2016年12月28日水曜日

特集「エズラ・パウンド―俳句への遡行」(「未定」101号)・・・



「未定」VOL.101での特集「エズラ・パウンドー俳句への遡行」で安井浩司へのインタビュー「詩篇と句篇を巡る沿岸航海」が掲載されている。聞き手は田沼泰彦。田沼は他にも「パウンドは影響する」という論考、さらに「パウンド詩鈔」として自ら訳出している。加えて高原耕治との対話(連載第一回)の「よみの はて をよむ」を展開する。本号より「未定」は装幀も一新、レイアウトも一新、たぶん編集人となった田沼泰彦の行き届いた本作りであろう。内容も随分と濃い。
ただ、愚生の如き老人には活字が小さすぎて、正直、目が泳いでしまう(もっとも、これは愚生の怠惰にしか過ぎないだろうが・・)。とはいえ、安井浩司へのインタビューは、よくもここまで聞き出したものだと思わせるものだ。例えば句集『宇宙開』を「句篇・全」とし、一句集一作品という試みをパウンド「詩篇」にアナロジーさせての質問なかで、以下のように安井浩司は述べている。

 もちろん俳句は一句だということを否定しません。あなたがおっしゃるとおり、俳句は一句独立だということに間違いはない。でもひとつの俳句は、その隣にあるもうひとつの俳句を呼ぶんだよ。それは連句のことじゃない。連句じゃなくて、俳句の一句は次の一句を呼ぶ。そしてそのまた次の一句を呼ぶ。こういう友を呼ぶがごとき不思議な力が、俳句にはあるんですよ。一句の独立性と相反するんじゃないかと思う。がしかし、定型詩でありながら一句が一句を呼ぶ。だから俳人は、いつまでも俳句を作り続けられるんです。どうすればこの力を、もっと積極的に使うことができるのか。安井浩司の俳句には、そうした願望があるんです。

また、パウンドの詩篇については、

パウンドという詩人を一言で申し上げれば、「万生樹(ばんせいじゅ)」という言葉がふさわしいと思います。これは私の造語ですが、パウンドは『詩篇(キャントーズ)』を書くことで、あらゆるものを生み出す一本の樹を創りあげたと思うんです。そして、私を始めとして世界中の様々な詩人が、『詩篇(キャントーズ)』という「万生樹(ばんせいじゅ)に接続することで、次なる「万生樹」を新たに生み出して育んでいきたいと願っているはずです。
 
興味のある向きは本誌に直接当たられよ。「未定・1000円」発行人は高原耕治。

ともあれ、同人作品一人一句(といってもすべて多行形式)を以下に・・、

   元旦われて
   森羅
   中止(エポケ―)
   みな鏡                高原耕治

   ぬいぐるみの
   しん・ごじら
    
     海の用意ができました    山口可久實 

  (とり)の巣(す)
  奈落(ならく)の彼方(かなた)
  浮世憚(うきよはばか)
  侏儒(しゅじゅ)の翳(かげ)    田辺泰臣

  ガブリエル
  トナリ
  銀盤ノ亀
  トナル                 玉川 満

  没落至極
  生死一如の
  無限旋律              村田由美子

  Big Bang
  暗黒星の
  あひ
  照らす               天瀬裕康

    十月三日 くもり

  唾棄しても
  實は禁色の
  錆浅葱              大岡頌司×田沼泰彦




  
  

  

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