2015年5月31日日曜日

羽村美和子「青葉谷ふと人消える駅がある」(「豈」句会)・・・



昨日は、隔月開催の「豈」124回東京句会だった。
いつもより参加者が少なかったが、それはそれなりに充実した句会となった。
無点句については、なぜ無点だったのか、句を罵る??ことに・・・。
筑紫磐井から「俳句四季」が「豈」35周年の記事を載せて呉れると言っているので、最新の句会の写真を調達するように言われていたので、少人数ながら、「豈」としてはじつに珍しい集合写真を撮った(当ブログには愚生は撮る側なので写っていません)。
以下に、一人一句を挙げる。

   夕暮の四隅あいまい青蜥蜴              羽村美和子
   俳句の幻肢と馬体を洗うなり              川名つぎお
   陽炎や梯子に足を掛けるとき             吉田香津代
   ―・―・・シホカラトンボ帰投せり            鈴木純一
   幻影の雨呼ぶ酒瓶桜桃忌               福田葉子 
   金銀花ルネッサンスの澁谷村             早瀬恵子
   妖として大森林のこもれ陽よ              岩波光大
   ヒロシマ・ナガサキ・フクシマ・ニッポンされど母国よ  大井恒行



2015年5月28日木曜日

「豆句集 みつまめ」(2015年立夏号)・・・



「豆句集 みつまめ」(通巻6号・みつまめ工房)、文庫本サイズ、しかも12ページの薄さ。かわいい句集で、オジサンの愚生としては、可愛い子を見るとほっておけないタチだから、というわけで各人一句を紹介しておこう。
立夏号とあるところをみると季刊なのであろう。

     信号を待つ月曜日燕来る        梅津志保
     野晒の国やいつしか船も背も      井上雪子
     花冷えの非常階段からふたり      吉野裕之

そういえば、過日、吉野裕之は歌集『砂丘の魚』(沖積舎)を上梓していた。

   屋上に集まっているこどもらは風の組織を見ているらしい    裕之
   鹿に会い戻ってきたる妻の顔О氏と同じ疲れありたり
  
初めて知ったことだが、吉野裕之の妻は髙橋みずほらしい。 その高橋みずほにも過日、歌集『ゆめの種』(沖積舎)を恵まれていた。

   冠毛にゆめの種をはこばせてこの道は夕暮れとなる      みずほ
   来る年のひめくりにある誕生日白山茶花の下の吉日



                   ワルナスビとテントウムシ↑

2015年5月25日月曜日

首くくり栲象(たくぞう)「5月の庭」・・・・





昨夜は久しぶりに首くくり栲象の「庭劇場」にでかけた。木戸銭は1000円。雨天決行だが、雨の予報はなくなって天気はまあまあ、空には三日月があった。
それでも、野外は冷える。持参したウインドブレーカーが役に立った。
観客は愚生を含めて8人(内外国人2名)だった。アクションは一時間弱で終わったが、恒例の手作りの焼きそばに焼酎が出て、みんなで語る。といっても首くくりが中心。観客はいつ行っても若い人がほとんどだが、今回は愚生より上の72歳の元気な人が居た。
庭劇場は国立の彼の自宅。鬱蒼と木々や草に覆われている。
今は十薬、合歓の木の葉は閉じていた。紫陽花、山吹、棕櫚、無花果、そして首輪のぶら下がった乙女椿の木。
首くくりの記憶によると愚生が前に来たのは2年半くらい前だそうだ(庭劇場は毎月月末あたり三日間くらいの公演、よく覚えているものだ)。
公演が終るとどこからか、気配の全くなかったカメラマン氏が現われた。昨年あたりから首くくりのドキュメントを撮影しているらしく、映画監督をされているとのことっだ。紹介されたのだが名前は失念した(昨年公開された映画は、たしか「みずち」と言っていた)。
帰りに、先日、小豆島に約十日の巡礼の旅をしてきたと言う首くくりから、オリーブ油を土産にもらった。




首くくりの案内のメールには、以下のように書かれていた。

頬に指を当てると砂がこぼれた わたしは海を見ている 知らぬ間に飛砂が貼りついていたのです 海は広い 茶色の子犬をつれた少女が波打ち際へ一気にかけ降り提げた白い手提げから白い球を取りだし汀に放った 

ワタシハ魂ノ存在ヲ承知シテイル マズ天ガ宿ッタヨウニ胎内デ心臓ノ鼓動ガ宿リ カラダノ隅々ニ雨ノヨウニ光ノヨウニ雪ノヨウニ降リ注ギ 魂ノ種トナッタ 脳ハソノアトデ…

午後も傾きわたしは浜辺を離れローカル線に乗りました 遠望は霞んで 霞んだその色しか見えません しかし西陽が輝きだすと車窓いっぱい蒼き色の山系が忽然と現れてきました


今夜と明日は午後8時開演。



                ジャガイモ↑

2015年5月24日日曜日

「老夫婦とは同志なりけり龍の玉」(岩崎喜美子句集『一粒の麦』)・・・



岩崎喜美子句集『一粒の麦』(角川学芸出版)。装幀・田中淑恵。瀟洒で美しい句集である。
遺句集にして第三句集。夫君・岩崎正視が故人の遺志に添って上梓されたとのことだが、思わぬ急逝のことゆえ、残された原稿を「門」の仲間に託されたと「あとがき」にある。
従って、序句と帯の選句は「門」主宰の鈴木節子。跋の鳥居真里子によると、訃の届く2時間前、元気で「さよなら」と電話を切り、その電話での句が「望郷や麦秋の波豊かなり」(喜美子)だったという。
句集名となった『一粒の麦』は岩崎喜美子の最初の師・能村登四郎にちなむ句による。

    一粒の麦が穂となる登四郎忌          喜美子

以下に、いくつか、愚生の好みの句を挙げておこう。

   鳥はひかり人は影曳き日脚伸ぶ
   蒼天は天の表よ鶴の舞ふ
   針山の中は我が髪久女の忌
   笹鳴や山はしづかに水を産む
   なやらひを昨日に山の薄目かな
   晶子忌の夏風邪の身のおき処
   老夫婦とは同志なりけり龍の玉

岩崎喜美子、1930年名古屋市生まれ、享年83.


                    
                                       ユスラウメ↑
                
                

2015年5月22日金曜日

久保田紺「ぎゅっと押しつけて大阪のかたち」(『大阪のかたち』)・・・



川柳カード叢書③・久保田紺句集『大阪のかたち』(川柳カード)には大阪弁の句がかなりある。
いくつかを拾ってみよう。
(まあ、言ってみれば大阪弁は大阪のかたち、ということでこじつけたに過ぎないが・・・)

    やさしいところが曲がるんやと思う           紺
    こんなとこで笑うか血ィ出てんのに
    うつくしいとこにいたはたったらええわ
    絶叫のカバ誰が妖怪やねん
    おっちゃんの青いところはなんやろう
    誰も見てなくてもたぶん踊らはる
    どこの子やと言われたときに泣くつもり
    やっほーうちのほうがえらいことやでー
    泣きながらそっと一マスあけはった
    モザイクかけたらデートしてもええよ
    線路が曲がるくらいおこったはるねんて
    お愛想の顔のまんまで寝たはった
    うちに言うたら秘密ではなくなるで
    あの人とはなんにもなかってんほろほろ
    
川柳の言葉は実に自由だと思う。人の心理の機微を表現するには、俳句と同じ五・七・五でありながら、この離れかたにははるかな何かがある、と思える。
「大阪のかたち」といいながら、しっかり「その大阪はわたしのと違います」とも記している。
現代俳句は多く題詠を捨てたが、川柳は今でも題詠が主流のようである(愚生の勝手な推測だが)。つまり、短歌・俳句・川柳の定型詩の伝統がいまだに守られているのが川柳ということになるのかも知れない。
愚生好みの句を以下に挙げよう。

    銅像になっても笛を吹いている
    海はまだか海に出たくはないけれど
    裏切ると豪華賞品が出ます
    回っているからとうさんはだいじょうぶ
    着ぐるみの中では笑わなくていい
    傾いたままで結構走れます

小池正博は解説「人間のグレーゾーンー久保田紺の川柳」で、以下のように見事に評している。

  この句集のどのページを開いてみても、そこには久保田紺の川柳眼がとらえた人間の姿がある。それはちょっぴり悪意の眼で眺められていたり、冷徹であったりするが、冷酷ではない。だから彼女の句に似合うのは「痛い」ではなく「痒い」である。


最後に愚生の献句を・・・

    大阪のかたちをいえば久保田紺       恒行

久保田紺(1959年生まれ、2005年川柳を始める)。


                ブラシノキ↑

2015年5月21日木曜日

横山白虹「ニコよ!青い木賊をまだ採るのか」・・・



寺井谷子の著書が続けて出版された。一冊は『共に歩む 横山白虹・房子俳句鑑賞』(飯塚書店)、もう一冊は句集『夏至の雨』(角川学芸出版)。
『共に歩む』は、「自鳴鐘」に連載されたものを纏めたものという。一章の「評伝・横山白虹」には、横山家が代々長州毛利家に仕えた士族とあったり、NHKドラマの「花燃ゆ」ではないが祖父幾多郎は松下村塾で学んだこともあったというくだりがある。
愚生は、ただの庶民に過ぎないが、生まれが山口こと長州なので、それだけで少し嬉しくなる。
追われた故郷も今や懐かしい。二章「白虹・房子十二か月」、三章「房子春秋」も月々の俳句を鑑賞するなかから文字通り白虹・房子の生涯が浮かび上る。

   雪霏々と舷梯のぼる眸ぬれたり       白虹
   ラガー等のそのかちうたのみじかけれ
     ニコは娘谷子の愛称なり
   ニコよ!青い木賊をまだ採るのか
   原爆忌乾けば棘をもつタオル        房子
   霧こめて河原ひろがる白虹忌
   夏潮のうねりぞ遠き日のうねり

句集『夏至の雨』は寺井谷子の第六句集。白虹・房子と続いた「自鳴鐘」を当然のごとく継承して主宰となった日々が重なっている。昭和23年6月に復刊された「自鳴鐘」も800号、もの心ついてからの寺井谷子の歩みと重なる。「俳句は私にとって一本の鞭である。私は私の一本の鞭を対立(バランス)を以てささえ様とする。形式上の対立。旋律上の対立。情緒の対立ー」(白虹)の言をささえに、新興俳句の系譜につながる志を生きる寺井谷子がいる。
「新興俳句は即社会性俳句である」と述べたのは確か三橋敏雄だった。

   八月がくるうつせみとうつしみ       谷子
   原爆投下予定地に哭く赤ん坊
     〈枯草のひとすぢ指にまきてはとく 白虹〉
   枯草のやさしき縛を愛しめり




   

2015年5月20日水曜日

仁平勝講演「虚子の『いひ現はしやう」・・・


                     仁平勝氏↑

昨日5月19日(火)は俳人協会の「平成27年春季俳句講座」、仁平勝講演「虚子の『いひ現はしやう」が行われた。会場70名は、人気を反映してか、ほぼ満席だった。本井英や筑紫磐井、そのほか井上弘美など見知った女性俳人も幾人かがいた。栗林浩夫妻も居られた。この講座の担当者は、今井聖だった(失礼にも今井さん、こんなところで何してんの?と言ってしまった)。
仁平勝とは結構長い付き合いなのだが、講演のなかで披露した端唄「木遣りくずし」を聞いたのは初めてだった(カラオケで沢田研二のオンステージをやってもらったことはあるが)。
内容は少し挑発的に「くたばれ!取り合わせ」、「虚子の言葉は自由だった」などなど。また「切れ」についての昨今の「切れ論」についての彼の持論を展開していて、さすがに聴衆を退屈させない話術は見事だった。


                 左より、伊丹啓子・愚生・沖山隆久(撮影・鎌倉佐弓)

☆閑話休題・・・
今日は、一ヵ月に一度の持病のための漢方医に渋谷まで通っているので、ついでにといっては、これも失礼だが(せんじ薬をもらうまでの長~い待ち時間)、神保町まで足を延ばして(夏石番矢自筆百句色紙展」に行った。
夏石番矢は授業があって不在だったが、鎌倉佐弓、ギャラリー主の沖山隆久、そしてこれまた久しぶりに伊丹啓子にお会いした。沖積舎の立ち上げの頃から考えると、その社史も、もう43年だという。あまりに懐かしい思い出話で盛り上がった。
神保町の3番出口から2分、ラーメン二郎の対面が沖積舎ギャラリーだ。今週、土曜日には朗読会をやるとのことだった(興味がある方は是非、聞きに行って見てください。ゲストの方でアラビア語による俳句朗読もあるとか)。近くには俳人御用達の伊藤伊那男の銀漢亭もあるし、図書新聞も近い。もっとも、三十年前くらいには、このあたりでよく某社の社前抗議集会があった。岩波信山社ブックセンターも近い。思いもよらず、あれこれ懐かしいひと時を過ごしたのだった。


                 テイカカズラ↑

2015年5月18日月曜日

伊丹三樹彦「超季以(も)て 俳句は世界の最短詩」・・・



ほぼ、時を同じくして三冊の書物が届いた。金子兜太と並ぶ95歳翁・伊丹三樹彦(写俳亭)の仕事だ。病から回復されての復活だから、そのエネルギーは敬服に値する。
句集『存命』(角川学芸出版)はすべて新作、書下ろしのようなのだ。

   往生とは無縁の最後 原爆忌         三樹彦
   吾去りしあとは人来ず 寒緋桜
   汗饐えし一兵おのれ 草に仰臥(高槻工兵隊)
   救急車 いや消防車 いや遠吠え  

『海外俳句縦横』(本阿弥書店)は、赤尾兜子・眉村卓などと行った渡欧の旅からはじまる、称して男爵ツアー。 

  火山島嶼 爆発し 凝固し 誕生し
  樹には樹の 花には花の 精の息
  亦も肩すくめて 失語の 落葉のパリ

『写俳亭俳話八十年(不忘一枚連結便②)』(青群俳句会)は雑誌「青群」に連載されていた「不忘一枚連結便①~のエッセイをまとめたもののようである。巻頭には先般亡くなられた三樹彦夫人「伊丹公子の臨終」から始まり、「公子家族葬の日々1~4」に続いていく。「不忘一枚連結便」のミニ・エッセイはもともとは三樹彦の若き日、過去のあれこれの体験を綴った内容だった。さまざまな俳句や俳人をめぐる話が面白い。その掲載誌「青群」の表紙裏には草城、三樹彦の以下の箴言が掲げられいる。

   俳句は諸人旦暮(もろびとあけくれ)の詩(うた)である     草城
   語句を削るに心を削る
          それが俳人を鍛える                 三樹彦

思えば、かつて愚生が現代俳句協会員になったとき(当時はまだ推薦人が必要で、選挙によって10票ほどを獲得することが当選ラインだったような・・・)、その新人参加の懇親会の席で、伊丹三樹彦に「君は俳人らしくないなぁ・・」と言われたことを思いだす。もっとも、参加していた多くの俳人のなかで、一番俳人らしくなく、いかにも自由人らしい服装をしていたのが伊丹三樹彦だった。



2015年5月16日土曜日

「朝波夕波」第10号(1988年10月16日発行)・・・



(前々回の続き・・)眠っていたファイルからもう一つ昔のことが出てきた。
「朝波夕波」である。編集発行人は坪内稔典。これは「個人雑誌《船団》の定期購読者への通信をも兼ねています」とある通り、当時の《船団》を応援しようという人たちが定期購読を申し込んでいたが、なかなか発行されない《船団》がまだまだ続くよ、という坪内稔典のメッセージだった。それには、

 《船団》4号がやっと出ました。この雑誌、創刊したのが85年ですから、3年間でやっと4冊というスローペース。

何とも良き時代のような話だ。今でこそ多くの雑誌が定期発行され、それも毎月というのもある。昔は、同人誌は、いや結社誌ですら、遅刊は当たり前のような世界であった(「豈」は残念ながら、いまだに不定期刊であるが)。そして《船団》は、坪内稔典の個人誌から、


 《船団》を協同の場へ出すことにしました。新たに「船団の会」を設け、その会の発行というかたちを5号からとります。

そして「『船団の会』入会のすすめ」には、

坪内稔典が個人雑誌として発行されていた『船団』が、1989年1月刊の第5号より、「船団の会」が発行する季刊誌となります。再出発する『船団』は秀れた作品の出現を目指すだけでなく、、雑誌という場の新しいありかたをも探ります。俳句は基本的に場という共同性を磁場として生成すると考えられるからです。多様な俳句の試みが、主張の違いを保ちながら生き生きとぶつかりあう場所が「船団」です。ぜひ、入会して下さい。

わずか2ページのB5判のものだが、1ページの最後は、以下のように括られている。俳句の世界にに新風とその媒体の在り方を考えていたことが伺える。

要は結社などの垣根を超えたところで、もっぱら俳句の問題を考えてみようということ。会員は他の結社や同人誌に加わっていてもなんら差し支えありません。「船団の会」は俳句にかかわる主張をうち出すことはありません。会員個人の抱えている問題が、つねに場の問題となり、一種の協同の気運が生まれ、共同による創造につながったら、それが一番この会にふさわしいことだと思います。僕としては、老いと俳句の言葉との関係、高柳重信をはじめとするいわゆる新興俳句、古典論などをこの会の共同の場へ提起したいと思っています。

今、手元にあるのは「船団」6号(1989年4月25日)だが、その会員作品Ⅰ(作品Ⅱは和田悟朗選者欄)には、澁谷道、糸山由紀子、谷口慎也、窪田薫、乾裕幸、伊丹啓子、富岡和秀、堀本吟、塚越徹、山上康子、武馬久仁裕、藤原月彦、新山美津代、内田美沙、柿本多映、長澤奏子等の名と作品がある。他の記事には、宇多喜代子、池田澄子、中村苑子、小西昭夫、橋本輝久、白木忠、齋藤慎爾なども見える。愚生も、失念していたが作品を出していた。

     坪内稔典氏へ
  大喪とて甘納豆はいかに笑む         恒行



                カルミア↑

2015年5月15日金曜日

夏石番矢「海底の泉のむかしむかしかな」(『夏石番矢自選百句』)・・・



夏石番矢還暦記念「夏石番矢自選百句色紙展」(於・OKIギャラリー5月19日~28日)に合わせて『夏石番矢自選百句』(沖積舎)が刊行された。
ブログタイトルの句は、その謹呈署名に揮毫されている句である。
夏石番矢の計らいだろう。
その句が収められているのは句集『神々のフーガ』(弘栄堂書店・1990年)である。いまは無き、弘栄堂書店に務めていた折りに愚生が制作した思い出深い句集である。
四半世紀も前の事になる。今や愚生もすでに60歳半ばを過ぎてしまった。
夏石番矢に会ったのは、まだ彼が東大駒場の学生だった頃だ。井の頭線を使えば、愚生が務めていた弘栄堂書店吉祥寺店は近い。当時、隣の駅の三鷹駅前公団団地に住んでいた愚生宅に遊びに来たこともあった。
その時の初々しい青年・夏石番矢が還暦を迎えるというのだから、いくばくかの感懐はある(とはいえ、この年齢になってみると、そんなに年齢がかけ離れていたわけでもないようにも思えるから不思議だ)。
夏石番矢の第一句集『猟常記』(静地社・1983年)の出版記念会は、高柳重信の告別式の日と重なった。多くの人は喪服のままその記念会に出席されていた。現代俳句に警鐘を鳴らし続けた重信の、その告別の日が夏石番矢の出立を祝う会なのだから、出席者の多くもその奇縁にふれた発言をされていたように思う。重信の享年は60である。その薫陶を受けていた夏石番矢は、さらに今後の生を繋ぐことになる。、
思い返すと、愚生は高柳重信の葬儀には出なかった(若気の至りだったろうか)。


夏石番矢の書について鎌倉佐弓は「解説」を以下のように結んでいる。

  ある文字は楽しげに天を目指し、ある文字は嬉しくてたまらぬように、地平を目指す。そのリズムはいつしか読む者の心をも解き放ち、文字と一緒に軽やかにさせずにはおかない。




                 テッセン↑

2015年5月14日木曜日

「踏切に黒髪あそぶ真昼かな」(山内将史句集『地獄』)・・・



前回に引き続き、送られてきた愚生のファイルからまったく失念していた「季刊・俳句誌 山猫」(1990年夏・創刊号)を書き留めておこう。
俳句誌といっても表紙を入れてもわずか6ページのホッチキス止めの冊子である。
山内将史は「琴座」所属の後は、こうして、今にいたるまで個人で句を書き、発表し続けている(いまはハガキつうしん)。
従って句集『地獄』と言っても29句を搭載するばかりだ。
他には喜多昭夫の短歌が前書きの様に一首、引用されている。

  さよならは手をあげて言ふ君たちがああそんなにもジグザグする   喜多昭夫

そして、それに付けられた山内将史の句が、

  手を挙げて岸上が来る桜かな                将史   
  いつまでも手はさよならのかたちかな

他にいくつか挙げよう。

 幽霊の美貌したたるほかはなし
 合はせ鏡の列の一人が歩み去る
 桜しべ降るや無人の滑り台

                
                桜の実↑

2015年5月11日月曜日

阿部青鞋「てのひらをしたへ向ければ我が下にあり」・・・




「阿部青鞋研究」(創刊号・平成5年2月5日、阿部青鞋研究会・編集人・妹尾健太郎)は一体何号まで出たのだろう。創刊号と2号は16ページ。
愚生はまったく失念していたのであるが、昔、所属していた組合事務所から段ボール箱が送られてきた。事務所を引っ越しするので、愚生の物があったと送ってきたのだ(愚生の物らしいものはすべて捨ててかまわないと言い残しておいたのだが、それも、もう7,8年以前のことである)。その中に、ファイルに挟んであった「阿部青鞋研究」2冊があったのだ。
いま、その編集人であった妹尾健太郎はどうしているのだろう。音信が途絶えてからも随分と経った。その「阿部青鞋研究」の成果はのちに貴重な一本として『俳句の魅力ー阿部青草鞋選集』(沖積舎・平成6年7月刊)に結実した。
いまでは阿部青鞋(あべ・せいあい)の名を知らない人も多いのではなかろうか。彼は新興俳句の人ではなかったが(誌の三橋インタビュー記事によると)、新興俳句弾圧後、戦時中、渡辺白泉と三橋敏雄と三人で秘かに歌仙を巻いて、いわゆる古典研究をしていたという時期があった。連句を巻いたのは、木庵(もくあん)こと阿部青鞋、檜年(ひねん)こと渡辺白泉、雉尾(きじお)こと三橋敏雄の三人である。
独りでするのを独吟、二人でするのを両吟、三人では三吟、四人では四吟、五吟、六吟・・・・で座を作る。
ここでは「阿部青鞋研究」に載っていた〈三吟歌仙「谷目の巻」・表六句〉を書き写して紹介しておこう(敗戦後、焦土の中で三人は再会した)。

  うぐひすの近づいて鳴く檜哉       木庵
    いそぎし人の思はずの春       檜年
  雨垂に庇の下をこづかれて        雉尾
    水車をば米さげて出る         木庵
  麓からどう棲みにゆく月明り      檜年
    刈りのこしたるおくて一枚       雉尾

阿部青鞋は大正3年(1914)年東京市澁谷生まれ。本名・麗正(よしまさ)。
昭和12年、白泉らの俳句同人誌「風」に参加。昭和20年岡山県の現・美作町に疎開、終戦後も留まる。句集に『ひとるたま』(昭和58年・現代俳句協会刊)、平成元年2月5日逝去、享年74.


                                   コバンソウ↑

2015年5月8日金曜日

眞鍋天魚「眼をあけて眠るいろくづ去年今年」(オン座六句・璞捌)・・・



京王線でちょっと出かける用事があって、調布で途中下車。古書店「円居」に立ち寄り200円均一コーナーで「江古田文学」39(平成11年3月発行)の総力特集「金子みすゞ」というのをパラパラとめくっていたら、まったく失念していたが、「平成連句競詠・’98連句文学賞入賞記念 オン座六句『眠るいろくづ』璞捌」に愚生も参加していたらしい。
1998年12月23日首尾、於関口芭蕉庵「いさよひの会」とある。連衆は14名。折角だから留書を除いて以下に引用再掲載して懐かしむことにした。

   眼をあけて眠るいろくづ去年今年          眞鍋天魚
     淑気を招く深息の泡                浅沼 璞
   上手より山焼く気配やつて来し           万波 鮎
     春が動いてフェルトをぬぐ            島村篤子
   朧でも月が鏡であつたなら              原口一草
     壱越調(いちこつてう)の雅楽のしらべ      星 菊丸

   心音を聞く検査マニアといふ男           大井恒行
     逃げて逃げてにげまくる             山内かよ
   スペインの街の迷路の行き止り          草刈 澄
     氷河期になるブエノスアイリス         大場 砧
   水ありて声ありてこそ竜の舞            山内勝也
     芳香療法(アロマテラピー)過剰反応      鈴木喜久

  みちすがらさらめくこともをもかげね        窪田 尚
    かがやくものはみな獅子座より              也
  マネキンのあつち向きこつち向きなに話す        よ
    嘘でかためた不在証明                   草
  寿老人酒呑んでゐる神谷バー               丸
    スノーボードがうまい総会屋               久
  
  ただひとり来る日来る日の窓の空             行
    野に吹きわたる風たよりなの              尚
  変身はいそぎんちやくにきめました            澄
    枕の下にかくすトカレフ                  魚
  花びらを嗅ぐ難民プレス工             森山崇山
    黄塵を浴び鼓膜顫はす                  砧


                シャリンバイ↑

2015年5月7日木曜日

「オルガン」1号(2015 spring)・・・



俳句を、するのではなく、俳句が、するのだ。
上記は「オルガン」創刊号のマニフェストの一行だ。
同人は4名。生駒大祐・田島健一・鴇田智哉・宮本佳世乃。
アベカンこと、阿部完市は、よく「俳句の神が書かせている」と言っていた。
ジュウシンこと、高柳重信は「俳句形式が書かせている」とも、また「習い覚えた手が書かせている」とも言っていた。しかし、「手がみえる」のはダメだとも・・・
ともあれ、「オルガン」は一読するにはほどよい雑誌だ。
座談会は同人4名による「佐藤文香の『君に目があり見開かれ』を読んでみた」。それぞれの意見にそうだろうなと、うなづくところがあった。
最後に作品、一人一句を挙げておこう。「テーマ詠(芭蕉)」からも一人一句。
そういえば、題(テーマ)をつけて句を連ねて詠むのは、水原秋櫻子、山口誓子以来、新興俳句運動が開拓した方法だった。
高屋窓秋は最晩年もなお、連作には(みんなは捨て去ったかも知れないが)、まだ随分残された可能性があると言っていた。
余談だが、「俳句は一人でするものです」とも。その窓秋も高柳重信、三橋敏雄には句を見せていた。窓秋に、この世の友が亡くなってからのことだが、ある時、「この句はどちらがいいですか」と二様の作を見せられて尋ねられたことがあった。もとより、愚生は、恐縮して、応えられるわけもない。


   白梅にして遠空を担ひけり         生駒大祐
   桜うなばら先進五カ国船の国       田島健一
   目のたかく眼鏡のたかく霾れり      鴇田智哉
   春の泥ブルーシートの奥は海       宮本佳世乃

   鳥引くや開け放たれし湖の壺           大祐
   毛穴吹く生きもの芭蕉春の月           健一
   アラームアラーム青葉若葉のめくれ来よ    智哉
   夢の橋いま越えてゆく芭蕉かな        佳世乃
   


2015年5月5日火曜日

柳敬助(中村屋サロン美術館)・・・



昨年、建て替えられてからの新j宿中村屋ビルに初めて行った。
愚生が、10年ほど前のことになろうか、かつて全労協全国一般三多摩地域支部の役員をしていた頃に担当した駒沢学園分会の残り最後の一名の方がめでたく停年を迎えられ、分会も解散され、食事会に招かれたのだ。
その食事会の行われた新宿中村屋ビル3階に、中村屋の創業者・相馬愛蔵、黒光夫妻が、若き画家たちに援助し、「中村屋サロン」と呼ばれていたことや、ビルを建てなおした折に、その歴史を伝えるために美術館が開設されるということは新聞で知っていたので、立ち寄ってみたいと思っていたのである。
というわけで、食事会もさることながら、時間を少しとって、その美術館を覗いてみようと楽しみにしていた。
開催されていたのは柳敬助展(入場料200円)だった。愚生は不安内でよく知らなかったのであるが、柳敬助は、1881年、現在の千葉県君津市生まれ。1901年東京美術学校の西洋画科に入学、熊谷守一、橋本邦助、和田三造などと入谷の一軒屋で共同生活をおくり、黒田清輝の白馬会にも所属したという。留学したのち42歳で夭折。以前住んでいたアトリエは中村彝に譲ったとあった。
家族や中村屋サロンに出入りした仲間など肖像画を多く描いたらしいが、それも関東大震災で40点近くを消失したとあった。



閑話休題!

もう一か所は五島美術館。こちらは春の優品展「和歌と絵画」展(4月4日~5月10日)。
源氏物語絵巻(国宝・五島美術館蔵)がメインであった。
「源氏物語」54帖のいくつかの場面を絵画にし、その絵に対応する物語本文を「詞書(ことばがき)」として図(絵)の前に配してあり、これを交互に繰り返しているものだ。54帖全体の約4分の1が現存しているらしい(巻数にすると約4巻)。詞書も絵も筆者不明。
復元された絵も置かれていた。


2015年5月1日金曜日

「豈」57号 同人一人一句・・・



そろそろ、みなさんのお手元に「豈」最新号が届く頃だと思います。
今日は、「豈」57号の作品掲載があった同人一人一句を掲げます。
次号「豈」(12月刊予定)は、新同人を含めての年鑑風、同人全員「Who'S Who」の予定です。

  その町は冬桜にて行き止まる            秋元 倫
  此処に居る誰もが居ない世や春月         池田澄子
  日章旗乳にて濡らす午睡かな            牛丸敬史
  原子力発電所すめろぎも穀雨なか         大井恒行
  風に問えカイエの在り処凍てし日も         大橋愛由等
  らくらくときみと卵は立っている            大本義幸
  トロンボーン吹かれて雨の大晦日          岡村知昭
  核の傘いくつひろげて天の川             恩田侑布子
  月光に満たされてゐる三輪車             鹿又英一
  来てみれば花は満開誰も居らず           神谷 波
  
  乳房
     なき
   母
    凍て
      つきる
  赤い 月                         神山姫余

  ビル颪油圧で動く手足かな              川名つぎお
  初景色廃墟廃屋廃炉塵                北川美美
  日蝕は淫花を消耗して萌ゆる            北野元生
  柿食えばどこかで漏れる汚染水           北村虻曳
  滴りの国滅びつつ光りけり              倉阪鬼一郎
  変名をすれば変身できる魚              小池正博
  暗証番号落としてきたり麦の秋           小湊こぎく
  段ボール函からの白息無言劇            小山森生 
  ガラリヤへ日の傾くや青葉潮             五島高資
  にんげんの不在あかるし春の水           堺谷真人
  からすうり子供110番の家              坂間恒子
  月光の手話階段を駆け上がる            杉本青三郎
  
  さねぶとなつめ【樲】短い命と
               いう約束             鈴木純一

  人界に無限の罠や秋の草               関 悦史
  胸中に棲む綿虫の発光す               関根かな
  残る雪それは汚れてゐやうとも            妹尾 健
  種袋よりすめろぎの寝息かな             高橋修宏
  ざくろからほどけてゆきしあんだるしあ       高橋比呂子
  死なないものはダリの時計や満月や        津のだとも子
  さくら咲くもっと孤独になってゆく           中戸川奈津実
  稗史すべて録音しやう囀りも             中村安伸
  枯蓮やもはや敵意も友好も              夏木 久
  蜘蛛の巣に夕日燃え盡きはせぬか         新山美津代
  振り向いても鏡地獄は抜け出せず          萩山栄一  
  表札の外され船よやうな家               橋本 直
  理不尽な死後の恋とも山櫻               秦 夕美
  ラ・フランス恋と変とを間違えて            羽村美和子
  鬱王に全裸で抱かる椿かな              早瀬恵子
  仏像の後ろ空気清浄機                 樋口由紀子
  惜春の沖を既視(でじゃびゅ)の手漕ぎ舟      福田葉子
  伝言は一コマずつの明暗です            藤田踏青 
  祭礼は明日なり木場の蝉時雨            藤原龍一郎
  遠国に子供飢えおる裘(かわごろも)         堀本 吟 
  担がれてこの世に迷う神男              真矢ひろみ
  蝶塚に重なり合える破れ蓮(はちす)         森川麗子
  「あんた変わった子だった」と母 水仙花       森須 蘭
  人魚はにんぎょジュゴンと云わないで        山上康子
  全裸より勝る全裸の鏡餅                山﨑十生
  春の鳥あふれつつ啼く悲の器             山村 曠
  腑に落ちる椿の音はきるけごーる           山本敏倖
  おぼろ夜の不思議な二人石を蹴る          わたなべ柊
  もみにもむ鳩変身のハンカチーフ           亘 余世夫