2016年11月10日木曜日

上田玄「地平より/照らす/幻日/雪つぶて」(『月光口碑』)・・・



上田玄『月光口碑』(鬣の会・風の花冠文庫)は、上田玄三十四年ぶりの第二句集にして多行表記の句集である。。第一句集は『鮟鱇口碑』(私家版)は確か一行表記だった(収録は49句だったらしい)。
長い年月の休筆時期を経て2011年に句作を再開。現在は、多行表記。

   地平より
   照らす
   幻日
   雪つぶて

上の句は「私唱雪月花」の章の冒頭の句、前ページには、以下の端書が付されている。

 アポロ11号の月着陸は、巣鴨拘置所で録音放送で聴いた。夜空を見上げることはできなかった。

上田玄1946年静岡市生まれ。愚生の勝手な想像でいうのだが、たぶん70年安保闘争の最中のことであろうか。もしかしたら、アポロ月面着陸(1969年7月)であれば、なおそうであろう。壮大なゼロと言われた闘争は、60年安保闘争が左派右派ともにナショナリズムを潜在もしくは全面におしだした希望の闘争であったとすれば、愚生ら70年安保世代はすでに闘争の敗北は想定の内だったはずである。その伝でいけば、心情的には日本浪漫派的だったのかも知れない。その渦中に上田玄はいたのだろう。玄は黒であるから、その俳号「玄」が本名でなければ、黒旗(アナーキズム)を負っていたかもしれない。今は無き戦犯を収容した巣鴨プリズン・巣鴨拘置所はその頃は、闘争によって逮捕された未決拘留者も多くいたのではなかろうか。
句に戻ると、「地平より/照らす」には、あきらかに渡辺白泉「地平より原爆に照らされたき日」が潜んでいると思われる。幻日(太陽光における現象としての幻日のみならず)は幻ではない現実を含意していよう。

   月光亡八
   黒旗畳む
   勇みの
   友ぞ

本句集は、M・Oへの献辞があるが、その一つは、

 M・Oにはオールド・ボルシェビキ、略称オルボルという仇名があった。そこには、彼の頑固さに辟易する思いと、それに負けないほどの敬意が込められていた。 

とある。そのボルシェビキの象徴的な存在としてのレーニン(スターリニズムの根源にちがいない)。

  木漏れ月光
  我を
  腑分けす
  小レーニン

  錆として
  花として
  仮置くか
  渚のレーニン

  レーニンの
  卒塔婆
  南へ
  枯木灘

とまれ、痛憤慚愧の次の一句で終わろう。

 塩漬けの
 魂魄を
 荷に
 驢馬の列





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