2015年2月4日水曜日

「あまた光る星に蝌蚪の眼追ひゆけり」敏雄・・・8



1936年(昭和11年)、三橋敏雄16歳。敏雄が勤務していた社内俳句研究会「野茨吟社」の機関誌「野茨」第6巻第2号のガリ版印刷、製本が終った翌朝、2.26事件が起きている。勤務していた東京堂の前方右手にあった軍人会館に戒厳司令部が置かれた。そして、「野茨」とは別に、同年7月、三橋敏雄にとっては、自ら編集した初めての同人誌「合歓」を創刊する。ガリ版を切った。その創刊号に三橋敏雄は二篇の詩と「蝌蚪の幻覚」5句と「房州小映」2句を発表している。
このあたりの事情については、やはり遠山陽子『評伝 三橋敏雄』が詳しく、2編の詩、句作品、編集後記のすべてを記録し掲載している。そのほか「合歓」には、「帰路」と題して中央本線に乗って実家に帰省した折の父母兄弟・家族のことを描いたエッセイも載せている。早熟、多感な少年のものである。
『三橋敏雄全句集』(立風書房・昭和57年)の著者略年譜によると、「並行して、『馬酔木』十月号の水原秋桜子選に一句入選。同十一月号にも一句入選。『句と評論』十二月号の選者名のない選句欄〈句と評論俳句〉二句入選。その他の新興俳句系数誌へも変名で投句入選したおぼえがあるが、只今のところ追尋不能」と記されている。
このブログでは、参考までに句作品のみを以下に再掲載しておくことにしたい。

         蝌蚪の幻覚
   暮れてゆく蝌蚪の頭に陽が落ちる
   蝌蚪の池樹下生魂のうごめきよ
   樹下の蝌蚪青さにもれぬ陽に暮れぬ
   蝌蚪走る尾のきらめきに星あまた
   あまた光る星に蝌蚪の眼追ひゆけり
         房州小映
   太平洋つきず春潮躍る見ゆ
   雲雀澄み空の碧きに弧と落ちぬ

                 枯れツワブキ↑

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