2016年4月12日火曜日

北川美美「風と光と桐生の安吾と」(『安吾と桐生』)・・・



桐生は坂口安吾終焉の地である。享年48は、今から考えるとまだまだこれからという年齢であった。

「豈」同人にしてブログ「俳句新空間」編集人の北川美美の標記のエッセイは、坂口安吾没後60年を記念した「安吾を語る会」(代表・奈良彰一)が発行した『安吾と桐生』に収載されている。そのエッセイの結びに北川美美は記している。

 近代以降の文学は自我とは何かを問い続けてきた。文学という「父」、そして、家・国家・社会を支えてきた「父」、その存在を超えることが近代の思想の典型であった。登場する男を「父系」に、女を「母系」として考えるならば、女を殺すというということは、本来、自分を産むはずの「母」を殺すことになる。それは生れてくるはずの自分、すなわち文学上の「我」の抹殺であり、自分を生れてこなかったことにする「空」の世界がある。安吾が近代以降の自我である「父を超える」というテーマからかけ離れた着想を持ち、特異な点であろう。

その桐生で「安吾引っ越し記念日」というのが行われているという。桐生に引っ越してきたのが2月29日の閏日だったので、四年一度開催されるのだが、実は安吾は、終焉の地に次の閏年を迎えることなく、三年で脳出血により急逝してしまった。

いまでも坂口安吾を慕った人たちによって、各地で様々な行事が開催されているという。新潟市は「生誕祭」「新潟安吾忌」「安吾賞」「新津安吾忌」、十日町松之山では「安吾まつり」、桐生は「安吾忌の集い」「引っ越し記念日」というように。



※『安吾と桐生』 1冊千円の協賛金で購入可能。問い合わせは奈良書店(0277・22・7967)



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