2015年3月24日火曜日

岡田耕治「日本国憲法の蛇穴を出る」(「香天」38号)・・・



「香天」の誌名は、岡田耕治の師・鈴木六林男の「荒天」に通じていよう。その岡田耕治の最近の多作ぶりは、「花曜」同志だった久保純夫の多作ぶりをも同時に想起させる。今号でも「香天」の代表作品として75句「日本国憲法」、特別作品15句「テレパシー」を合わせると90句程発表されている。これほどの句数が毎号発刊のたびに発表されているわけだから、愚生のような、俳句を作らない俳人と揶揄されているような者からみれば驚嘆に値する作句数なのである。
思い起こせば、岡田耕治は愚生ともども戦無派集団・「獣園」(1970年創刊)の同人だったことがある。久保純夫・土井英一・城喜代美・中川雅善・さとう野火・北野真輝などという青少年が同人だった。
彼のその後についての詳しいことは知らないが、岡田耕治のデビュー作は「稲車うしろはだれも来ぬ夕焼」。彼が15歳のときだという。今手元に偶然のようにある「獣園」16号(1975年6月25日)の特別作品15句「無名風土」の評を土井英一が次のように記している。紹介しよう。

 この特別作品における言葉遣いもどこかにハンマーで打ちかいた岩のようにゴツゴツしたところがあって措辞も豪胆である。言い澱んだりしない。少々強引でも言い切ってしまう、あるいは言い放つ。ディオニュソス的精神をよろこぶ現代にあって彼は敢然とアポロン的精神で立ち向かうようである。
 第四、五、六、八、十五(「大量の椎茸をもぎ尿白し」「菊揺らしシーツとりこむ夕べかな」「花疲れ少女らにある鼻の穴」(百合の芽に遊ぶ子臭いだす湿地」「混まぬバス暗(やみ)に充ちいたり花の下」)の抒情のとどめ方、粗削りだが重い。逆に第三、七、十三句等(「やわらかき婆かしこまる露天風呂」「長靴の少女絵帽子水あそび」「脱ぎし靴すぐ屑となる春の浜」)等はこの作り手にしては凡庸の部類に属するであろう。ともあれ将来大なりと感じさせる作品である。

昭和29年生まれの岡田耕治、その若き日、21歳の時のことである。すでに「海程」「花」の同人でもあった。そして今、40年前の土井英一の評言の見事な的中度、慧眼を思う。岡田耕治の俳句の書き方は不変であり、その将来への占いも当たった。

   テレパシー鯨の肉を食べてより            「テレパシー」より
   クッキーの匂いをさせて歌留多読む
   糠床に一夜沈みて初わらび
   老人に勇気ありけり朱欒剥く           「日本国憲法より」
   朝まで点る電球悟朗逝く
   あふれ出す手応えのあり春の水  
   日本国憲法の蛇穴を出る



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