2014年8月21日木曜日

大月健を偲ぶ会(京大俳句会)のこと・・・



今頃になって彼の死を初めて知ったのだが、第三次京大俳句会(雑誌を出さなかった泉田秋硯時代を入れると第4次?)を再興した大月健の偲ぶ会が京大西部講堂おいて、去る7月7日に中島夜汽車句集『銀幕』の出版を祝う会とともに一緒に行われていた。
6年前に再建された京大俳句会を共に支えてきたのが中島夜汽車らしい。
大月健を愚生に紹介したのは、小樽在住の画家・小原うたたが、東京で毎年開催している個展を愚生が訪ねたおりに、京都から上京していた大月健を紹介されたのだ。
以来、京大俳句会の句会の様子などをメールでもらい、かつ、彼が出していた「虚無思想研究」という辻潤研究誌を恵まれていた。
その小原うたたから偲ぶ会の様子を収めたDVDが送られてきた。
その会は京大俳句会に関係しているらしい鎌田東二のほら貝で会は始められていた。
鎌田東二は愚生がその昔、季刊「俳句空間」の編集をしていた頃、確か加藤郁乎論を書いてもらったように思う。当時は国学院俳句に所属していたと思う。
大月健は1949年2月、岡山県生まれ、京大には司書として、最初は臨時職員で図書館に勤めていたと聞いている。京都植物園にも関わりがあったらしい。食道がんだったという。とはいえ、愚生よりは一年若い、まだまだ途上の死である。
とにかく、彼のいう第三次京大俳句会は、かつて存在していた京大俳句会とは性格を全く異にしていて、何の権威もなく、主宰もなく、すべてがフラットな会であった。その第一合同句集の名が『自由船』なら、それもうなづけよう。それがよいのである。
「豈」からは岡村知昭が出席していた。
はるかに冥福を祈りたい。


1 件のコメント:

  1. 大月さんのご逝去は残念でした。私は、その会には、「豈」からというより、「京大俳句を読む会」のメンバーと参加していました。(夜が遅くなるので、途中でかえりましたが) 、ユニークといえばユニークでしたが、既成の俳句運動になじまない雰囲気にひさしぶりに出会いました。岡村さんがキチンとした挨拶をしておられました。中島夜汽車さんの句集『銀幕』もなかなかおもしろかった。
    現在の表現力をひらくために、さらに、ひろく交流していったらいいのに、とおもいました。

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