2014年12月31日水曜日

藤尾 州「天へ取り成す綿虫を掌に掬ひ」・・・



 藤尾州、聞かない名だと思った。しかし、封筒の裏の署名には、一の宮市・・小川二三男とあったので、すぐに小川双々子縁の方だと思った。その小川双々子が逝ってからすでに八年が経つのだ。
 もう随分昔になるが、坪内稔典、武馬久仁裕などと「現代俳句」のシンポジウムを名古屋で開催し、その折、双々子門「地表」の面々には、われら俳句の若造どもを大事にしていただいた恩ある想い出しかない。
 話を元に戻して、掲出の句は藤尾州句集『木偶坊』(木偶坊俳句耕作所)からである。著者略歴をみると1948年生まれだから、団塊世代のまっただ中、愚生と同年、句歴も1969年「地表」主宰者小川双々子に学ぶ、とあるから、愚生とほとんど変わらない。
それだけで、来し方に親近感をもってしまうが、藤尾州の場合は1998年にクモ膜下脳動脈瘤による開頭手術や、その後も頭皮下膿痬にて手術とあって、順調とはいえない。現在は体調良好とあるから、他人ごとながらめでたい。
 藤尾州の由来については、「あとがき」に以下のように記してある。俳句の場に再びもどってからの感懐。

やっぱり四十年以上続けた俳句、「高が俳句然れど俳句さくら咲く  州」だ。何が何でも俳句、という高い志向は捨てて、独り好きな時に好きなようにゆったりと書けばいいではないか、と思い至った。その厳しかった「地表」が、小川双々子が絶対と思っていたから、「地表」の小川二三男を引き摺ってまで俳句を書こうとは思わなかった。新しく気儘に俳句を書こうとするからには名前でも変えて俳句を書こうと、そして藤尾州とした。「藤尾」は二三男の捩り、「州」は小と川との合体である。

ちなみに句集名については、

藤尾州に名前を変えてもやっぱり役に立たない人であり、小川二三男だった時も機転の利かない人だったから、この句集は『木偶坊』とすることにした。木偶坊が木偶坊なりに『木偶坊』なる句集を出すまでになった。まことにめでたいことと思っている。

最期に、愚生としても少なからぬ想い出のある「地表」俳人の弔句があったのでそれを主に挙げたい。

       悼 小川法子
   ふきのたう残し天へと昇りてけり
       弔
   十五夜を見つけてうれし岸貞男は
       悼  五藤一巳
   空蝉ぼ背割れ鋭き訣れかな
       悼 坪内茜草
   野しやうぶの鮮やかが野を物語り
       小川双々子追悼句
   土筆出る尽して哀し時の来て
       悼 伊吹夏生
   遠伊吹ああ惜別の雪一片
      悼 白木 忠 
   黒穂麦なにゆゑにもう燃えたのか
      悼 須藤 徹
   郡上市よ無上に淋し蜩鳴く
   

    草紅葉百人は去り一人ゐる      
    約束の雲雀は消えてうたひをり
    白線を流すはるかを疑はず
    雪吊や海を遠くに忘れ水
    不覚にも啓蟄の虫水に浮き




    
・閑話休題・・・

皆様、よいお年をお迎え下さい。



2014年12月28日日曜日

山内将史「ブランコに影が来て乗り揺りにけり」・・・



山内将史。この名を聞いてかつて永田耕衣「琴座」の同人だったことを知る人は今は少ないように思う。「琴座」も永田耕衣の死去により廃刊。たぶんその頃から、彼は「山猫郵便」を不定期で発行し続けている。掲出の句は、このほど[山猫郵便二百三十九号/二〇一四年十二月一日]のハガキのものである。
彼は童話を書いたり、ドラマの脚本を書いては応募しているらしい。
山内将史は愚生より少しばかり若いと思うが、ほとんど何も知らない。しかし、ハガキによる個人通信を毎号恵まれているので、その発信し発行し続ける意力には敬意を禁じ得ないのである。

今号の通信には以下のように記されている。

   初雪やかけかヽりたる橋の上    松尾芭蕉
 永遠に完成しない橋は、人の魂ににている。といっても、新大橋は完成するのだが、芭蕉も永遠に完成しない橋を見ていたような気がする。
イデアにかかっている橋の姿を。
  わが学堂拭くや袋に雪つめて      安井浩司『宇宙開』
 幼年時代より深い昔、私もそんなことをした記憶がある。聖なるものを、卑なるもの達が、寄って集まって磨き上げ、より輝かせているイメージが浮かぶけれど、そう書かれている訳ではない。宮沢賢治と安井浩司は掌に握る雪の痛さを知っている北国の詩人だ。

                  クチナシの実↑


2014年12月26日金曜日

川本浩美「いつかどこかの避難所のさむき床のうへに天皇の手を握りてわれは」・・・



題に挙げた歌は「月鞠(げっきゅう)」第15号の巻頭書評で辰巳泰子が取り上げていた歌の中の一首だ。
愚生は歌人・川本浩美を知らない。でも、辰巳泰子が川本浩美歌集『起伏と遠景』(青磁社)の書評のために引用した歌は、いずれも胸を打った。遺歌集らしい。阪神淡路大震災に遭遇した折の歌もある。

   竜の屍(し)のごとく地上に倒れゐる高速道路を朝日は照らす     浩美

東日本大震災では次のように詠んでいる。

  その父親「生きててけろ」と言へりけり字幕には「生きていてくれ」

「月鞠」は、「豈」と同じく不定期の年2回刊予定である。しかし、「豈」は同人誌だが、「月鞠」は主宰誌。当然ながら主宰誌の方が筋の通り方がすっきりしているようだ。
その編集後記にはこう記されていた。

  立ち方は、一つです。
  照る日も陰る日も、互いに支え合うと決めてあるのだから、照るも陰るも、関係ありません。照る日も、陰る日も、堂々とまいりましょう。(編集発行人)

・閑話休題・・・
私ごとながら、昨日から、山の神がインフルエンザで寝込んでしまった。
まあ、薬がよくきいて回復基調ではあるが、従来にも増して主夫業に専心することと相成らざるを得ず、自らも大事をとって、当面する忘年会などすべてパスすることにした(御免!)。


                    マンリョウ↑

2014年12月22日月曜日

『昭和俳句作品年表(戦前・戦中編)』・・・



俳句にとってじつに貴重な書物が刊行された。『昭和俳句作品年表(戦前・戦中編)』(編集・発行現代俳句協会 発売・東京堂書店、2700円+税)である。俳句作品年表を作る案は、もとは現代俳句協会創立60周年記念事業として平成18年6月17日に立ち上がったという。雑誌の初出にあたり、表記を確認するなどのなかで、亡くなられた委員や、東日本大震災など、曲折を経てようやくなった一書である。すでに8年の歳月を要したということになる。さらに今後は戦後編に取り組んで行くとのことである。そうすれば、昭和という時代に書かれた俳句表現の来し方、更新され続けた俳句作品の志が一望できることになる。宇多喜代子は「おわりに」で、

これまでの俳句辞典や研究書などに附された「俳句史年表」は主に俳壇の動向や目立った俳人の句集の刊行年、俳誌の創刊などの記載が多く、それはそれでおおいに参考になる内容ではあったのだが、いわゆる流派党派を越えた俳人たちの作品を網羅した「俳句作品年表」というものがなかった。

本書に入集した句はあくまでも全俳句の一部であり、疎漏も多いことと思われるが、昭和を知らないお若い方々の、「昭和俳句」を知るきっかけ一端になればいいと思うばかりである。

と述べている。また、「はじめに」では、宮坂静生現代俳句協会会長が、以下のように記している。

従来から、昭和の俳句に関し、基礎資料がないわけではない。俳句家結社の動向や俳壇の状況や俳句運動についてまとめられた記録はある。しかし、俳句表現を重視して、その展開を跡付ける俳句作品年表は今回はじめてまとめられたものである。(中略)

纏められた俳句年表の特徴は編年体により昭和元年(一九二六)から昭和二十年(一九四五)まで四章に分けられ、作品は各省別に年次ごと、アイウエオ順に配列されている。
 一章は昭和元年から六年まで「ホトトギスの隆昌」、二章は昭和七年から十年まで「新興俳句運動起る」、三章は昭和十一年から十五年まで、「無季新興俳句の成熟」、四章は「昭和十六年から二十年まで「太平洋戦争下の俳句」がそれである。

そして、巻末に附された川名大「昭和俳句の軌跡ー解説にかえて」は貴重な俳句史を描き出し、懇切丁寧である。
俳人にとって座右に置きたい欠くべからざる一書となるにちがいない。
最初と最後部分を紹介しておこう。

【昭和元年】
雛の座にカチカチ山の屏風(びやうぶ)かな    相島 虚吼
水洟や鼻の先だけ暮れのこる            芥川龍之介
炎天や人がちいさくなつてゆく            飛鳥田孋無公
案山子翁あち見こち実や芋嵐            阿波野青畝
極寒のちりもとどめず巌ぶすま           飯田 蛇笏
死ぬものは死にゆく躑躅燃えており        臼田 亞浪
わらやふるゆきつもる                荻原井泉水
入れものが無い両手で受ける           尾崎 放哉
レール闇から曲がつてゐる             小沢 武二
凩のいづこガラスの割るる音            梶井基次郎
ねこに来る賀状や猫のくすしより          久保より江
したたかに水をうちたる夕ざくら          久保田万太郎
シャツ雑草にぶつかけておく            栗林一石路
     以下略 

【昭和二十年】
玉音を理解せし者前に出よ            渡辺 白泉
二日月神州狭くなりにけり             渡辺 水巴
鷹舞へりつねのごとくに天ヶ岳          吉岡禅寺洞
炎天の遠き帆やわがこころの帆         山口 誓子
芋の軸捨てたるごとく干すごとく         八木三日女
我が家の対岸にきて春惜む           森田 愛子
地に墜ちた椰子に蟻くる終戦日         宮崎 重作
いつせいに柱の燃ゆる都かな          三橋 敏雄
敗戦のただ中に誰ぞ菊咲かせし        三橋 鷹女 
門とぢて良夜の石と我は居り          水原秋桜子
みちのくに田螺取り食ひ在りと知れ      松本たかし
降る落葉椅子の形に椅子の荷着く      松原地蔵尊
   十五日妻を焼く終戦の詔下る
なにもかもなくした手に四枚の爆死証明   松尾あつゆき
妻の掌のわれより熱し初螢           古沢 太穂
徐々に徐々に月下の俘虜として進む     平畑 静塔
山茶花やいくさに敗れたる国の        日野 草城
  以下略

ハナヤツデ↑

2014年12月21日日曜日

六林男「水あれば飲み敵あれば射ち戦死せり」(「muyou・六曜」2014 no.37))・・・



「六曜」は「鈴木六林男」の「六」とその主宰誌だった「花曜」の「曜」を組み合わせた誌名である。編集・発行人を六林男の弟子だった出口善子が務めている。
去る12月12日は六林男の忌日、没後十年にあたり、鈴木六林男の特集を組んでいる。10年を過ぎてなお、各同人の師への思いは深まるばかりのようである。その中から六林男語録を引いてみよう。

 暗うつな時代には暗うつを、不安な時代には不安を鮮明にうたえない人間を信用しないことにしている。

あるいはまた、望月至高は「六林男没後十周年によせて」の対談で以下のように語っている。

六林男の俳句が読まれていくには、わたしたちの表現が、大衆の無意識の戦争の欲望を切り裂くインパクトが持てるかどうかということでしょう。

一人の作家が生涯を通じて自己更新して新しい作品を作り続けたなんてまずいませんよ。ほとんど自己模倣に陥ります。それよりも時代に掴まれた作家がどう時代に応えたか、それが評価の中心でなければいけないでしょう。(中略)俳句一般として通じる感性や永続的なものを犠牲にしても、その時代=「現在性」に固執し、時代の固有性としての表現を追求せざるをえない。六林男は虚子や加藤楸邨のように戦争協力をしていい思いをした立場ではない。戦地で銃弾を受け体内に残したまま九死に一生をえて帰還している。これが俳人として「現在性」に固執しなかったらアホでしょう。(笑)

また、岡本匡は、

先生は、1、戦争にこだわる。2、現実に異議をとなえる。3、未来を念頭に置く。を信条とされ、「戦争と愛」を終生のテーマとされていました。

と記している。

大道寺将司は、六林男「暗闇の眼玉濡らさず泳ぐなり」の鑑賞で最後に以下のように述べているのが印象に残った。

六林男は暗闇の眼玉濡らさずに泳ぐと言い切ることで、危うい時代、戦前に戻ってしまうかのようなきな臭い状況を、しっかり目を開き、紗をかけたり、歪ませたりせずに見るという覚悟を詠んだのではないでしょうか。
 掲句の詠まれた時よりもまさに今その覚悟が問われているが故に瞠目しないわけにはいかないのです。




2014年12月20日土曜日

大岡頌司「ともしびや/おびが驚く/おびのはば」(「未定」98)・・・



第二次「未定」98号、表Ⅱの「一句鑑賞エッセイ」は田沼泰彦。その卓抜な俳句形式への識見を紹介したい。大岡頌司の三行の俳句に対して、次のように言う。実に見事な言い表しようである。

 そもそも俳句形式の成立には、必然性という「(不在=存在)証明(アリバイ)」を必要としたが、形式の破壊をアリバイにした重信を除けば、誰もがアリバイを探しあぐねていた。その中のひとり大岡頌司だけは、端から必然性を放棄していたと言っても過言ではない。その多行形式は、あたかも約束事であるかのように、上五・中七・下五で改行した三行表記で、改行の必然性として誇示できるような方法的道筋は見えない。そこには重信の敗北によって「形式」から姿を変えた「俳句形式」という、鄙びた風景があるばかりだ。敗北によって灯火にさらされた「俳句形式」には、すでに勝ちもなければ負けもない。勝ちといい負けといい、それは人知によって認識された存在様態に他ならず、大岡俳句の風景と人知とは相容れない。そこには、あたかも自然が分娩したような産血の温もりが感受される。つまり、大岡の前衛性とは、言葉の存在様態をその意味ではなく、その肉体性に求めた点にある。大岡の「アリバイ」とは、胎内回帰願望でもあるのだ。

     
田沼泰彦は先般『断片・天国と地獄』を刊行し、詩編と三行の句を縒り合せて、その出発からすでに独自の境地を展開している。
安井浩司はその書評に「昨今の俳句界に突如現れた新星である。しかし、彼を俳人と称するにはためらいがある。私には当初から、彼を詩人と呼ぶにふさわしい思いを遂に消すことが出来ない」とエールを送っている。
ともあれ、大岡頌司の三行句を以下に・・・

     ちづをひらけば
     せんとへれなは
     ちいさなしま


     しばのとを
     たたきつづけて
     われとなる

     花の忌や
     筑波も翔べぬ
     風の鷺



2014年12月18日木曜日

出光美術館「仁清・乾山ー風雅のうつわ」等・・・・




野々村仁清(ののむら・にんせい)、尾形乾山(おがた・けんざん)ともに江戸期の陶工。乾山は尾形光琳の弟で、画業は当然として、仁清に陶法を学んだという。京焼の上絵装飾を大成させたのが仁清ということになってるが、生没年ともに不詳。いわゆる仁清焼。
ともあれ愚生は全くの不安内なのだが、乾山の百人一首の色絵の皿、和歌の龍田川文の鉢などには興趣をそそられた。
「風雅のうつわ」と題されてはいたが、いかんせん風雅をめでる心映えにいまいち乏しい愚生にはもったいなかったかも知れない。
とはいえ、出光美術館の窓から見下ろす皇居の景色の美しさには見惚れた。



一方、パナソニック汐留ミュージアムはイタリアの画家「ジョルジョ・デ・キリコ」。副題は「ピカソが畏れた。ダリが憧れた」。こちらはシュルレアリスム絵画に影響を与えたというだけあって、幻想的な面白さがあった。このミュージアムの隣にあるのが旧新橋停車場・鉄道歴史展示室で、入場料無料ながら鉄道にまつわるあれこれは、鉄男、鉄子でなくても見て楽しめる。



冬空をいま青く塗る画家羨(とも)し           中村草田男
冬に飽き画廊土色の裸婦ばかり           澁谷  道
ボナールの海男はいつも毛糸着て          坂口漄子 



府中市内の公園にて↑



2014年12月16日火曜日

安井浩司「青銭やけむりしかけてわが奴(やっこ)」・・・



                                       酒巻英一郎と安井浩司↑

某日某夜、『安井浩司俳句評林全集』沖積舎刊行の労をねぎらって、酒巻英一郎(「「豈」事務局・「LOTUS」発行人)と安井浩司は卓を囲んだ。
表題に掲出した句は、「ユニコーン」第1号(昭和43年5月・ユニコーングループ・編集発行人、門田誠一)からの句である。
安井浩司によれば、過ぎること50年近く前、現在も続く、上野のこの鰻屋で「ユニコーン」立ち上げの謀議が重ねられたという。高柳重信の磁場から、もう一つの磁場を創造そようとしたそのエネルギーの渦中、最後まで、微笑みを絶やすことのなかった折笠美秋だったが、ついに首を縦に振らず「ユニコーン」に加わらなかった、と安井浩司は語った。その折、そこにいたのは大岡頌司、聞き漏らしたが寺田澄史あたりだったのかも知れない。その中心の一人・加藤郁乎はその誌に句を発表することはなく詩編のみを発表した。4号で事実上分解、終刊してしまう。
因みに同人名簿には、以下20名の俳人が名を連ねている。

伊藤睦郎・馬場俊吉・徳弘順一・大岡頌司・大橋嶺夫・大原テルカズ・加藤郁乎・吉本忠之・竹内義聿・竹内恵美・八木三日女・安井浩司・前田希代志・松林尚志・前並素文・藤吉正孝・酒井弘司・島津亮・東川紀志男・門田誠一。

いまはすっかり消えてしまった幾人かの俳人がいる。



この日は、前々日から秋田県に降り続いた大雪が心配されたが、安井浩司は無事上京・・・。企画編集校正を担当した酒巻英一郎と版元・沖積舎を訪問。





2014年12月12日金曜日

宇多喜代子さんとの夕べ(さろん・ど・くだん 第11回)・・・



昨夜は、山の上ホテルで「さろん・ど・くだん 第11回 宇多喜代子さんとの夕べ」に出かけた。
宇多喜代子の講演は、古代米・赤米を発見し、神事で行うためにのみ唯一、栽培されてきた赤米を宇多喜代子とその友人が見つけ復活にこぎつけ、ルーツの中国にも何度も出かけて行ったこと。今では、その杯いっぱいのわずかの赤米が一粒万倍となって、それが売られてもいること。そうしたあれやこれやを実際に田んぼ作りから行ってきたこと、農耕の現実が歳時記のそれにどのように反映され、またずれてきているかなど、興味深いものであった。
今年栽培された赤米の穂を持ち出しされた時には、その赤い穂の美しさに会場には、歓声とため息が漏れた。
そして、それが「枕草子・第210段」には、稲を刈る姿と共に「これは 男どもの いと赤き稲の 本ぞ青きを 持たりて刈る」と書かれていたことを見つけたと話された。

                                      

当日は、また、『宇多喜代子俳句集成』から『円心』の冊子を抜き刷りして第七句集として配布された。句集名の由来は、なかに「円心 三十句 三月十一日以降 原発を円心として」と前書が付された句群が収載されいることから。
それらの句以外からも以下に少し掲げておこう。

     満身に春風一生かくも長し        喜代子
     生きているか動物図鑑の蛇や亀
         長崎
     臥してみてまことに青き芒原
     いま飲んだ水を涙に夏夕べ
     終戦といえば美し敗戦日
     八十になればなったで汗しとど
     わが地球きみの地球や薄氷
     並び出て毒かもしれぬ蕨の芽
     団体で来てみなひとり春田べり




   

2014年12月7日日曜日

竹岡一郎「邯鄲落とせば空井戸少し湧くかしら」(ガニメデVOL62)・・・・



「GANYMEDE 62」、詩の雑誌とばかり思っていたら、詩歌文藝誌とあって、詩・短歌・俳句・批評、無いのは小説だが、総合文藝誌の趣。とにかく一挙に俳人の搭載数が増えているのに少し驚いた。それもいわゆる結社主宰者クラスというところ、それも句数は多くは50句、また箭内忍にいたっては詠み下し小句集100句というから、いずれも力技というべきか。とはいえ、ここでは全員を紹介する余裕もないので、贈呈をいただいた幾人かの方々と「豈」同人のみ、愚生好みの句を挙げておこう。

   砲撃のいくつが鳩に変はるだらう        青山茂根
   凍結精子ずらり兵士の名が書かれ
   立ち上がるための木が無いよ焦土

   捲らるるへのこへ何で虹の熟(うれ)       竹岡一郎
   ジョージとジュンもつるる溽暑嗚呼うつちやり
   視えるものみな揉みにけり月球も

   糸電話よりがうがうと滝の音           広渡敬雄
   うす紅の貝の箸置き大南風
   ノから乃に四股名を変へて藍浴衣

   拡げたる五指より生まれ海に虹         花谷 清
   弾かれており抱かれており白露
   つゆけしやチェルノブイリの首飾り

   重力は磁石に敗れ蟬の声            関 悦史
   月蝕に勃起止まぬと言ふ男
   ビニール傘もフェンスも枯蔓に呑まれ
   

因みに、搭載された他の俳人諸氏は、鳴門奈菜、増田まさみ、小野あらた、滝澤和治、長嶺千晶、渋川京子、大木孝子、福井隆子、浅井民子、大島雄作、加古宗也、柴田佐和子、対中いずみ、辻美奈子、西山睦、橋本榮治、渡辺誠一郎、ふけとしこ、藤本美和子、峯尾文世、本井英、井上康明。

枯れリュウキュウカラスウリ↑

2014年12月2日火曜日

佐藤文香「手紙即愛の時代の燕かな」・・・



掲句は、佐藤文香『君に目があり見開かれ』(港の人)より。
いまは、「手紙即愛の時代」ではないのだろうか。それとも、そういう手紙が出されない時代だからこそ、かえって「手紙即愛の時代」になってしまうのだろうか。
前者なら、謹呈の便りに付されたように「三橋敏雄・渡邊白泉を、とくに近しく感じるようになりました。自分なりに新興俳句を更新するべく、新しい俳句を書いていきたいと思っています」という戦前の新興俳句の時代に近い、手紙のことだろう。
愚生にとっては、三橋敏雄も高屋窓秋も最後まで新興俳句の俳人だったという印象だ。それは二人ともついに最後まで時代と社会における自身の在りようを書き続けた俳人だった、ということである。
 ならば、その片鱗を佐藤文香の句に認めることが可能だとすれば、それは現代の現在の猥雑さを句に留めようとする痕跡を認めることができるか否かということにかかっていると思う(たとえ「レンアイ句集だとしても)。

    人待てば樹は春雨に重くなり         文香
    掛け時計外しその釘に吊る薔薇
    店を出てさつきの昼の月の続き
    焼林檎ゆつくり落ち込んでゆく
    遺影めく君の真顔や我を抱き
    
新興俳句はただ新しかっただけではない。時の権力に弾圧されるのにはそれだけの理由があったはずである。逼塞の時代を生きている見開かれた目ならば、かならずそれを見届けるにちがいない、と期待したい。

   柚子の花君に目があり見開かれ

ともあれ、出版される最近の句集の句の多さには少し辟易していたので、6年間161句は読むには程よい句数だった。帯に自選句や代表句がなく、少なくとも中を読もうと思わせるのもよい。


                        冬タンポポ↑

2014年12月1日月曜日

句を成す友よ、『安井浩司俳句評林全集』・・・



 現在、安井浩司の評論を読もうとすれば、それなりの困難が伴う。平成13年頃、一度、散文の断筆断筆宣言をしたという安井浩司は、その後、その表現行為のエネルギーをほぼ膨大な俳句を作り続けることに費やしてきた。
 さらに既刊の評論集『もどき招魂』(端渓社)は絶版であった。それに『聲前一句』(端渓社・新装は沖積舎)、『海辺のアポリア』(邑書林)、新しく四番目の文集「拾遺編」が加わって一本の大冊・『安井浩司俳句評林全集』(沖積舎)が成った。
酒巻英一郎企画編集校正による仕事であると扉裏に記されている。現「LOTUS」発行人・酒巻英一郎は先に彼の師であった『大岡頌司全句集』(浦島工作舎)に関わり、金子弘保ののち、この間の安井浩司の句集のことごとく、また『安井浩司選句集』(邑書林)の刊行に尽力してきた。それにも敬意を表したい。酒巻英一郎には幾たびか、自身の三行、多行の句集の刊行を勧めたことがあるが、彼は、自らの著は、願わくば遺句集即全句集一冊で良いと取り合わない。
 ともあれ、『安井浩司俳句評林全集』、とりわけ「拾遺編」には近年の安井浩司の志向がうかがえ、俳句の風景においても、もはや遠く忘れ去られてしまったかのような俳句形式に対する精神をそこに想うことができる。
「拾遺編」の「虚空山河抄ーあえかなる私記」の最後部分を以下に引いておきたい。

  最期に申そう。いわゆる日本的知性の父母たる東洋における古代実存、古代存在論にはそれ自身大いなる虚(空)を知らねばならないのだ。虚なるものを限りなくふくらませ、はぐくんで来たもの、それがことばの智恵というものではなかったか。よきにつけ、あしきにつけ、そこを担うのが詩の宿命でもあるだろう。
 句をなす友よ、いずれにせよその荒野の軌なき道を歩む外は無いのである。