2015年2月6日金曜日

「朝」第一号 「揺りいづる鐸(すず)の数の 六つ・・」・・・9



「朝」(昭和13年1月1日発行・編集兼発行者 寺川長次・朝発行所)第一巻・第一号は、藤田初己、細谷碧葉、中臺春嶺が寄稿し、同人作品欄は14名。同人欄のトップは三橋敏雄である。同人は三橋敏雄、寺川峽秋、野村盛明、蠟ほむら、岡澤正義、石川一雄、星暁光、牧三郎など。細谷碧葉は細谷源二、石川一雄は後の石川桂郎のことである。
その「朝」創刊号の扉に記されている言葉が「揺りいづる鐸(すず)のかずの 六つあまり 七つか、八つ」。
編集後記には峽秋、敏雄、三郎のそれぞれが記し、句会案内は第一回三田俳句会「時・・・昭和十三年一月二十三日(日)午六時/場所・・・三田大和屋フルーツパーラー(慶応義塾正門前)、省線田町駅より三分、市電三田三丁目下車/費・・・30SEN/雑詠五句 ハガキにて前日中左記宛御送付のこと/芝句三田豊岡町四二 林三郎方」とある。
その編集後記に三橋敏雄は以下のような決意を述べている。

 昨日のかゞやかしき新興俳句運動をこヽにわれらが心情ふかく受けつぐべく、その出発点を、この「朝」に託したからには、先づもつてそれを実行いたさねばならぬ。 (敏雄)

発表された句は5句。

         断章                        三橋敏雄

   窓の海あかときくろしちるいてふ        『太古』所収
   水重く飲めり陋巷のからす啼き
   かぜのまの家々くろく落葉せり
   月あかり衢に坂が多く照る
         日光
   日はしろき神厩あり馬を見ざる    『太古』所収(白日の神厩あり馬を見ず)

三橋敏雄、いまだ17歳。「朝」一号発行直後の1月3日に女優・岡田嘉子はソ連に亡命。4月には国民総動員法が公布され、5月に日本は徐州を占領した。8月、火野葦平『麦と兵隊』が刊行され、三橋敏雄が18歳の誕生日を迎える直前の11月、戦火想望俳句の呼称の源となった「支那事変三千句」が「俳句研究」で特集された。



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