2016年12月21日水曜日

小川軽舟「解熱剤効きたる汗や夜の秋」(『俳句と暮らす』)・・



小川軽舟『俳句と暮らす』(中公新書)、例えば目次「飯を作る、会社で働く、妻に会う、散歩をする、酒を飲む、病気で死ぬ、芭蕉も暮らす」をみるだけでも、小川軽舟の俳句に向き合う、その姿勢と暮らしようが、見えるようである。加えて一気に読ませる勢いがある。
それらの中でも、記憶力のかなり鈍い愚生でも記憶を蘇らせてくれたところがある。
第6章の「病気で死ぬ」の折笠美秋、田中裕明の部分だ。

 微笑(ほほえみ)が妻の慟哭(どうこく) 雪しんしん  美秋

ALS患者にとって自分の意思を伝える最後の手段は眼球である。あらゆる筋肉が言うことを聞かなくなっても、眼球だけは動く。(しかし、やがてはそれもだめになる)。美秋は眼球の動きで意思を表し、妻がそれを文字にした。妻がいなければもはや自分の存在を書き記すこともできなかった。
 自分にはいつも穏やかに微笑む妻だが、その微笑こそが慟哭なのだ。窓の外でしんしんと雪が降る日に美秋はしみじみそう思う。

美秋が亡くなったのは1990年3月17日。告別の日には、春にも関わらず寒く,雪まじりに霙が降った。その七年前の愚生は、高柳重信の葬儀に、訃報に接しながら出席しなかった。だからいつまでも重信は愚生の中で生き続けていた。それは当時、いささかの悔恨をまたらした。送るべき時はきちんと送るけじめをつけなければいけないのだ、と。だからというけでもなかったろうが、折笠美秋(享年55)の葬儀には出掛けた。柩の中の美秋にもお別れをつげた。

田中裕明については、小川軽舟が記すように、亡くなったのは十二月三十日、元旦には、あろうことか、妻との連名で大伴家持の「新(あたら)しき年の始(はじめ)の初春の今日降る雪のいや重(し)け吉事(よごと)」の挨拶状とともに句集『夜の客人』が届けられた。その時愚生は、とっさにかつて攝津幸彦(享年49)を失い、今また田中裕明(享年45)を失ったと思ったのだった。

  死ぬときは箸置くように草の花    軽舟

以下、各章の扉に置かれた小川軽舟の句を挙げる。

  レタス買へば毎朝レタスわが四月   (飯を作る)
  サラリーマンあと十年か更衣      (会社で働く)
  妻来たる一泊二日石蕗の花      (妻に会う)
  渡り鳥近所の鳩に気負なし       (散歩する)
  青桐や妻のつきあふ昼の酒      (酒を飲む)
  解熱剤効きたる汗や夜の秋      (病気で死ぬ)
  家に居る芭蕉したしき野分かな    (芭蕉も暮らす)




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