2016年5月14日土曜日

坪内稔典「草の芽も木の芽も君も僕も今」(「子規新報 第2巻55号」)・・・



「子規新報 第2巻55号」の特集は「坪内稔典の俳句」、「坪内稔典『ヤツとオレ』30句」の抄出は小西昭夫。その句を俎上に、ミニエッセイ・鑑賞文を多くの方が書いておられる。
そのなかでは、特に池田澄子のものに魅かれた。小文の最後に選んで記した句が池田澄子にとっては、『ヤツとオレ』の中の、とりわけの共鳴句だったことが分かる。なにより、一見軽そうにみえ、また、日常的な感懐に、共感を収れんさせてみせる坪内俳句のエスキスをよくとらえていよう。
それには、以下のように書かれている。

草の芽も木の芽も君も僕も今

「今」という言葉で完成した句。「今」という認識を実感。今とは、今を生きているということだ。今を共有して生き合っているということだ。呟いているのは「僕」だけれど、その認識は間違いなく「君」に伝わっていて、「君」は同じ思いでいる筈。「草の芽も木の芽も」今、生きている。言わないけれど草の芽も木の芽もそれを体感している筈。一番下に僕と記されて、この四者に順位はない。
 本当に人間の総てが、この思いを実感として持っていれば、永遠に「東風吹いて日本は戦争放棄国」である筈。なんの理由も理屈も要らない。戦争反対なんて騒ぐ必要もない。

「筈」だらけの、今は、どうやら騒がざるをえないのだ・・・。世の中、面白くない筈だ。
以下、小西昭夫の抄出句の中から、

   白バラの白からやってきたか、君       稔典
   尼さんが五人一本ずつバナナ
   原子炉を抱いて菜の花半島よ
   十二月八日あんぱん半分こ
   七十歳と十歳といて葦芽ぐむ
   ヤツとオレ日本菫学会員








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