った。三橋鷹女を過ぎ、中村苑子を越えて、遂に吉村毬子その人の詩的風景に達した。
吉村毬子の〈修羅〉の彼方にぼんやり浮かぶのは、じつは毬子の詩的浄土そのものではなかろうか。

吉村毬子は中村苑子最晩年のもっとも若き弟子であった。福田葉子とともに苑子の側にあって、苑子なきのちも福田葉子に見続けられながら、自身は「未定」さらに「LOTUS」創刊同人として詩的飛躍を願い続けたことがうかがえる。
『手毬唄』と題するだけあって、毬に関する句も多い。煩をいとわずに挙げれば、

    毬落ちて水照りの天井揺れつづく       毬子
    しづかに毬白き夏野に留まりけり
    妹もゐる花降る刻の毬投げよ
    毬つけば男しづかに倒れけり
    毬の中で土の嗚咽を聴いてゐた
    さみしさや乳房に毬藻飼ふ時間
    枯蓮の赭(そほ)に染まりゆく手毬
    水鳥の和音に還る手毬唄
   

現在、いわゆる「俳壇」流行のライトな句とは趣を異にするが、それは安井浩司の指摘したような自身の「修羅」から逃れられない心的風景を描き出そうとしているからにちがいない。
最後に愚生好みを句を、上記以外にいくつか挙げておきたい。

    日輪へ孵す水語を恣
    薄氷へ日は青々と腐敗する
    烏瓜鬼を産む女産まぬ女
    夜の梅 ゆつくりと真水に還る
    少し美し蛇の打たるる青標
    家に棲む真水は母を繰り返す
    月光の花屑重ね沖の村
    鵙の贄零(あや)して母の数へ唄
    海螢嫗翁と透きとほる
    
松村大輔の装丁もいい。


   

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