2016年4月6日水曜日

森山光章句集『無私の法を以て衆生にそそぐ』(不虚舎)・・・



森山光章は第一句集『眼球呪詛吊り變容』(弘栄堂書店・1991年)で登場してからすでに特異な作家であった。著者略歴から拾っただけでも今回の句集『無私の法を以て衆生にそそぐ』は第9句集にあたる。愚生の眼には、ますます特異の作品を成就しつつあると見える。未踏といえばまさに未踏の領域なのだ。その他、政治論集、思想論集、小説、詩集、歌集と数え上げれば切りのない著作が並ぶことになる。加えて個人誌「不虚(ふこ)」を発行し続けている。
以下の句集の中の句、

 使用済みの「狗(フリーメイソン)」を虐殺(ルンルン)する「世界権力(おりこうさん)(イルミナティ)」は、北叟笑(ほくそえ)

を、もし、俳句であるとするならば、少なくとも愚生の作っている句は俳句ではない。それだけの懸隔があると思われるが、それは、同時に、まぎれもなく新形式の俳句であると確信してはばからないものが森山光章にあるということも明らかなことである。

 「悪魔(よいこ)」と同ずる〔佛〕を浣腸(…)し、〔終わり〕の誼に痙攣する(・・・)

 「IS(イスラム国)」は、「世界権力(おりこうさん)(イルミナティ)」の遊戯(てあそび)に過ぎないー「イスラム」は解體される

かぎりなく優しき悪意に満ちた句集であろう。

その末尾には以下のように記されている。まるで、世界の現在を見透かしているように・・・

 明らかに人々が虐殺されるのにともなって邪悪なエネルギーが放出されるのだ。・・・我々の支配者は、魔王ルシファーへの捧げ物として戦争を計画する。彼らにとって虐殺や破壊行為は心浮き立つことなのだ。                             (ヘンリー・メイコウ)

後記には、句集名の由来を記してもいる。

 表題は、天台の『法華文句』から取った。「提婆達多」の根底の言動を述べた言説である。『大雲経』は述べる。「提婆達多は不可思議なり、所修の行業は如来に同じ」と。わたしは、〔終わり〕の夜である。喜悦のみがある。



                  シャガ↑

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