2015年3月19日木曜日

「誰も知らない屋根裏の鶴の村」(西川徹郎自選句集『少年と銀河』)・・



1200ページに及ぶ大冊・西川徹郎論集成『修羅と永遠』(茜屋書店)が刊行された。
帯には「〈17文字の世界文学〉実存俳句の提唱者西川徹郎の俳句革命50年記念論叢 日本文壇・詩歌壇・思想・哲学界の第一人者73名による西川徹郎論の歴史的集成」とある。
惹句の通りその質量は圧巻であることは間違いない。
西川徹郎を知るに便宜なのは、加えて西川徹郎自選句集「少年と銀河」(自選811句)、西川徹郎自選歌集「空知川の岸辺ー十代作品集」(自選282首)、さらには、第1章「永遠の少年 其の一」に収載された論考が、先の『幻想詩編 天使の悪夢九千句』(茜屋書店)を評する筆者9名、平岡敏夫、野家啓一、倉阪鬼一郎、稲葉真由美、俳人では遠藤若狭男などによる書下ろしの力作ぞろいだということであろう。
その他の論考の多くの再収録は、帯にあるような各界著名人のものであるが、吉本隆明、菱川善夫、笠原伸夫、清水昶、立松和平、松本健一、佐藤鬼房、三橋敏雄、阿部完市、和田悟朗、攝津幸彦など、すでに鬼籍に入った人もかなりいる。
また、資料編として西川徹郎の評論、エッセイもある。

西川徹郎は。「豈」の創刊同人でもあった。攝津幸彦の葬儀、攝津幸彦全句集刊行時の偲ぶ会にも遠路、旭川から駆けつけてきてくれた。西川徹郎の激越な文章からは想像もつかない、いわば僧侶らしい、礼儀正しい人だという印象だった。
6年ほど前だろうか、愚生が「俳句界」に勤め始めたばかりの頃に、不定期だが、俳壇では異端、異貌の巨人俳人を特集する企画があって、その一回目が西川徹郎だった。
旭川空港にカメラマン・赤羽真也(本著の口絵写真)と二人で降りた時は、数日前の初雪が少し残っていた(旭川空港へは現代俳句協会青年部シンポジウムで降りて以来、二度目だった)。
インタビューを終えて翌日は、新城峠、黎明舎など西川徹郎の原郷を案内してもらった。
インタビューの場所は西川徹郎文學館だった。現役俳人で個人文學館が建設されたところをみると、地元の名士の一人だったにちがいない。
その孤高・異貌の巨人俳人特集も、二人目の加藤郁乎をもって中断した(しかし、想い出深い体験をさせてもらった)。


                マンサク↑

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