2016年1月20日水曜日

井口時男「光量子(ふおとん)降りやまず雲雀は盲ひて空にあり」(「てんでんこ」NO.8)・・・



掲出の句には、以下のように少しばかり長い詞書が付されている。

  五月一日、辻章氏の訃報あり。辻氏は私の「群像」新人賞時の編集長であり、早くに退職された後、作家として活動された。氏は二〇〇六年から二〇〇九年まで個人誌「ふおとん」を発行され、私はそこに『少年殺人者考』を連載した。そして氏は、何より二十五年ほどの前の夜、私の愚行が招いたある事件に際して、文字通り私の「命の恩人」でもあった。

  光量子(ふおとん)降りやまず雲雀は盲ひて空にあり     時男


井口時男は数ヶ月前に句集『天來の獨樂』(深夜叢書社)を出版し、愚生は「図書新聞」の依頼によって書評(2016年1月9日、3227号)を書いた。その縁で、この度「てんでんこ」NO.8(てんでんこ事務所発行)を恵まれた。そして、『天來の獨樂』は、愚生の記憶に間違いがなければ(何しろ書店での立ち読みだったので)昨年発行された句集の中でNO.1だと「俳句年鑑」のアンケートに齋藤愼彌が答えていたように思う。齋藤愼彌は蛇笏賞の選考委員、是非、蛇笏賞の候補に挙げて、議論をしてもらいたいと思う。それだけの価値はあろう(そうすれば、俳壇というところも少しは面白くなるのではなかろうか)。

井口時男は「てんでんこ」本号に「鼓膜の秋となりにけり」と題したコラムも書き、それには、石原吉郎の句「街果てて鼓膜(こまく)の秋となりにけり」(石原吉郎)を名句として挙げている。愚生も石原吉郎は戦後詩人のなかでは最も好きな詩人だった。句集に収録された句は、たしか、ラーゲリでの生活が刻み付けた記憶として帰国を果たしたものではなかったか、と思う。

以下に「てんでんこ」NO.8からいくつか挙げておきたい。

    海暮れてはまなすの実のまた点り (大森浜 啄木公園)
    夏蝶の径は断たれてこの岬 (立待岬)
       西脇順三郎と富澤赤黄男とドストエフスキーに
    あけび二つぶらさがつてゐる 永遠
    喫ひ付けて女はしやがむ路地の夏
    送り火やメビウスの環のうらおもて
       金子兜太に
    秋の夜の濡れ吸殻や思惟萎えて



                  ロウバイ↑

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