2016年11月1日火曜日

攝津幸彦「山桜見事な脇のさびしさよ」(『日本文学全集29・近現代詩歌』)・・



池澤夏樹個人編集で話題になっている『日本文学全集29・近現代詩歌』(河出書房新社)が発行された。
それぞれの選者は、詩「池澤夏樹」、短歌「穂村弘」、俳句「小澤實」である。
選ばれた俳人は50人、基準は「編集部から池澤夏樹氏(一九四五年生まれ)より前に生まれた人、ただし物故者の場合は以降生まれでも可」(穂村弘・選者あとがき)という統一ルールが示されたとある。
ただ、小澤實選は全て物故者50名で、戦後生まれ物故者の攝津幸彦と田中裕明が入っている。
愚生にとってありがたかったのは、各人の俳句5句の原句と同時に、口語訳と短いながら鑑賞が付されていることだ(しかも、総ルビ付き)。
もちろん、句以外、読みたくない人は、原句のみを追えばいい。
ブログタイトルにした「山桜(やまざくら)見事(みごと)な脇(わき)のさびしさよ」は、

 口語訳は略。この脇は俳諧の発句に付けられる脇句か。みごとな脇句は、発句以上にでしゃばってはならない。発句と時と場とを共有しつつ、そっと添えるように置かれる。たしかにそんな脇句のありようはさびしい。山の自然林のなかに山桜が混じり咲いているのをうつくしく眺める。桜が、他の木々のうつくしさまで引き出しているように感じる。街中に咲くソメイヨシノとは違う花なのだ。

と記されている。小澤實ならでは読みであろう。愚生はというと、そんなに高尚に読めないが、本全集にも収められている、永田耕衣「天心(てんしん)にして脇見(わきみ)せり春(はる)の雁(かり)」が攝津幸彦の意中にあったのではないかと思っている。

これは、余談になるが、短歌編に平井弘(1936~)があって、愚生はまったく忘失していたのだが、改めて彼の歌集『前線』の歌、

  男の子なるやさしさは紛れなくかしてごらんぼくがやさしく殺してあげる

を思い起こすことになった。穂村弘の解説には、代表歌で読みが分かれているという。
そして、

 平井弘の特異な文体は、戦後への批評性を起点としていながら、結果的に短歌の戦後性を先取りしているように思える。

と結んであった。愚生がほかに当時愛唱した歌(これもやっと思い出した)は、

  膝ひらいて搬ばれながらどのような恥しくない倒されかたが    

この一首に佐佐木幸綱が「この歌は、直接に敗者のぶざまさをうたっている」と言っていた・・・。

ともあれ、小澤實に選ばれた攝津幸彦の他の四句を挙げておこう。

   南国に死して御恩のみなみかぜ      幸彦
   階段を濡らして晝が来てゐたり
   国家よりワタクシ大事さくらんぼ
   露地裏を夜汽車と思ふ金魚かな




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