2016年10月30日日曜日

加藤静夫「梅雨菌多数決にて国滅ぶ」(『中略』)・・・



加藤静夫第二句集『中略』(ふらんす堂)、著者「あとがき」に、

 句集名『中略』は、〈ポインセチア(中略)泣いている女〉に拠る。
何事も中庸を旨とする性格のせいか、第一句集『中肉中背』同様、「中」のつく言葉に惹かれたのかも知れない。
 全句集から八年。
 その間に起きた大きな出来事といえばまず東日本大震災であろう。
 その日を境に、作品三八五句を「以前篇」一四二句、「以後篇」二四三句に分け、それぞれ、四季別に並べてみた。  (中略)
 以前・以後は糾える縄の如し。
いずれこの震災「以後」も、次の更に大きな災厄までの「以前」であったという時が来るのであろう。
 何が起きようと、私はただ、「今」を生きる「人間」を詠むだけである。
 私にできることはそれしかない。

と述べる。潔い言挙げというべきか。
加藤静夫は今、愚生の楽しみのひとつ「俳句精読」を「鷹」に連載中である。11月号には「三橋敏雄⑧」が掲載され、引用句に、三橋敏雄「日にいちど入る日は沈み信天翁」があり、

 一日に一度日が沈むのは自明の理だが、「信天翁」にとぼけた味わいがある。

と記されている。思わず、本句集の、

    天瓜粉日はほつとけば海に落つ    静夫

を想起したのだった。
集中いくつかの句を以下に、

   すでに女は裸になつてゐた「つづく」
   木葉髪飲み打つ買ふの飲む一途
   ゆふざくら六時前とはいい時間
   白魚の眼の・(ドット)・(ドット)かな
   抜くべきか憲法記念日の白髪
   国を挙げて暑がつてゐる暑さかな
   竹夫人たまさか上になることも
   ゆふべ鵙鳴く原発の後始末
   萩尾花撫子いつの世も末世
   熱燗や御一人様がもうひとり
   墓は買つたし白菜は洗つたし
   誰もみなはじめは風邪と思ふらし
   出生率下げしは私ひなたぼこ

加藤静夫、昭和28年、東京都文京区生まれ。



  

2016年10月28日金曜日

森山いほこ「銀杏青葉に青の限界日暮来る」(『サラダバー』)・・・



森山いほこ第一句集『サラダバー』(朔出版)の集名の由来は、

   サラダバー横歩きして銀漢へ   いほこ

の句から。今井聖の序文(帯にもなっている)によると、

 「街」が今日まで目標をたてて実践してことの集積が『サラダバー』にはある。俳句とはこうあって欲しいと願ったことがこの句集の中にあり、この句集に欠けていることがあるとすれば、それは僕らが願わなかったことである。森山いほこ今は「街」の今だ。

とあった。つまり「街」が願っていたことのすべてが、欠けることなく、ここにあるということだろう。だとすれば、愚生は「街」の今と今後を、ここに認めればいい。
「朔」出版は聞きなれないと思って、奥付を見たら発行者に鈴木忍とあったので、角川「俳句」を辞して後の新たな出発ということになる。慶祝。
ともあれ、いくつかの句を以下に挙げておこう。

   セーターより首出す夫の居ぬ国へ
   春の田や吾が嵩として水滲む
   戦神祀りて瞑し春の瀧
   膨らまぬ母のスカートつばくらめ
   一万字消しての一字寒昴
   並走の電車の遅速旱星




ダリア↑

2016年10月24日月曜日

森澤程「猫のそば縮んで我も秋の影」(『プレイ・オブ・カラー』)・・



森澤程第二句集『プレイ・オブ・カラー』(ふらんす堂)の懇切極まりない花谷清序文には、

  森澤程さんの俳句は、型に嵌まっていず、類型に没していないとかねてから考えてきた。今回句稿を拝見して、この判断を再確認した。具象的な作品には象徴が、抽象的な作品には写実が、言外にひろがる豊かさが感知できる。身辺の物と現象の中から、隠れた均衡や揺らぎを取り出し、作品に純化させる自在さがある。鈴木六林男のひそみに倣えば、句集『プレイ・オブ・カラー』は「森澤程流(・)の俳句作法、すなわち、個性ある作家としての独自な方法を確立した著者の記念碑といえよう。

と記されている。たぶん、これ以上の賛辞はあるまい。残されているのは、笑いの幸福という俳句の滑稽さのみかも知れない。この問いは、存在の深いところから発せられているはずである。
また、本句集は、

 最後に、昨年、二月二十三日に永眠された和田悟朗先生に『プレイ・オブ・カラー』上梓の報告をいたしたいと存じます。(「あとがき」)

と、献じられてもいる。泉下の和田悟朗は微笑んでいるに違いない。
ともあれ、愚生の好みで、いくつかの句を挙げておきたい。

    どうしても地球は動く落とし文       
    ガラス戸に大和は暮れぬ青朱欒
    人絶え間なく山桜から出てくる
    夢はじめ翡翠が魚を呑むほとり
    真夜中の方から来たり錦鯉
    白馬の血流静かなる野分
    漆黒の水搔きに夢混む白鳥
    鬼やらい火の影つねに動きおり

森澤程、1950年、佐久市生まれ。


                  ホトトギス↑

2016年10月23日日曜日

斎藤すみれ「沖波に暾(ひ)のあたりたる紫羅欄花(あらせいとう)」〈『青い絵タイル(アズレージョ)』〉・・



斎藤すみれ『青い絵タイル(アズレージョ)』(現代俳句協会)、集名は以下の句から、

  サン・ベント駅の涼しきアズレージョ(青い絵タイル)

序文の宮坂静生によると、

 すみれさんの句集名を相談したところ、「青い絵タイル(アズレージョ)」と直ちに返って来た。これはポルトガル旅行での見聞に基づく。ポルトガルではいたるところで見掛けることができる美しい装飾タイル。粘土に色付けをして窯で焼き上げたもの。ことにポルトのサン・ベント駅のホール壁を飾るポルトの歴史を描いた鮮やかなアズレージョは仰ぎ見てうっとりする。すみれさんも魅せられ、第一句集名に選ばれたものであろう。

とある。同時にこの集名ともなった句に寄せて、

爽やかな女性である。「爽やかさ」は生来のものもあろうが、長い人生さまざまな哀楽を経て、つとめて身につけるものでもある。

と述べ、さらに最後に、

 句集『青い絵タイル(アズレージョ)』は歩けば長い人生の出発に相応しい宝物である。

と結ばれている。

幾つかの句を挙げておこう。

   若夏やマンブローブの根は修羅に
   ふくふくと桃やねずみや吊るし雛
   沖波に暾(ひ)のあたりたる紫羅欄花(あらせいとう)
   春水の歌ひ始めるビビディバデビィブ
   目も口もなきマネキンや虫の夜

斎藤すみれ、1949年、茨城県生まれ。



                ジュウガツザクラ↑

2016年10月22日土曜日

前田霧人「へその緒を断たれてよりの秋思かな」(『レインボーズ エンド』)・・・



前田霧人第二句集『レインボーズ エンド』(霧工房)は巻尾に、散文、エッセイを収める句文集である。句集名に関する追記には以下のように記されている。

 その後の我が庭に追加したホスタの名前の一つがレインボーズエンドで、映画「ティファニーで朝食を」の主題歌「ムーンリバー」の歌詞の一節に出て来る。映画ではオードリー・ヘップバーンが部屋の窓枠に腰掛けてギターを弾き語りで歌っている。
 映画の字幕で、レインボーズエンドは「虹の端っこ」、意訳すれば「見果てぬ夢」。

そのレインボ―ズエンドに捧げるように、本句集の最後の句は、少し淋しく、

   おぼろ夜の夢追いそのうちグッドバイ

である。装幀は霧工房の増田まさみ。かつての同人誌「日曜日」の発行人である。攝津幸彦が健在だったころ、増田まさみに「豈」と合体して、誌名を「日曜日の豈(兄?)」にしませんか、と提案したことがあるらしい。そのせいかどうか「日曜日」休刊ののち、亘余世夫は、「豈」に参加し、現在は、徳之島で島言葉の収集、研究をしている。

   シリウスや神々もまた生ぐさし       霧人
   シュレッダー音高々と春来る
   夕焼けてどこかへみんな帰るんです
   闇の奥にまた闇があり蛍生る
   夏草のスカイツリーよりは低し
   水割りやぼくにもあった敗戦日
   そして誰もいなくなった開戦日
   凍蝶の渡る幻化の海なりき
   
前田霧人(まえだ・きりひと) 1946年、高松市生まれ。






2016年10月21日金曜日

長井寛「紙魚はしる『斜陽』昭和のデモクラシ―」(『水陽炎』)・・・



長井寛(ながい・かん)1946年新潟県生まれ。『水陽炎』(現代俳句協会)は、本年、第17回現代俳句協会年度作品賞を「水辺の獏」30句で受賞した作者の第一句集である。ただ、受賞対象になった作品は含まれていない。本句集のⅤ章には2016年の作品が収録されている。年度作品賞は既発表作でも可なのだが、句集のための原稿が整った後に、書下ろし作品を応募したのかもしれない。
愚生も年度賞選考委員の一人なので、選評には以下のように記している。再掲する。

 今回(第17回年度作品賞)は、昨年よりも応募が十数編増え、218編あった。正直にいうと全体的に卓越した作品は乏しく、低調だったのではなかろうか。とはいえ、僕が最後に残した長井寛「水辺の獏」は、

  一頭づつ浮雲になる紋白蝶        長井 寛
  陽炎に入る機関車の浮遊感
  
など、全体的に句の出来、完成度が高く、破綻が少なかった。、また、中には、

  大海人皇子幣振る海開き

のような一見フィクショナルな句もあり、加えて、僕は知らなかったのだが、「ランズエンド」という通販ブランド名を詠み込んだ「尺取りの越すに越せないランズエンド」には、上五・中七のフレーズの通俗さに、同意できないものの現代の猥雑さを詠み込む試みを楽しんだ。

ともあれ、作者は獏がお好きなようで、本句集にも、

  春はあけぼの貪欲な獏の吻
  獏飛んで南の島に寒波来る

句がある。「あとがき」には、

俳句は教わるものではなく自らが学んで感性を身につけるものであり、未踏の坂道をゆっくり上っていくようなものであると感じています。

と記している。その志を良しとしよう。いくつかの句を以下に挙げる。

   寒紅を引いて白狐になりすます
   天心のアジアはひとつ夏来る
   黒南風を満載にして無蓋貨車
   昼顔にあしたのことを聞いてみる
   日向ぼこ日の真ん中に居て孤独




                                                       ダリア↑

   

2016年10月20日木曜日

小津夜景「なみがしらなみだの楼をなしながら」(『フラワーズ・カンフー』)・・・



小津夜景『フラワーズ・カンフー』(ふらんす堂)。
小津夜景(おづ・やけい)1973年北海道生まれ。
第2回攝津幸彦記念賞準賞受賞。そのとき、在住のフランスからの投稿だった。「豈」誌上に作品50句を掲載するのみ。応募の際に副賞が出るなどとは記されていない。副賞は、と言っても図書カード1万円のみ。豊かではない「豈」の財政状態からは通常の財政からは一文も出ない。ただ、若い人たちの何か役に立つことをやってくれと、匿名篤志家のカンパによって副賞は設定されているのだ。その折の正賞(副賞・7万円)は花尻万博「乖離集(原典)」。準賞は小津夜景「出アバラヤ記」と鈴木瑞穂「無題」だった。本句集『フラーワーズ・カンフー』にも収められているが、全く新しいテキストになって再登場しているといってもいい。著者は「出アバラヤ記」の改稿含む、と「あとがき」に述べている。改稿の一例を挙げると、

  ふみしだく歓喜にはいまだ遠いけれど、金星のかたむく土地はうるはしく盛つてゐる。
隠者ゐてジャージ干すらむ秋の園

 本句集では、前書きは同じだが、句は、

      跡形もなきところより秋めきぬ

となり、また、

 たちこめる霞。うちともる吾亦紅。水をおおふ空木のひとひら。やすらぐ鳥の葉隠れのむれ。眼に見えるものはいつでも優しげだ。
百菊の逆髪あへぐ目閉づれば
 
は、以下のように改稿される。

 たちこめる霧。うちともる吾亦紅。水にせまる空木のえだぶり。やすらぐ鳥の葉隠れのむれ。眼に見えるものはいつでも優しげだ。

      目ぐすりをくすぐる糸の遊びかな

といった具合だ。帯には正岡豊「廃園から楽園へ」とあり、鴇田智哉は「のほほんと、くっきりと、あらわれ続ける言葉の彼方。今ここをくすぐる、花の遊び。読んでいる私を忘れてしまうのは、シャボン玉のように繰り出される愉快のせいだ。」と惹句している。
思うに、俳句形式の秩序になれた読者からすれば、小津夜景の句群には、むしろ、俳句形式によって解体されたさまざまな光景を目にしているのだろう。
以下にいくつかの句を挙げておこう。

   重力のはじめの虹は疵ならむ
   晩春のひかり誤記のままに鳥
   戦争のながき廊下よクリスマス
   声あるが故に光を振りむけばここはいづこも鏡騒(かがみざい)なり
   ともづなに蛍をともす夜さりかな




2016年10月18日火曜日

小南千賀子「原子炉を抱き眠らない山がある」(『晩白柚』)・・・



小南千賀子第三句集『晩白柚(ばんぺいゆ)』(東京四季出版・私家版)、その「あとがき」の書き出しには、

 三月十九日、NHK青山荘にて「阿部鬼九男を偲ぶ会」が催され、名古屋の旧「環礁」の方々と出席した。
 阿部氏は、初学の拙句〈肉親になかなか効かぬ血止草〉に「この人は俳句が解りかけてきた」と評して、第一句集『半夏』の栞文を書いて下さった。それが俳句を続けている原点の気がする。

とあった。句歴も長いが、各章には自身の描いた絵も載っている。多才の人なのかも知れない。愚生にとっては「俳句空間」(弘栄堂書店版)の新鋭作品集に投句し、後に、アンソロジー「俳句空間」新鋭作家集『燦』に参加していただいた俳人である。本句集の第三章「煙茸」の中扉に赤い背景に描かれている白曼珠沙華ではないが、アンソロジー『燦』では100句全句が彼岸花を詠んだ句群だった。
同書の解説に林桂は、

  小南は、全句「彼岸花」を作品に束ねるイメージに使いながら、むしろそれ故に作品世界を乱反射させている。さまざまな方向へ散ってしまいそうな風船を束ねる紐のように「彼岸花」は存在している。

と評している。このアンソロジーには、現在、小説家としても活躍中の倉阪鬼一郎や「円錐」の今泉康弘、「豈」の宮﨑二健、「未定」の山口可久実なども参加していた。



また、句集『晩白柚』には岐阜県中津川市にある二基の小南千賀子の句碑も掲載されている。句は、

  恵那山を背負つて来たり蝸牛        千賀子
  恵那くもり笠置山晴れ茸採る

因みに略歴には1934年、岐阜県生まれとあった。
ともあれ、いくつかの句を愚生の好みで挙げておこう。

  風景をゆっくり廻す桃の花
  蟬の声やむことはなし被爆の木
  瀬戸際に遺してゆきし夏毛かな
  蛇穴を出て戦場へ行く気なり
  銀河まで乗り換えなしのバスに乗る
  はんざきの何処へ触ってやればいい
  八月の推敲はまだ終らない
  こわれやすい国家に住んで芹薺
  十二月八日の箱に蓋が無い
  戦争を知らぬままに煮凝りし
  激戦のあった所へ水を打つ




 

2016年10月16日日曜日

瀬戸正洋「蒲公英や原子力発電所は壊れる」(『へらへらと生まれ胃薬胃腸薬』)・・



瀬戸正洋(せと・せいよう)、1954年神奈川県生まれ。句集『へらへらと生まれ胃薬胃腸薬』(邑書林)は一句が句集名になったような句集だが、ひょっとしたら句集名の句が一番よいのではないかと思ったりする奇妙な句集である。
それを帯では、

  不条理で荒唐無稽な現実に流され、/理不尽な社会を泳ぐしかない正洋の俳句が蔵す、/遣り切れない切なさに気付いた時、/この本を/メランコリックな気分で読むのもありだろう。/いいや、それでも笑ってしまう?/それも正解。/俳句は決してお行儀のよい文学なんかではない。

と惹句されている。
本文は最近では珍しい一ページ一句立て。序文も後書もない、実にシンプルないでたちである。しかも、一気に読むには手ごろの200句。
以下にいくつかの句を紹介しておく。

    鯨の酢味噌和議論から口論へ      正洋
    蒲公英や爆発しない手榴弾
    にんげんはゆつくり生きる油照
    七五三、健康、幸福、そして「運」
    明易し金庫に金の無かりけり
    常連の店はわがまま初鰹
    優曇華や朝昼晩と飯を食ひ
    夏夕べ過去よりシュプレヒコールかな




2016年10月15日土曜日

山本つぼみ「ひた枯れて風よりほかは棲めざりし」(『自註現代俳句シリーズ・山本つぼみ集』)・・





『自註現代俳句シリーズ・山本つぼみ集』(俳人協会)は、著者自選300句に自註を付したシリーズの一冊である。引用する。

    ひた枯れて風よりほかは棲めざりし   平成元年作

         相模野はすっかり都市化した。わずかに残った面影
         をのこす公園も枯れ一色。大山颪が容赦なく。

    旅のまちかど芯まで燃えてななかまど   昭和五一年作

        北海道への旅は土岐錬太郎師恋いの旅、さらに
        「アカシア」誌友との交流がある。ななかまどの実が
        真赤な街路樹の町。

    ときには青のみの余韻に虹澄めり      昭和五九年作
    
        飯田祐見子は城太郎師の一番若い弟子で、美しく
        聡明な女性だった。白血病で私の勤務する病院に
        入院していた。相寄って句集『虹』を上梓した。

土岐錬太郎師とは、北海道・新十津川の僧侶で、日野草城に師事、「アカシア」を創刊、八幡城太郎、小寺正三、楠本憲吉、桂信子なども参加した。城太郎師とは、八幡城太郎、相模原市の名刹青柳寺の住職。1953年に「青芝」を創刊主宰した。『現代俳句大辞典』・伊丹啓子の解説には「新興俳句の系譜を引き、清新な生活感情をうたうことをめざす」とある。城太郎亡きのち、山本つぼみは、市川愁子とともに副主宰を務めた。
以下は、同集より、句のみ。

    猛き夏心よわりをみすかされ       昭和49年作
    ははも父も雪の戒名雪に眠る      昭和55年作
    敗戦忌骨(こつ)なき兄の六十年    平成一七年作
    戛々(かつかつ)と軍靴脳裡に八月忌 平成二五年作
    衣更ふ尺度合はざる世の隅に     平成二六年作   

山本つぼみ、1932年、神奈川県生まれ。


                                           
                                           今夜の月↑

2016年10月13日木曜日

攝津幸彦「満蒙や死とかけ解けぬ春の雪」(「俳壇」10月号)・・・

                                          
              攝津幸彦新居にて、右は攝津資子・(背中が愚生)↑

今日、10月13日は命日、攝津幸彦没後20年。「俳壇」10月号(本阿弥書店)では、仁平勝が特別寄稿「毛と満蒙」を執筆している。さすがに仁平勝らしい視点と攝津幸彦の資質、特質をよくとらえた見事なものだ。「自身の通俗さに対してつねに肯定的であることだ」という件などは卓見で、攝津幸彦と仁平勝との間に、具体的な世俗の例があるのだけれど、書くのは憚られる(ちょっとしたエピソードだが・・)。
話題は変わって、「満蒙や死とかけ解けぬ春の雪」の仁平勝の鑑賞の一部を以下に引用する。

 掲出句は「満蒙」がキーワードだが、「死とかけ解けぬ」というのは、「〇〇とかけて〇〇と解きます。その心は・・・」というパロディーである。寄席の大喜利でやる遊びで、戦後「とんち教室」というラジオ番組があって、庶民の間で流行した(今日の笑点」に引き継がれている)。攝津のなかでは子供の頃の思い出として、父親の軍歌とともにこれが重なっているのだ。
 「死とかけて」という題は、出征する兵士には理不尽な謎かけである。戦争で死ぬことは自分の選択ではないし、「その心は」と問われても、「お国のため」と答えるしかないからだ。一句は謎かけを「解けぬ」と受けて、それを「春の雪が解けない」と転換してみせた。兵士にとって確かなのは、満蒙の長く厳しい冬という現実である。(中略)
 つまり攝津は「皇国前衛歌」のパートⅡを、「皇国」が終焉を迎える場面から語り出している。いうならばそれは戦死者にたいする鎮魂だった。

最後の思い出話には、愚生も登場するのだが、攝津新居の場面は、夫人・攝津資子の『幸彦幻景』(スタジオエッジ)に詳しい。

        「豈」編集会議

 三月に入って、わが家においては初めてという「豈」の編集会議が開かれました。新居のお披露目の最後の客人ということになりましょうか。大井恒行氏、仁平勝氏、池田澄子氏、酒巻英一郎氏といったお顔ぶれで、シロウトには何が可笑しいんだかさっぱり、といった話題に皆さん終始笑いさざめいておられました。

その会議という名目の集まりに攝津幸彦は2月の頃から桜の枝木を10本ばかり買ってきて部屋に飾り、その日に合わせて開花させようと暖房を入れたり、寒くしたり、攝津家はいろいろ苦労する。

こうした苦労の甲斐あって、会議の当日は、時折花びらがハラハラと紅い毛氈の上に舞ったりして絶好のお花見ごろに。ご満悦の幸彦はとっておきのお香まで燻らせて、客人方をお出迎えしたのでした。
 (中略)
そして、彼が仲間たちと楽しげに談笑し、花見酒(幸彦だけは烏龍茶でしたが・・)を傾け合っている図は、知ってか知らずか真に、¨今生の別れを惜しむの宴¨と申すに相応しい情景ではありました。

 忘れもしない20年前の10月10日、その日、愚生は2~3時間、会社を抜け出して、仁平勝、酒巻英一郎と待ち合わせて、攝津幸彦を御茶ノ水の順天堂大病院に見舞った。そして恒例となっていた「豈」忘年句会を攝津幸彦は病室を抜け出して参加するというので、近くの会場を探す約束をして病室を後にしたのだった。
エレベーターまで、点滴の管をつけたまま見送って手を振ってくれた攝津幸彦の姿が最後になろうなどとは誰も思わなかった。思えば、ただ一人、余命を知らされていた資子夫人だけが、是非、見舞いにと導いてくれたのは、その覚悟あってのことだったろう。そのわずか三日後、容態は急変し、あっという間に逝ってしまった。


                     ルコウソウ↑

2016年10月9日日曜日

飯田史朗「首振ってピアスの流星ラップデモ」(『新俳句人連盟七〇年』)・・・


               新俳句人連盟連盟・新会長 飯田史朗氏↑



本日、東京ガーデンパレスに於て、新俳句連盟創立70周年記念祝賀会が開催された。
まず最初に、開会の辞のなかで田中千恵子氏から、午前中に行われた総会において、先般亡くなられた敷地あきら会長の後を継いで、新俳句人連盟会長に飯田史朗氏が選出されたという報告があった。
新会長・飯田史朗氏の挨拶ののち、来賓からは、宮坂静生現代俳句協会会長、大牧広「港」主宰、乾杯は古沢太穂の御子息・古沢耕二氏と続いた。
途中、有吉かつ子氏の歌と「上を向いて歩こう」の合唱。
歓談後のスピーチは日本民主主義文学事務局長・乙部宗徳、第五福竜丸平和協会事務局長・安田和也、全国俳誌協会会長・秋尾敏各氏と続いた。愚生はもともと挨拶は苦手で、その場で思いついた俳句を捧げた。

        秋闌けて踏む七十年や俳句人         恒行

また、愚生が毎号の「俳句人」トップページの写真を楽しみにしている報道写真家・石川文洋氏に初めてお会いした。


                                                                               イイギリ↑

2016年10月7日金曜日

九里順子「生きるとはエロスとモラル秋夕焼」(『風景』)・・・



九里順子第二句集『風景』(邑書林)の帯文には著者「あとがき」から、

 肌に触れる空気や日差が身体に馴染んで、眼差しに浸透した時、新しい風景が見えてくる。風景は、その人が生きてきた時間と場所が交差する十字路に立ち現れるのだ。

とある。風景と言えば、愚生にはすぐにも志賀重昂『日本風景論』が思い起こされるが、ここでは印象が違う風景のようである。これまでも風景論は色々あったが、少なくとも風景は過去と現在をつなぐ役割をはたしているとはいうものの、懐かしむものとばかりは言えない。
本集のなかには本歌取り、コラージュの趣をもつ作品、例えば、

   永き日のにはとり挑む隠逸士     順子
   白紙賛滝現れて落ちにけり
   みわたせば花ももみじもなき竹林
   眼差のどうぞこのまま秋入日
   惜しみなく愛は奪ふか冬木立

など、また、「続・近代詩漫歩」の章にも、その前書が句の背景を暗示しているので、趣向としては根がひとつだろう。愚生の好みからえば、

       小野十三郎
   葦原に垂直の旅始まりぬ

あたりかも・・・。ともあれ、いくつかの句を以下に挙げておこう。

   影もたぬ闇の林檎と炎かな
   借景の正面にある竹の春 
   ホースより低き水音寒の闇
   にんげんもトマトも持てる浮力かな
   魂に逢ふため裸脱ぎやがれ

九里順子(くのり・じゅんこ)1962年福井県大野市生まれ。



                                     ハナミズキ↑


2016年10月6日木曜日

今井聖「秋日の鶏舎自動給餌器折り返す」(「街」NO,121)・・・



「街」NO.121は、創刊20周年記念特集号である。
その特集は「師の条件・弟子の条件・仲間の条件 あなたはどこにいる?」。
鼎談に大串章・正木ゆう子・今井聖。評論に上田信治・太田うさぎ・黒岩徳将・西原天気・阪西敦子・西村麒麟・藤井あかり・堀田季何・北大路翼・髙勢祥子と若手を多く起用しての豪華メンバーというべきか。いつまでも若いと思っていた今井聖もいまや愚生とさして変わらない年齢だった、と改めて思い、年月の速さを思うのである。いつもながらの大串章の誠実さと、ちょっぴりわがままな正木ゆう子、愛すべき屈折の人・今井聖の鼎談は、彼等の来し方が伺えて、面白かった。
例えば、大串章の発言、
 
  私は日本鋼管という会社に入ったんですけど、本当は林火が横浜に居たからなんです。会社の入試のときは絶対言わなかったですけどね。日本鋼管は当時は川崎市にしか製鉄所がなかったんですよ。で、日本鋼管に入ればその近くに住めるだろう。そうすれば、大野林火のところで俳句を見てもらえるだろう。

師を選ぶとは、こういうことだろうな、と思う。生活、人生も賭けてしまうものだ。愚生は、ついに師をもつことが出来なかったので、半分は羨ましい気分がある。

評論では、北大路翼「敗北の味」の、

 敗北を恐れるくらいなら表現をやめたほうがいい。安易に手に入る勝利に未来はない。敗北の悲しさ、つらさ、怒りこそ僕らの俳句の糧だ。

これくらい威勢がいい方がよいが、少年老い易く・・・もはや、その恐れの方が愚生には襲いかかっている。

藤井あかりは自らに引き寄せて、

 自分の心を突き動かすものがある限りペンを執る。失くなれば手放す。また突き動かされれば、また執る。どこまでもシンプルなことだと思う。

とシンプルでいい。
 
寺山修司は「賭博には、辞世では決して味わえぬ敗北の味がある」と言ったとか。まあ、俳句形式を選ぶことは、賭けであることには間違いない。
ともあれ、それぞれの評者が与えられたテーマ(これがすでに屈折しているのだが)によく答えようとした努力に敬意を表したい。また、「街」の連衆の25年間の奮闘、努力に拍手を贈りたい。
 


                  ヨウシュヤマゴボウ↑

2016年10月5日水曜日

大木あまり「あの日より波は魔王や風車」(『遊星』)・・・



大木あまり第6句集『遊星』(ふらんす堂)、「およそ二〇〇一年から二〇一五年の冬までの四〇七句を収録。大胆な割には、いつも迷い混沌としている私には『迷星』のほうが合っているのだが、公私ともに辛いことがあった歳月の中で、なるべく遊び心を失わず自在に作句してきたので、句集名を『遊星』とした」(あとがき)とある。
大木あまりの句に、熱心でないにしても、これまで、それなりに読ませてもらってきたが、本集には国を憂うる句が、また只今の日本国に対する句が意外にも多く愚生の目に刺さってきたのだ。それは共感のできる姿勢だった。愚生の中の大木あまり像にいささかの変化をもたらした。
というわけで、いくつかの句を挙げておきたい。

   栗鼠が屋根走る憲法記念の日         あまり
   国憂ひ夜濯の水鳴らしけり
   ハチ公のまだ待つてゐる終戦日
   軍港は芥だまりや冬の鳥
   十二月八日茶碗の渋をおとせども
   ひんやりと腰の湿布や開戦日
   鳴きもせず日本の空を鳥帰る
   寒風やあれは抗議の白テント
   戦なき国に基地あり春の雷
   雛の頬白く固しや国病めり
   
また、忌日の句に、

  振り向かず蛇は水辺へ重信忌
  日除して疾走の船修司の忌

愚生イチオシの句は、
  
  死は一字夢も一字や野鵐(のじこ)鳴く

大木あまり、1941年東京目白生まれ。

                                              ゴーヤ↑
   

2016年10月4日火曜日

田中千恵子「もう一列若葉の椅子を夢道らに」(「俳句人」NO.666・10月号)・・・



「俳句人」NO.666・10月号(新俳句人連盟)の特集は「70周年に寄せて」である。連盟外からは宮坂静生、秋尾敏、寺井谷子、前田弘、安西篤、沢田改司、大牧広、石寒太、田中陽、酒井弘司、山﨑十正、坪内稔典、山本つぼみ、筑紫磐井、中嶋鬼谷らの俳人に加え、日本民主主文学会、詩人会議、新日本人歌人協会、第五福竜丸平和協会などの団体からの祝辞が寄せられている。
それはそれで目出度く、尊いことなのであるが、愚生は、いつも本誌最初のグラビアぺージに掲載されている石川文洋の写真と文に目が行ってしまう。
連載「人生の転機」の22回目は、熾烈を極めている沖縄高江の「ヘリパッドに反対する人々」だった。
その冒頭に、

  七八歳となった今は、残りの人生がどのくらいあるかは念頭になく、毎日毎日を懸命に生きるだけと思っている。八月一日に沖縄へ行き高江のヘリパッド(ヘリコプター着陸帯)建設に反対する人々を撮影した。
  十日間で三〇四〇枚撮影。カメラマンとして自分でも納得できる活動だった。撮影した内容は、ヘリパッド反対者を押えるために安倍政府が派遣した機動隊の暴力。機動隊に守られた建設地へ砂利を運ぶトラック。建設を阻止しようとする座り込む人々の表情。

とあった。愚生も12,3年ほど前になるだろうか、沖縄平和行進に参加した折に、高江の現地に行った記憶がある。その頃は、オスプレイが配備されるという噂がいよいよ真実味を帯びて来るころだったように覚えている。
その石川文洋の裏のページの「四季彩々」は古沢太穂(1913~2000年)の色紙、

    ロシア映画みてきて冬のにんじん太し  太穂

以下は古沢太穂句抄から、

   啄木忌春田へ灯す君らの寮
   白蓮白(しろはすしろ)シャツ彼我ひるがえり内灘へ
   蜂飼いのアカシアいま花日本海

因みに「新俳句人」創立70周年記念祝賀会が、来る10月9日(日)、東京ガーデンパレスに於て、開催される。



                   アゼリア↑

2016年10月3日月曜日

和田耕三郎「水呑めば吾れもまた闇節子の忌」(『椿、椿』)・・・



和田耕三郎『椿、椿』(ふらんす堂)は、節子の忌であふれている。節子とは、もちろん彼の師である野沢節子である。その節子の闇の句といえば、

   はじめての雪闇に降り闇にやむ      節子

の句である。1995年4月9日75歳で没している。おのずとタイトルに挙げた和田耕三郎の句「水呑めば吾もまた闇節子の忌」にたどりついた。野沢節子は生涯を闘病ととも送った。本句集「あとがき」は、実にシンプルだが、

 脳腫瘍の手術を受け、右半身と言語の障害を持つようになって十年が過ぎた。前の句集『青空』以後も俳句を作り続け、同人誌「OPUS」はまもなく50号を迎える。  

   これからも俳句とともに。

としたためられている。思えば好青年だった和田耕三郎は愚生よりはるかに若いと思っていたのだが、生れは昭和29年、愚生より6歳下だったのだ。この年齢になってみると、さして違わないような気もするし、いやいや、まだまだ彼には将来の有る身とも思えてくる。
ともあれ、節子忌の句からいくつかを以下に挙げておこう。

   黒髪に落花一片節子の忌      耕三郎
   節子の忌さくらひたすら仰ぎをり
   節子のさくらつねこのさくら月細し
   冬ざくら節子つねこと亡くなりて
   コーヒーの黒く澄みたる節子の忌
   節子忌の空いつぱいに空があり
   船笛のかすかに聞こえ節子の忌
   花吹雪また花吹雪節子の忌
   水音の空から聞こえ節子の忌
   さくら一枝空き瓶に挿し節子の忌




   
  

2016年10月2日日曜日

加藤哲也「一壺中一天地あり青簾」(『美しき尾』)・・・



加藤哲也第二句集『美しき尾』(角川書店)の集名は、

   初糶や美しき尾を見初めたり      哲也

の句に因むものだろう。櫂未知子の跋文には、

彼の作風はいわゆる伝統的な俳句の作り方とは少し異なっているといっても良いかもしれない。その句がうまいか下手かといった次元を超えた、彼独自の視点による素材の切り取り方といおうか、とにかく意表を突く内容を見せてくれることが多い。(中略)
 こういった作風は時に誤解されるであろうし、理解されない事態を招くこともあるだろう。しかし、自分を信じて、加藤哲也らしい作品を一句一句刻んでいって欲しい。いつか、多くの俳句愛好者が、あなたの名を口々に叫ぶ日がくるはずだ。

とある。

   戦争と平和の後の昼寝かな
 
の句には、余談だが、三橋敏雄を想起したくらいだった。偲ぶ・三橋敏雄と前書があったら絶対にそうだと思わせただろう
ともあれ、いくつかの句を挙げておきたい。

   新緑を傷口に入れがたき日々       
   公魚の貌を揃へて売られをり
   端居してだんだん宙へ行く身なり
   影といふもののはじめや初明り
   こひねこのねこからいうたいりだつせり
   逃水やこともあらうに雑踏へ
   大日本帝国の如麦の秋
   一斉といふ空爆のあり虫時雨



  
 
  

2016年10月1日土曜日

森英利「雁かえるぢいちゃんは天皇陛下の赤子(せきし)と言われて征った」(「夢座」173号)・・



「夢座」代表で世話人だった療養中の椎名陽子、そのパートナーの市川恂々(現在は関西に転居されている)から、新代表の渡邊樹音、編集・銀畑二体制に移行し、2冊目の「夢座」173号(「夢座」東京事務局)が発行された。「夢座」再建への過程は、新同人を迎えてとりあえず順調のようだ。
ブログタイトルに挙げた、森英利「雁かえるぢいちゃんは天皇陛下の赤子(せきし)と言われて征った」は、自由律句であるが、作者はご高齢のようだが、題材は新しいし、他の作品の定型感はしっかりしている。他にも、

   螇蚸(ばった)とぶ「きゃりーぱみゅぱみゅ」と鳴けますか     英利

の句があった。 
また、表紙に置かれた句は、

   緑風や漣たてばふいにやむ 

作者名はなかったが、どうやら同人の鴨川らーらの「涼風や漣たてばふいにやむ」が原句らしい。
巻頭のエッセイは城名景琳「季のことば」は連載38回目。前172号の作品評は、愚生。書評には、佐藤榮市による照井三余句集『七草の孤心』評が掲載されている。
ともあれ、以下は森英利を除く一人一句。

    緑蔭に供花一つなく眠りたる      大田 薫
    理髪店出るたちまちに月見草     佐藤榮市
    汗の重さに渡された日銭        照井三余
    翼めく旅立ちの日の夏帽子      渡邉樹音
    味方まだ集まり遅し震災忌      城名景琳
    草野球シロツメクサも守備なれば  江良純雄
    斑猫をはべらせているわけじゃない 鴨川らーら
    小鮑の命を剥いで島焼酎       金田 洌
    SEALDsつてどこの芸人ねじり花   鹿又英一
    谷中根津なにも千駄木やかなけり  銀 畑二