2016年9月29日木曜日

鈴木明「しぐれて二人月面にいるようじゃないか」(『甕 AMPHORA』)・・・



鈴木明第五句集『甕 AMPHORA』(ふらんす堂)は、帯がなく、実にシンプルで、十分に目を引く装幀(和兎)である(ただ、読むときに角背を開ききり、本を閉じると少し歪むのが惜しいかも)。
栞文は筑紫磐井、高山れおな、的野雄、跋文は高橋睦郎と豪華なメンバー。その跋文に、永田耕衣「少年や六十年後の春の如し」を引いて、

 昭和十年生まれの鈴木明はげんざい、耕衣がこの句を吐いた年代よりほぼ十歳年上の八十歳代初め。当時の耕衣よりもうすこし死に親しく、それだけに自らの弱年への愛惜の思いもいっそう切実だろう。
 だが、鈴木明は老年の感懐と過去への追憶とにとどまってはいない。年ごとに回帰する自然の生命力に改めて讃嘆を送り、現在の若い世代にかつて自分たちを襲った同じ苦難が襲うかもしれないことを真剣に憂えている。それこそが鈴木明の「六十年後の春」、いや七十年後の春なのだろう。

 と記している。
以下に、いくつかの句をあげておきたい。

    なゐの国非軍のさくら北上す        明
    セーラー服の姉の膝上われ三歳(みっつ)
     八月二十六日九十一歳姉他界
    昼、姉の骨を拾いし夜や長し
     光市母子殺害・当時十八歳死刑求刑
    「死刑でしょう」二月普通の人の会話
    「地震を抑えるネジ」三月の子どもの絵
    無礼(なめ)ていやがる水槽鮫のどんより眼
    秘密保護法全文肉眼素通りす
    戦後七十年思想氷柱の細りけり
    昼庭(ひるにわ)を妣の日傘は過ぎ去りゆく
    過去を疑う豈、蠹魚(しみ)のみにあらず
    ほうたると寝てきた人と橋の上
    蜥蜴は刹那跳弾となり穴を出る
    未帰還兵兄の幟竿黄ばむ
    終章のゴングが鳴った彼岸花
    ほな起きてぼちぼち行こか初冥途
    東京タワーにたましい入る憲吉忌
    六林男の忌ぼくの「内なる天皇制」





    
    

2016年9月28日水曜日

武馬久仁裕「『地理學家咖啡館に俺はいるぞ。』と双々子」(『フィレンツェよりの電話』)・・・



武馬久仁裕散文集『フィレンツェよりの電話』(黎明書房)は、最初に小川双々子「地表」117号(1975年8月)に載った「花の散る」以来、「爾来四十一年。悲しみの生まれた時に書いた文章が幾つか溜ったので、そこから二十六編を選び一冊の本にすることにした」(あとがき)という。
見返しを包むカバーの裏部分には、

 フィレンツェから「私」の携帯に突然掛けきた見知らぬ女が語り始める「電話」。
 マラッカの珈琲店で著者の俳句の師、小川双々子の幻影を見る「地理學家珈琲館(ジオグラファー・カフェ)にて」。
G町の地下に並ぶスロットマシンに憑かれた男の語る「スロットマシン場」。
など句集『G町』『玉門関』で評価が高い俳人・武馬久仁裕の幻想的な散文26編。自作のスケッチ、写真を併せて収める。

と惹句がある。句集『G町』に収められた散文「G町にて」に、かつての愚生は、高柳重信の句集『山海集』に収められた散文「不思議な川」を想起したりしたことを思い出した。
ところで、地理學家咖啡館(ジオグラファー・カフェ)はマラッカに実在するらしい。その時に撮った写真も併載されている。地理學家咖啡館の面している旧市街の道路の描写のところで、師にあてた手紙を書く描写は・・・、

  黒い影がアスファルトの道を斜めに横切りました。燕でした。
燕は目のような窓から飛んできます。『囁囁記』の双々子の句が思い出されました。

  黒町の窓なきときはつばくろとび      双々子
  男のかほかたちぞありて白町は      双々子

 双々子の句を口づさむ私の背後、地理學家咖啡館の薄暗い奥の席から双々子の少し怒ったような声が聞こえてきました。

 「地理學家咖啡館(ジオグラファー・カフェ)に俺はいるぞ。」と双々子 久仁裕

 双々子の死は、私が地理學家咖啡館を訪れた一年前の二〇〇六年一月のことでした。
  益々のご健吟を。                       草々
  二〇一〇年十月二十二日                  武馬久仁裕


最近の武馬久仁裕は、俳句もさることながら、散文、句の朗読、書など、実に多彩に活躍の場を広げてきている印象がある。それも自在に、かつ芯を外さずに・・・である。
武馬久仁裕(ぶま・くにひろ)1948年愛知県生まれ。


                    キンモクセイ↑
 

2016年9月27日火曜日

大本義幸「年収200万風が愛した鉄の町」(「俳句新空間no.6〈21世紀俳句選集〉」)・・・




「俳句新空間」NO、6(発行人、北川美美・筑紫磐井)の冒頭、かつてほぼ十年間隔で角川書店『現代俳句選集』『平成秀句選集』が編まれた事に触れ、その後にこうした現在の俳句を映し出すような企画がない、としながら「21世紀俳句選集を編むにあたって」で筑紫磐井は言う。

  とはいえ、角川書店の500人近くの壮大な企画に比べて「俳句新空間」でできるのは三〇人余の小さな企画である。しかし、そうした企画が成り立ちえるのかどうかは、他の雑誌がやらない以上やって非難されるべき筋合いはない。非難する前に、できるものなら非難する者は自らやってみればいいからである。これがとてつもなく難しいことは体験してみてわかるはずである。
  題して「21世紀俳句選集」。小さな穴から、21世紀の広大な天空がうかがえれば幸いである。秦夕美から川嶋健佑までの世代を堪能していただきたい(掲載は到着順とした)。

以下はその一人一句である。

   巨石文明滅びてのこる冬青空       仲 寒蟬
   銀漢や象の涙を触れに来る        田中葉月
   イルカショー始まる淋しき国家       小野裕三
   蛇皮を脱ぐ戦争へ行ってくる        中村猛虎
   ゆつたりとほろぶ紋白蝶のくに       秦 夕美
   山火迅しあとさきになる人のこゑ     渡邉美保
   涅槃図の極彩色の嘆きかな        神谷 波
   惜春の心ラフマニノフの歌         前北かおる
   式典の空も会場原爆忌           小沢麻結
   虹の根を食べれば人でなくなるよ     竹岡一郎
   狐火が言い寄つてゐる狐火に      ふけとしこ
   国霊やコンビニの灯を門火とす     真矢ひろみ
   長き夜の両手に包む片手かな      隅美保子
   雪国の一切白き初湯かな         内村恭子
   枇杷の花遠方で臼ひかりだす      坂間恒子
   原子力発電所すめろぎも穀雨なか   大井恒行
   リコーダーで宣戦布告する立夏     川嶋健佑
   扉なく向き合ふ壁や冬紅葉        岬 光世
   皿にのり静物となるラ・フランス     水岩 瞳
   たらちねの混沌大根煮崩れる      もてきまり
   狐火や列車は遅れたまま走る      五島高資
   人工を恥ぢて人工知能泣く        佐藤りえ
   地球より生まれた小石白日傘      網野月を
   雪降つてくる雪空の中途より       青木百舌鳥
   教室はいなくなるひとでいっぱい     柳本々々
   硝子器に風は充ちてよこの国に死なむ  大本義幸 
   砂時計未生へ落つる長き夜        福田葉子
   いくたびも手紙は読まれ天の川      中西夕紀
   匂うにおう寒月光かセシウムか      羽村美和子
   黒土の清らかに抱く霜柱          堀本 吟
   二〇一一年その春のまだ未知だつた  関根誠子
   分かるもんですか桜桃忌の手相     中山奈々
   夏野にて空の淋しさ見てゐたり      北川美美
   千羽鶴のなかの一羽が寒いといふ   渕上信子
  
   屍の美
   本当をいふ
   人知無涯(はてなし)
   人もすなる失(あやまち)         筑紫磐井 



                    ムカゴ↑


2016年9月25日日曜日

大熊峰子「身のどこかこはれゆくなりセーターは赤」(「門」10月号)・・・



「門」10月号に若い外山一幾が「書き手・読み手の矜持について」と題して、「門」(平成28年4月号~6月号)の同人作品評を試みている。結社誌のこうした作品評はよく目にするのだが、丁寧に読み解いている批評は珍しい。外山自身による引用された句が少ないのは少し物足りないが、俳句を書き、また、読もうとする際の身の構え方にについて誠実に述べられている。例えば、

 思うに、書く者と読む者とは、ついに孤独者にすぎないのではあるまいか。そしてこの孤独のなかに立ち続けながら、互いに手を伸ばして交渉を試みては失敗するということが、-いわば不幸を引き受けるということがー書くという営みの実態なのではなかったか。(中略)
すなわち交渉の成功を求めつつ敗北する涙のなかにこそ、書き手・読み手の矜持があると思うのだ。

或いはまた、

  春の眼鏡屋めがねの似合ふ女店員    門屋文月

僕は先に述べた理由をもって、下五の「女店員」を「じょてんいん」ではなく「おんなてんいん」と読みたいと思う。

としたのちに、他の作者のリフレインを用いた句が散見されたのに対して、

  一人静しづかに平田君代死す    成田清子
  水の春みづもこころもたひらなり   梶本きくよ
  老人は歩けあるけと青き踏む     喜岡圭子
  しがらみを巡りめぐりて春の水    白井イサ子 

この技法はとくに珍しいものではないけれど、それだけに、使い方が難しいと思う。というのも、この「漢字+ひらがな」のリフレインが何かしら詩情めいたものをもたらすことは僕たちがすでに知ってしまっていることなので、それを安易に用いるのは、いわば料理の際に味の素を使うようなもので、それはそれでおいしくはあるけれども、その便利さにかまけてしまうならば書き手として不誠実なのではないか。
 だがその一方で、このリフレインが成功している句もある。

  もくれんの家に雨ふる母かははよ   鳥居真里子

この下五が「母か母よ」であれば台無しだろう。

とも述べているのは頷けよう。ただ、厳しく指弾されている句もあるが、良薬は口に苦し、若い人の誠実なる批評として受けとめ、今後の句作の糧とすればいいだけのことである。
ともあれ、他に引用され共感した句を以下に・・・。

  遺句集にこだはりて酒花朧     野村東央留
  遠くよりその人と知る夏帽子    神戸周子




                     オリーブ↑

2016年9月24日土曜日

福田葉子「老猫の水呑みて去る望の月」(第132回「豈」句会)・・・



奇数月、隔月で行われる第132回「豈」句会は、諸事情あって、初めて愚生の地元・府中グリーンプラザ第5会議室で行われた。大國魂神社の欅並木が秋の雨に濡れていた。恒例の白金台いきいきプラザよりもはるかに遠い場所ということもあって、いつもより参加者は少なかった。
以下は一人一句。

   鶏頭花月光浴びては骨になる        羽村美和子
   月光の耳のかたちを知り尽くす       杉本青三郎
   木道ひょんポケモンGOの虫詩人      早瀬恵子
   大好きな稲の図柄の五円玉         渕上信子
   桂枯れ雨の黄泉路に黄石蕗         多仁 竝
   女童(めわらべ)のすでに白髪沙羅の花  福田葉子 
   木の終わり雨のおわりの風起こる     大井恒行 



2016年9月23日金曜日

白頭 金里博時調詩集(秋山一郎訳)『永遠の躑躅』(オルレビッ)・・・



金里博時調(キム・リバクしじょう)詩集『永遠の躑躅(つつじ)』(オルレビッ)、ハングルはまったく読めない愚生なので、ひたすら訳文のみを読んでいる(ハングルの全部に日本語で対訳されている)。時調の形式についても朝鮮の短い定型詩で、発音はシジョ、日本語読みはジチョウくらいの知識しか持ち合わせていない(ただ、金里博はシジョウとしている)。本集の多くは三行で書かれているが、最後の編は5行や7行、8行がある。著者序文に、

(前略)この「永遠の躑躅」に載せられた時調を包む言葉は全て漢語ではない固有韓国語でなければならず、文字も漢字混ざりではなく、ハングル以外では表記できない言葉や文字は一切使わないという信念に基づいて創作したので第一時調集「一途」とは大きく違った作品と言える。(中略)
筆者は数え年三歳の時、すなわち日本の植民地統治時代に大日本帝国の強制的「徴用令」に基づき日本に渡ってきた在日子孫だからこそ故郷への愛と思いは、少々傲慢な言い方だが本国の同胞よりも清く熱く、それ故に自然に時調の主題が国への愛や、南北同胞への愛、そして韓国語・ハングルへの愛に傾けられた。それは筆者の最も大きな願いが一にも二にも統一祖国であり、一つの民族となった韓民族だという信念の表れであることを意味する。(以下略)
                                       
と記されている。他に祝辞に金昇坤(キムスンゴン)元建国大学副総長・文学博士「熱く国を愛する時調歌人・一明(ハンバク)氏」、キムジョンテク前ハングル学会会長・文学博士「在日コリアンの熱い魂を歌う詩人」、序文に、李閏玉(イユノク)(詩人、韓日文化調和研究所長)「たとえ、今日は泥の中に囚われていようと明日は・・・」、岡山善一郎天理大学教授「一房の花」、跋文にキム・ヨンジョ新韓国文化新聞(電子版)発行・編集人「キム・リバク詩人を思う度(たび)に自分が恥ずかしい」など。さらに著者あとがき冒頭には、以下のように記されている。

この第四時調集「永遠の躑躅」は過去に上梓した諸時調集と比較した場合その表記において顕著な変化を読み取る事が出来よう。
すなわち、この第四時調集には一句一言といえども漢語は使われていない事と過去の作品から転載した作品をも全て改めて「非漢語」純韓国語に正して掲載している。周知のように「時調(シジョウ)は韓民族の魂であり美であり智慧でもあるからだ。

最後に本集の集名となった作品といくつかを紹介する(引用はすべて訳文によっている)。

 26.永遠の躑躅

「私の花は山つつじ、桜ではない!」と
我が子を愛(いと)おしみ教え育ててくだされた父母
異国で閉じた命なのだけれど二つと無い誠だった

 62.魂(3)

踏みつけられ八十年、統一を望んで四十年
在日同胞はその日の為にいつも準備している
今年も渡り鳥は先を競わないで飛んで来る

 73.日本の猛暑(2)

日は叔父(おじ)が逝き、明日は誰が逝くのだろう
日本で身罷った方たちの霊が今も彷徨(さまよう) 
南北はどうしてこうも遠いのか・・・

 112.秋分

冬至と夏至の間にゆっくり春は来る
母が炊いてくれる冬至の小豆粥
南北が一つになり万年を生き抜きたい

白頭(ハンパク) 金里博(キムリバク)(在日本韓国文化協会 会長) 1942年韓国慶尚道昌原郡(現昌原市)生まれ。





2016年9月22日木曜日

齋藤愼爾「われもかうあらねば断念の吾亦紅」(『陸沈』)・・



愚生は「陸沈」と言えば、なんといっても永田耕衣を思い出す。96歳翁だった耕衣は,
当時「陸沈居士」を名乗っていた。また評論集『陸沈篠篠』もある。永田耕衣続俳句集成『只今』には、神戸の震災以後の未刊句集『陸沈』が収められている。その伝でいけば、齋藤愼爾句集『陸沈』(東京四季出版)もまた、東日本大震災を負っているように思えた。
加えて本句集には齋藤愼爾とは誰れか?というにはこれ以上ないと思われる栞文と解説が武良竜彦によってなされている。「〈喪郷〉の眼差し」と「葬送の螢袋」で、豊富な引用句とともに、齋藤愼爾の現在をよくとらえている。さらに著者自身による「〈原発が廊下の奥に立つてゐた〉ー危機『後記』の試み」と「魂の気圏のなかでー私の俳句遍歴」が著わされているので、読者にとってはこの上ない道案内役を果たしてくれている。その武良竜彦の解説の末尾は、

  氏は一貫して戦後日本人の風土喪失的精神の空洞を、逆説的な「望郷」という独自の文学的主題を立ち上げて詠み続けてきた。そのこと自身に現代日本を撃つ強烈な批評性が宿っていた。その文学的役目が終わりを迎えようとしていることを自覚し、齋藤氏は静かにその手法の衣を脱ごうとしているように見える。
 そしてこれからの自らの行く手を予見するかのように、この句集『陸沈』のラスト二章に、超時空、超宗教的視座から「今」を撃つ「中世」「記憶のエチカ」の章を置いたのに違いない。

つまりは、愚生が付け加えるべきものは、何もない。直接句集にあたられるのがもっとも相応しい、のである。
ここでは、以下に、珍しく吾の出て来る句が、愚生の目に止まったので、紹介して挙げておきたい。

   血をうすく眠るや吾れの涅槃変        愼爾
   鳥引きてわが身を杭と思ひけり
   藤垂れて他界に畢竟吾は居らず
   山霞み谺は己を忘じをり
   われ思ふゆゑ螢袋の中にあり
   一柱に己が身舫(もや)ひ冬籠
   蚊帳のなか転生の螢汝か吾れか
   汝と我非在となりて雲に鳥
   病める世に生絹のごとき自裁あり
   我が廃句「危・毀・飢・棄・忌・綺・戯」死人花

齋藤愼爾1939年生まれ。


   

2016年9月19日月曜日

「彼は生きるために、首を吊る」(映画『首くくり栲象の庭』来る9月22日)・・・



映画『首くくり栲象の庭』(監督・堀江実、音楽・藤田陽介)は来る9月22日(木・祝)開場19時、上映19時30分、中野ZERO小ホールにおいて上映される。料金1000円。
映画のチラシには「イントロダクション」として以下のように記してある。

 東京の西のはずれ、まもなく古希を迎えようとしている男は、自宅の庭で毎日首を吊っている。
 1960年代後半より身体表現をはじめた彼は、半世紀生きたことを契機に、チェーホフのワーニャ伯父に自身を重ねながら、日々の営みとして自宅の庭で首を吊り始めた。それから20年近くものあいだ、毎日のように首を吊ってきた。
 本作の監督・堀江実は、彼の孤高の行為(アクション)に静かな衝撃を受けると、2014年12月の朔旦冬至より、ひとりきりで彼と対峙しながら撮影を開始した。1年以上にも及ぶ撮影を経て、当初の記録映像は、新鋭・藤田陽介の音楽と共鳴しながら、彼の身体の内側へと喰い込むような展開へと飛躍し、やがて、ドキュメンタリーとフィクションの垣根を超えた次元へと作品化していく・・・

愚生はと言えば、20歳代前半からのタク(首くくり栲象)さんとの付き合いだから、是非とも観に行きたいのだが、諸事情あって、行くと確約ができないのが残念だ。ただ一人でも多くの人に観てもらいたいとおもう。

以下には、今月9月の庭劇場の案内を転載する。

【9月の庭のご案内】

「台所の隅に置いてあるぬか床の樽 その中に大根 人参 かぶ きゅうりなどの野菜が隠れている 
食べごろと見計らい 右手をぬかに挿入し 触れたもの引き上げる

きゅうりだ きゅうりには糠がたっぷりとついている それを左手で搾りおとす

この庭劇場の庭には 身を隠す場所が点在する

土を踏むわたしが足袋のその先に 繁みの中 ちんちん 鉦叩きが音をたてて隠れている 」

   『かくれる』
●開催日と開演時間
〇9月28日(水曜日)夜8時開演
〇29日(木曜日)夜8開演

 開場は各々十五分前
 〇雨天時も開催
 〇料金→千円
 〇場所→くにたち庭劇場
 ◎庭劇場までの道筋
 中央線国立駅南口をでて大学通りの左側を一直線に歩き、二十分ほどで唯一の歩道橋に出ます。そを左折する。右側は国立高校の鉄柵で、鉄柵沿いに歩いて三分ほどで同高校の北門に到達します。その向かいの駐車場(赤い看板に白抜き文字で『関係者以外立入り禁止』の文字が目印です)に入って下さい。左奥で、木々の繁みにおおわれた、メッシュシートで囲まれた、平屋の中が庭劇場です。
 なお国立駅と向かい合っています南武線谷保駅からですと、谷保駅北口をでて国立駅方面へ大学通りを直進。七分ほどで唯一の歩道橋に着きます、こんどは右折し、以下国立駅からと同記述です。
   首くくり栲象 

 電話090-8178-7216
 メールアドレス kubikukuritakuzou.japon.kooi@ezweb.ne.jp
 庭劇場:国立市東4-17-3
 http://ranrantsushin.com/kubikukuri/keitai/





2016年9月18日日曜日

正木ゆう子「へんくつなばあさんになろゐのこづち」(『羽羽』)・・・



正木ゆう子第五句集『羽羽(はは)』(春秋社)。句集名は、

   たらちねのははそはのはは母の羽羽  

の句から。「あとがき」には以下のように記されている。

 辞書には大蛇のことと記してありますが、その他にも「羽羽矢」という言葉があるとか、掃き清めるというニュアンスがあるとか、後でさまざまな意味のあることを知りました。しかしこの句集では、単純に大きな翼という意味に使うのが最も相応しい気がします。

かねてより、正木ゆう子には肉親の死を詠んだ句に絶唱が多い。たぶんそれは彼女の言葉がより身体の深いところをくぐって浮上してくるからだろう。ブログタイトルに挙げた句「へんくつなばあさんになろゐのこづち」は、もともとへんくつなところ大ありの正木ゆう子のことだから、みずから宣言せずともなれるだろう(もちろん、魅力ある偏屈、ここではかたくなな姿勢の良さとしておこうか)。
装幀はいつもの通り、夫君の笠原正孝。これも佳い。
ともあれ、いくつかの句を以下に挙げておこう。

        口蹄疫
    牛と死の犇めく土中走り梅雨
    飛ぶ鳥の糞(まり)にも水輪春の湖
    寄居虫の小粒よ耳に飼へさうに
    劫初より太陽に影なかりけり
    真炎天原子炉も火に苦しむか
    もうどこも痛まぬ躰花に置く
    夏に入る草葉の陰の線量も
    冤霊てふ言葉知りたる冬の寺
       能村登四郎に「老残のこと伝はらず業平忌」あれば
    絶滅のこと伝はらず人類忌



    

2016年9月15日木曜日

坂本宮尾「シベリアにつづく青さを鳥帰る」(『別の朝』)・・・



坂本宮尾第三句集『別の朝』(図書新聞)の集名は、てっきり以下の句からと思いきや、

   花仰ぐまた別の町別の朝     宮尾

「あとがき」には次のようにしたためられていた。

 アメリカが誇るべきブルースは、ひとのこころの嘆き、憧れの歌です。その世界は、日本の演歌に似ているかもしれません。ブルースが歌いあげるおもな中身は、つまるところ、「こんなひどい仕打ち、もう耐えられそうもない、・・・いいさ、おれ(あたし)別の町に行くさ・・・いつだって、いつだって、まっ新な別の朝が来るんだからな」ということのように思います。
 詠み貯めた句を眺めているうちに、「別の朝」というブルースのフレーズのような句集名が浮かび、題に即した句集にまとめようと思いつきました。通常なら、句集に収める作品のなかから、ふさわしい句集名を選ぶものでしょうが、このたびの句集はその意味で逆の発想なのです。

また、井出彰の帯文には、親愛とユーモアがただよう、

著者は歴とした米文学者だ。その知性には感服ばかりだが、どこかで色香が薄い、と私の願望が思っていた。今度の句集のタイトルが『別(わか)れの朝』とあったので、やっぱり女性だったかと驚いたり、しかし、『別(べつ)の朝』の早とちりでほっとしたり。だが、作品には相変わらず凛とした緊張感が張りつめている。頁を開けば、新鮮な短詩の世界が展開する。

とあった。その頁を開いて、いくつかの愚生好みの句を以下に挙げておこう。

   蜂蜜に花ごとの色秋日和
   結界の白みゆくなり百千鳥
   涼風や空壜どれも捨てがたく
   春障子鶴女房を隠したる
   はじめてのこの町林檎の小さきこと
   トーストにとりどりのジャム小鳥来る
   麦畑長靴履きて猫現れよ
      書きためし『オーガスト・ウィルソン』ようやく上梓の運びとなる
   校了のこころにかなふ冬の雨
   夕風や金貨のやうに秋の蝶
   砂の城砂に崩れてさへづれり

坂本宮尾(さかもと・みやお) 1945年、大連生まれ。






2016年9月12日月曜日

高橋睦郎「氷白玉(こほりしらたま)白玉樓中君受けよ」(『十年』)・・



高橋睦郎第九句集『十年』(角川書店)、600余句の基調の色は、白皙の句群である。
後書きともいえる「餘」にも、

 畏敬する若き俳友、田中裕明逝去の年暮をもつて終はつた前句集『遊行』以後、十年分の句屑を拾つてここに一本とする。(中略)
 これら貧しき限りの總てを、裕明居士をはじめ、この閒幽明境を異にした師友知己諸霊に献げたい。勿論、生の最中にある諸子の掌に上ることあらば、望餘の喜びである。

   氷白玉(こほりしらたま)白玉樓中君受けよ   

とある。ものの本には、「白玉楼中の人となる」について、唐の文人季賀の臨終に天の使いが来て、「天帝の白玉楼成る、君を召してその記を作らしむ」という故事によるとあった。
この十年の年月に、追悼し、偲ぶ句も多く収載されている。そのいくつかの句、

     白川宗道剝離性動脈瘤 急逝
   冬の瘤はじけ放光四方芽吹く
     悼 安達瞳子
   櫻咲く待たずほとりと椿落つ
     偲 田中裕明
   故人ゐて對する如し年の酒
     悼 湯川書房主人
   道をしへ君尋むべしや草の丈
     悼 加藤郁乎
   人死ぬやこゑ萬綠に溺れつつ
     悼 眞鍋呉夫
   はつ夏の雪をんなこそ苔雫
     悼 桂枝雀
   哄(おほぐち)に笑うて虚ろ芽吹山
     
などなど、すべてを挙げればきりもないほど・・・。
あと一つ、余談になるが、魅かれたのは装幀・吉野史門とあったことだ。
その昔、愚生が書店員だったころの吉野史門は書肆林檎屋の主人だった。鷲巣繁男『蝦夷のわかれ』、何と言っても、自筆稿そのままを写真製版した渡邊白泉全句集『白泉句集』は忘れがたい。当時直接取引で棚に並べさせてもらったのだ。その人が、『十年』の装幀をしていた。色でいえば白皙の句群に相応しい造本。
句を以下にいくつか挙げておきたい。
   
   天白く道白く晝をきりぎりす
   いなつるび白目畏き稲田姫
   木の葉髪黒きは卑し白きより
       世情
   子を殺すうなじ白くて寒からん
       越後長岡
   よべ花火競ㇹひし空のただ白し
   ことごとく白頭吟や秋のホ句

最後の句、「白頭吟」は石川淳の観覧車の上から見渡すシーン。たぶん「巷(ちまた)のけしきはさしあたり太平楽をきはめていた」・・・を踏まえている。
   
さらに、愚生の好みでいくつかの句を挙げる。

  京都千年梅雨千年をふりにふる
  土波海嘯(なゐつなみ)冴返る一億三千萬
  死ぬるゆゑ一ㇳ生めでたし花筵
  やすらへ花・海嘯(つなみ)・兇火(まがつひ)・諸霊(もろみたま)
  八方の原子爐尊(たふと)四方拝
  花疲れとは人よりも花に先づ
  形代の落ちゆく永久(とは)に浄まらず
  漱(くちすすぐ)水に血の香や今朝の冬




  
   
   

2016年9月10日土曜日

前田霧人「『湿風』は、『温風の誤植で誕生した季題』」(「新歳時記通信」第9号)・・・



「新歳時記通信」第9号、第10号(編集・発行人、前田霧人」が発行された。諸々で2年4か月ぶりだという。もちろんそれだけの月日を費やしただけの労作である。参照された歳時記だけでもざっとて160冊は超えていよう。その他参考文献は数えきれない。後記に次のように記してあった。

 ㊁「湿風」(五五頁)
  平凡社版『俳句歳時記』(昭和34)に「温風」の誤植という珍事により誕生した季題である。

その55ページを開く。全部は引用しきれないが以下に引用する。

(二)「湿風(しっぷう)」(晩夏)

①「湿風(しっぷう)の歳時記初出は平凡社版『俳句歳時記』(一九五九)であるが、同項を参照すると、その季題名、解説、七十二候の引用、圭岳の例句、索引の全てで、「温風」を「湿風」と誤記(誤植)した結果によることが明白である。
②その誤記がそのまま次の③の『新撰俳句歳時記』(一九七六、明治書院)に受け継がれ、④の『新編俳句歳時記』(一九七八、講談社)の「熱風」解説の一節を経て、前項一(一)⑤の『カラー版図説日本大歳時記』の「温風」に引き継がれたのである。
③『新撰俳句歳時記』
 「湿風」 夏の末に吹くあたたかい風。二十四節気・七十二候の六月の小暑の第一候に「湿風至る」とある。現代の季語としては廃れたものと見たい。
④『新編俳句歳時記』
 「熱風」 温度の高い風。フェーン現象による日本海側へ吹き下ろす風は代表的なものである。
新しい季題である。熱風と似たものは湿風で黒南風を湿度の方面から表現したといえる。湿風の方は季語として廃れ、熱風は次第に普及して来る傾向が見られる。
⑤『図説俳句大歳時記』次の⑥のように季題「湿風」に疑問を呈し、後継の『角川大』も「湿風」の記載はない。
⑥『図説俳句大歳時記』
  「温風」(前略)「温風至ㇽ」を「湿風至ㇽ」と書かれているものもあり、湿風のことばもあるが、これは無理な感じがする。
⑦『国語大』
  「湿風」しめっぽい風。雨気を含んだ風。
⑧館柳湾(たちりゅうわん)『柳湾魚唱』(一集、文献*64、語注は『大漢和』、『国語大』による)
     相模原旅懐
   湿風吹 麦気  渋雨近 梅天
   (「麦気」麦ののびる頃の気候。麦の上を渡る風の香。「渋雨(じゅうう)」降ったりやんだりしてぐずつく雨。)
⑨「湿風」は誤植という珍事により歳時記に初出した季題である。⑦の『国語大』の「湿風」解説に「夏季」との記載はないが、その用例⑧には「麦気」、「梅天」の語がある。「湿風」を今後も晩夏あるいは夏の季題として認知すべきかどうかは判断の分かれる所である。

よく調べたものだ。その粘り強さに驚き、感心する。
因みに、第9号の中味は「風の題(増訂版)」であり、第10号は「海島◇初夏」「伊集の雨」「雨の題」と巻末の「主要歳時記一覧」である。「風」と「雨」の「題」だけで、約260頁と約160頁の二巻にまで及ぶのだから、霧人版「新歳時記」はどれだけの大冊になるのか計り知れない。いわば、愚生などは発行されるたびにその恩恵にあずかるのみである。



                     藤の実↑

2016年9月8日木曜日

恩田侑布子「核の傘いくつひろげて天の川」(『夢洗ひ』)・・・



恩田侑布子第四句集『夢洗ひ』(角川書店)、夢違いならぬ夢洗いなどと、いかにも恩田侑布子らしい、はかなげな書名である。古典に材をとった美意識の句が多いのだが、ブログタイトルにした「核の傘」の句、彼女にはこのような句をなす一面があるということも記しておいていいだろう。他にも、

    列島の手と足に基地原爆忌
    三つ編みの髪の根つよし原爆忌
    柱なき原子炉建国記念の日
    
ただ、本領としては、恋歌として読める句も多く、読もうと思えばなべてそう読めてしまうという傾向もないではない。さしずめ虚の世界に遊ぶつもりだろう。そうした姿情は、ナイーブだが、同時に顕示する心根をうかがせもする。
「あとがき」に以下のように記す。

 ちょうどこの夏、背山の竹やぶに笹百合が咲きました。うすい朱鷺(とき)色の花びらの奥に、青磁色が明るく透きとおっています。種が花を咲かせるまで、蟬のように地中で七年以上を睡る幻のような花です。夏目漱石の「夢十夜」の第一夜に出て来る百合は、これかもしれません。風に揺れる笹百合からわずか三間ほど離れた斜面に、ナメクジに手足といった体(てい)の穴熊が住んでいます。夜ごと巣穴から、魑魅魍魎(ちみもうりょう)のような鳴き声と足音で、網戸のそばまでやってきます。八月からは猪の出番。勝手口のとびら一枚向うがヌタ場に変わります。楚々とした花と、鋭い歯牙の獣にかこまれた峡中に、早や四半世紀を過ごしました。

これもまた羨ましいといおうか、見事な俳句的生活というべきかもしれない。
ともあれ、以下にいくつかの句を紹介しておこう。

   しろがねの露の揉みあふ三千大千世界(みちおほち)
   翳もはやなき冬蝶の息(いこ)ひたる
   もう居らず月光をさへぎりし父母
   握り返すそこになき螢かな
   立つたまま添ひ寝をさせて大冬木
   磐一つ空(くう)のすみかや冬の旅
   夭夭とみづまなこにもさくらにも

恩田侑子(おんだ・ゆうこ)1956年静岡県生まれ。「豈」同人。






2016年9月7日水曜日

小森邦衞「黴の世や眼つむるほかのなき日々の」(『漆榾』)・・・




小森邦衞『漆榾』(角川書店)。序文は黒田杏子。句集名となった句は、

   (じょう)となりても匂ひけり漆榾      邦衞

漆芸家ならではあろう。当然とはいえ、漆芸に関する句にはこと欠かない、それが他の誰ともまぎれることない真骨頂である。「あとがきにかえてのご挨拶」のなかで、以下のように記している。

 漆芸の恩師松田権六(ごんろく)先生からのご指示ご提案で続けておりました毎日の「図案日誌」に心をこめて取り組むことと同様に、休まず毎日五分から十分だけ句作に集中することで、世間の煩わしいと思える事から離れることが出来、同時に仕事にも余裕が出てきて、毎日がありがたい方向に進んで行ってくれたように思われます。次第に俳句があってよかったと思える日々となったのです。

愚生は、漆芸については全く手ぶらなのであるが、中に「殺し搔き」の句がある。どのようなものか、その注に「殺し搔き=漆液の採集方法で一本の木から一年で搔きとってしまい、その後切り倒す(養生搔きもある)。とあって次の句がある。

   殺し搔き終へし漆木秋の虹

漆の木を倒さずにおく養生搔きにはホッとする。
以下にいくつかの句を挙げておこう。

   この世とは今ゐるところ冬の虹
   こんなところで出るな出るなよ大くさめ
   藷堀りし夜の仕事の手の震へ
   我はなぜ我に生れしや漆搔
   波氣都歌(はけつか)に刷毛奉り石蕗の花
     波氣都歌=上質の漆刷毛は人の毛髪を使用する。使い
     古した刷毛などを供養する塚
   福は内何度も言ふは愚かなり
   天職を辞すは死ぬる日花吹雪
   冬入日万策尽きしことを知る

小森邦衞1945年石川県輪島市生まれ。



       
   

2016年9月6日火曜日

四ッ谷龍「垂直・斜め・折れたのもある采配蘭」(『夢想の大地におがたまの花が降る』)・・・



四ッ谷龍、1958年生まれ。愚生よりちょうど十歳若い。先般は見事な『冬野虹作品集成』(書肆山田)を刊行し、同じ版元から、今度は自身の句集『夢想の大地におがたまの花が降る』(書肆山田)を上梓した。句集らしからぬ書名だが、それも四ッ谷龍には相応しかろう。
ただ愚生は不明にして「おがたまの花」を知らない。ただ、ものの本によると神霊を招き寄せる神木「招霊(おぎたま)の木」が転じたものという。榊の代用にもなったらしい。花言葉は「尊敬」というから、持っている意味も深そうである。巻末に本句集に対する著者覚書がある。短いので全文引用しよう。

  本書は前句集『大いなる項目』に続く作品集で、平成二十年以降の五四七句を収める。
   この間、若い俳人たちと交流する機会が増えたこと、東日本大震災が発生しいわき市の津波被災地を繰り返し訪問したこと、ヨハン・ゼバステァン・バッハの音楽を研究したことなどが、句集の内容と構成に影響しているかもしれない。
 作品の配列は必ずしも制作順になっていない。
               
                       平成二十八年五月  四ッ谷龍

愚生のわがままな好みとしては、句数が多すぎる感じがしないでもないが、これは作者自身の志向があるだろうから、そのまま受け取っていくしかない。連作が多いのだが、ともあれ、いくつかの句を紹介しておきたい。

   白椿遺灰の白さとも違う                龍
   鉄打てり真昼に影の増ゆるなり
   灰色の子猫の死体駐車場
   狐の目光る闇へと参加しぬ
   ヌルハチぬるぬるぬくぬくぬばたまのぬ
   仮の家また仮の家また躑躅
   化石の崖われらの影は雲のよう
   「ちぇー」と息しまた雪を割る若い職員
   犬酸漿千切れば我は女(おみな)かな
   木(ぼく)AのおがたまBへ写像せる



2016年9月5日月曜日

遠藤若狭男「海の色変へては若狭秋しぐれ」(『遠藤若狭男句集』)・・・



昨年「狩」同人を辞して「若狭」を創刊した遠藤若狭男の現代俳句文庫81・『遠藤若狭男句集』(ふらんす堂)は全400句の選句集。解説に福島泰樹、伊藤伊那男、大牧広の再録。自身のエッセイに「塚本邦雄の『若狭男』」、「悲痛な魂の声」、「『若狭』創刊のことば」を再録収載している。
遠藤若狭男の軌跡をたどるには手ごろな一冊である。
愚生より一歳上の1947年福井県敦賀市うまれ。つまり若狭は彼の故郷である。というわけもあって「若狭」の地を詠んだ句も多い。とはいえ最後に置かれた句は、

       生きる
   人間の証明として枯野ゆく

座五「枯野ゆく」はなかなか切ない。

   八月の海へ敬礼して父よ
   踏み分けて行けぬところに初もみぢ
   にぎやかな数とはならず初雀
   われ去ればわれゐずなりぬ冬景色

などの句は捨てがたい。
ともあれ、若狭づくしの本集の中から「若狭」の地名入りの句を以下に記しておこう。

   しぐるるや若狭のはての若狭富士
   湖ありて若狭の国のさくら冷え
   春惜しむ御目(おんめ)を伏せて若狭仏
   若狭路の風の薫らぬところなし
   夕立のあとの若狭に帰り来し
   若狭路や残菊にして色つくし
   草の絮若狭恋しと飛びゆくか
   若狭路のはづれにありし虫浄土
   若狭路の鴉を落穂拾ひかと
   立秋や船より仰ぐ若狭富士
   航跡のあざやか若狭湾の秋
   沙羅咲いていちにち雨の若狭かな
   海を見に春の若狭へ帰りたし
   若狭なつかしめばすいと夕螢
   


                    フヨウ↑