2017年10月18日水曜日

衛藤夏子「冬銀河遺伝子操作研究中」(『蜜柑の恋』)・・



 衛藤夏子・俳句とエッセー『蜜柑の恋』(創風社出版)、「船団」の俳句エッセーシリーズの中の一冊。坪内稔典の帯文には、

 なっちゃん(夏子)は自然体、そしてちょっとした幸せにとても敏感だ。このなっちゃん、小説と映画と俳句が大好き。家族と友だちを愛し、薬剤師を仕事とする。当年52歳、まさに働き盛りのなっちゃんのこの本は、読後の心を清爽にする。若葉風が吹いたようだ。

とあって、まさにその通りの俳句とエッセーである。幸せそうな人生がそこにある。愚生とは生きる上での真剣さ、心がけが違うようだ。羨ましいといえば羨ましい。巻尾に「わたしの十句と短いエッセーの章がある。その中に「櫛買って人想う夜十三夜」の句のエッセーの最後は、

 歳を重ねると、どういうわけか、欠けているところのある人間に魅かれます。どんな人間にも表と裏があり、強さと弱さがあります。若いころには、その人の表や強さに魅かれていましたが、、だんだんと裏や弱さ、愚かさに魅かれるようになりました。それは、すなわち、人間そのものが面白くて、好きになっているのかもしれないです。

 とあって、やっぱり、愚生は魅かれなくてもいいから?自身にもう少し強さがほしいな・・と思ったりした。もっとも、多くが、映画や小説、そして仕事のことについてのエッセーなので、著者を知るにはまたとない手軽に読める本なのである。
 ともあれ、引用するには、エッセーの良さも損ねてしまうので、直接、本書を読まれたい。ここでは、集中より、いくつかの俳句を以下に挙げるにとどめさせていただこう。

  星祭院内感染増殖中        夏子
  白シャツと黒の下着の採血日
  怒りんぼう淋しんぼうかも秋の雲
  過去に降り現在に降り外は雪
  ときめきを見透かしている夏の星
  雁渡る難民渡る境界線
  
衛藤夏子(えとう・なつこ)1965年、大阪府生まれ。





   

2017年10月16日月曜日

三丸祥子「秋の日の鳥とりどりや片辺(かたほとり)」(『翼の影』)・・



 三丸祥子第一句集『翼の影』(書肆麒麟)、表紙写真・著者、装幀・山田耕司。栞文は澤好摩に横山康夫。横山康夫は著者について、

 彼女はじつは鳥博士である。植物についても詳しい。それもそのはず、NPO法人希少物研究会の事務局長といふ偉い肩書を持つてゐる。タカの渡りやクマタカの観察などに同行させてもらふと、絶滅危惧種について熱く語る人なのだ。(中略)彼女は飛んでゐる鳥を瞬間的に区別できるらしいし、鳴き声を聴いて鳥を区別ができる。これも驚きである。(中略)野鳥観察といふ長年の鳥との関はりがあつて初めてできることであらう。渡り鳥を何時間も待ち続けるなど、その根気強さは折り紙付きなのである。

と記している。「円錐」大分句会からの俊秀である。また、著者自身も「あとがき」に「愛読書は植物図鑑です」と記し、かつ「大人になってからは野鳥図鑑も友とし、特にタカと親しくしています」とある。従って、句集名についても以下のように記している。

 また春秋に越冬地と繁殖地を行き来するハイクマやサシバ、ハイタカなどは中津市内を一望できる八面山が渡りのコースになっており、空ばかり見上げる日が続きます。当然ながらそれらを詠んだ句が多くなります。句集名の『翼の影』は「雲海に翼の影や試験終ふ」の一句からというより、この句集のあちこちに登場する鳥たちの翼の影なのです。

ともあれ、集中から愚生好みのいくつかの句を挙げておきたい。

   逃げ水の果てより鳶の生まれ出づ    祥子
   デイゴ咲く島より届きたる爆音
   逃げ水に溺れてゐたる雀かな
   空砲の音に影ある枯野かな
   残照の金柑は木に熟れ残り
   罅(ひびり)ある石に水遣る大暑かな
   棄て山や棄て田や葛は花盛り
   水際に秋沙(あいさ)揉まれて潜りけり
   鷹の眼の赤味をまして老いにけり
   からうじて人界にあり大西日
   イーゼルに絵はなく風に色はなし

 三丸祥子(さんまる・さちこ)、1957年大分県中津市生まれ。 



2017年10月14日土曜日

浅井民子「ラ・カンパネラ奔流となり夜の秋」(『四重奏』)・・



 浅井民子第二句集『四重奏』(本阿弥書店)、装幀・花山周子。集名の由来については著者「あとがき」に以下のように記してある。

 句集名『四重奏』は集中の句によるものではありません。俳句に関わることで、四季の移ろいが奏でる自然や風土、文化の豊かな滋味に気づき、触れ魅了されてきました。と同時に、四囲の人々、身近な家族に始まり、俳句につながる多くの方との得難い縁に恵まれ、友人知人のみならず同時代に生きる様々な方、世界との交流が醸し出す調べは私にとり何物にも替えがたく美しきものとなりました。その時空が音楽的で好ましく思われることから『四十奏』と名付けました。

 とはいえ、集名に少しこだわってみると、音楽に関わる句が意外にある。例えば、

   昼灯すヴィオロン工房鳩の恋     民子
   繰り返す自動ピアノや室の花
   十二月レノン好みの眼鏡選り
   横笛の横顔の翳花かがり
   黄落やサックス吹きのをみなたち
   初冬のアリア詩に酔ひ詩に泣けり
   幕間の黒づくめなる調律師
   能管の一節透くる梅月夜 
   ラ・カンパネラ奔流となり夜の秋

帯文は坂口昌弘、「あめつちへ深き祈りを大花火」の句を挙げて、

 造花に存在する森羅万象のいのちは光や音や匂いとなり、民子の詩魂の中で深い祈りのことばと化す。春夏秋冬は四時の楽器と化し、四十奏をかなでる。民子の句集は人と自然の共生を希求する。

と、惹句されている。ともあれ、愚生好みのいくつかの句を挙げておきたい。

   蚊遣焚くかもめ食堂潮時表
   人に倦み刻に倦みたり吾亦紅
   ことごとく陽を恋ふ形や冬木の芽
   蒼穹をゆらせる冬のあめんぼう
   かたかごや揺るるはさびし揺れざれども
   朝日あまねし武蔵野の枯木立

浅井民子(あさい・たみこ)、1945年、岐阜県生まれ。






藤尾州「寒鰤よ向かうに在るはチェルノブイリか」(『美濃白鳥』)・・



                                                
                   扉絵・小川二三男↑

 藤尾州第二句集『美濃白鳥(みのしろとり)』(木偶坊俳句耕作所)、表紙装画は小川双々子、本扉挿絵は著者(サインはFumio Ogawa)、藤尾州、じつは小川二三男か・・・その絵について「あとがき」に、

 (前略)小川双々子が二〇〇二年に「地表」で「山山や踊りに裸電球垂れ 双々子」という作品を発表していたのを思い出し、白鳥を代表する徹夜踊りをイメージ出来るような、それらしい挿絵を描いてみようと思い立ち絵にした。譬え拙かろうがそんなことに御構い無く、故郷尾張一宮以上に自然も友人もいっぱいの、ああ美濃白鳥よ・・・の思い入れである。羨ましそうに視る「その人」は藤尾州か小川二三夫男でもある。

そして、また、

本書は美濃白鳥に独居した二〇〇九年八月より二〇一五年七月までの六年間と、この地を離れてから今も機会があれば行き来している二〇一七年五月までの二二四句を収録した第二句集である。

と冒頭に記されている。
愚生と同じ団塊世代だからかもしれないが、句の心情に味わい汲みつくせないものがある。ともあれ、いくつかの句を以下に挙げておこう。

  家が涙す地に氷柱届きけり          州
  亡友幾人(ともいくたり)空蟬落ちず掴みをり
  陶物(すゑもの)に耳のありけり虫の声
  天は手妻黒き雲から雪を出し
  万の傘咲く花火師へ雨の降り
  はてしなき旅も果てあり浮寝鳥
  蜘蛛の囲に飛花囚はれてもう逃げず
  花筏まだ乗らずして見送れり
  白雪を裏返したり黒し苦し

 藤尾州 1948年愛知県生まれ。
  




2017年10月12日木曜日

友岡子郷「かなかなや同い年なる被爆の死」(『海の音』)・・



 友岡子郷第11句集『海の音』(朔出版)、句数232句、昨今の300句を越える、いや1000句以上の句集もある、全句集ならいざ知らず、最近流行の句数の多い句集には、少しうんざりさせられるところもあったのだが(年寄りには辛い、もっとも愚生のごとき老いぼれを相手にしていないのだろうけれど・・)、それから比べるとほどよい句数の句集である(愚生が若い頃は、ほとんどの俳人の句集は珠玉の作のみを収載した句数がさほど多くない、せいぜい200句程度だったように思うのだが・・・)。
 本句集名は巻尾の、

   冬麗の箪笥の中も海の音    子郷

からであろう。帯文は、かつての師・飯田龍太の言が再引用されて、飾られている。じつによく友岡子郷の作品の在り様を現わしている。

 子郷さんの作品には、木漏日のような繊(ほそ)さと勁(つよ)さと、そしてやさしさがある。人知れぬきびしい鍛錬を重ねながら、苦渋のあとを止めないためか、これでは俳句が、おのずから好意を示したくなるのも無理はない。
                      (句集『日の径』帯文より)

本集には、父母を詠んだ句にもしみじみしたものが多い。例えば、以下の句、

  父もまたひとりの離郷法師蟬
  父の軍歴山百合の数ほどか
  竹の物差に母の名夜の秋
    井原市
  悴みて父もくぐりし校門か

 飯田龍太の句集「あとがき」も短かったが、子郷も短い。それが沁みる。ともあれ、いくつかの句を以下に挙げておきたい。

   勿忘草ひとむら馬の水場なる
   鈴虫を飼ひ晩節の一つとす
   梨青し早世強ひし世のありし
   青蝗(いなご)子らの日々吾にありし
   絶壁の落椿また落ちゆけり
   まだ残る瓦礫のうへを春の鶸
   余り苗なぞや亡きひと想はるる
   平櫛田中(ひらくしでんちゅう)小春の版木積みしまま

友岡子郷(ともおか・しきょう)1934年、神戸市生まれ。



2017年10月7日土曜日

武山平「深海も深空も地球魂迎へ」(『開封』)・・



 武山平句集『開封』(文學の森)、集名に因む句は、

   開封は檸檬を齧る覚悟して      平

であろう。いつもながら親愛な序文は大牧広、
  
 「開封」、郵便物、ことに封筒の郵便物を切ってゆくとき、ゆえ知らぬ気持が胸をよぎる。
 すこしの期待、すこしの不安、こうした気持が胸をよぎるのでらる。
 著者の俳句は、そうした心地のよい不安感、希望、やがてゆきつくアクティブな心、そうした心情にいろどられていると見る。著者は教育職にあって、若い人達に、たしかな進路、思索といったものを導いていた。
 その自信が全作品にみちている。勿論人間である以上、自信と相対する不安や疑心もつたわるが、それらが詩的に発酵されて著者ならではの作品を成している。

 と記している。また、俳句について、武山平は「あとがき」で以下のようにいう。

 読めない漢字に意味不明の句(味わえない私)は無視していた私だったが、毎月衝撃的な俳句と出合い、俳句の不思議な世界に少しずつ魅せられていった。〈ひたすらにこの道行かう冬夕焼〉(平田房子)は当時の不安定な私に勇気をくれ励ましてくれた一句として、時々懐かしく思い出す。たった十七音なのに、しかもポエムであるのに、俳句はどんなに言葉を重ねても、文章では表現げきないような緊張感や広がりまでも表現できる器であることに気付き、楽しい驚きの連続であった。

 俳句との幸せな出合というべきである。ともあれ、いくつかの句を以下に挙げておこう。
武山平(たけやま・たいら)、昭和29年宮城県生まれ。石巻市在住。

  人参は日輪になりたくて赤
  おにぎりの心臓か梅干しの赤
  赤のまま挿して空缶に命
  緑さす震災ごみをまとひても
  風死すやかつて教科書死んだふり
  少年にピアスの光原爆忌
  手袋の五本の闇を疑はず







 

2017年10月6日金曜日

堀葦男「ぶつかる黒を押し分け押し来るあらゆる黒」(「一粒」83号より)・・



「一粒(いちりゅう)」第83号(一粒俳句会)、特集は「『俳句20章』の世界」。堺谷真人は「巻頭言」とともに「堀葦男かく語りきー『俳句20章』成立の背景と俳句文体論」を執筆している。堺谷真人は最晩年の堀葦男に師事している。その堺谷が、堀葦男に最初に会ったのは「昭和62年(一九八七年)六月、筆者は初めて『一粒』の月例句会に出席した。『先生の堀葦男いうのんは、関西前衛の旗手やったんや。知ってるか』『いいえ』。筆者を強引に勧誘した西村逸郎氏と事前にこんなやりとりがあった。『そらもう大変なロンキャクやったんやで』」(「巻頭言」より)。堺谷真人は1963年生まれだから、24歳の時である。西村逸郎の語り口、姿が髣髴とする。
 本号の堺谷真人の「資料1」には、その堀葦男著『俳句20章ー若き友へー』(海程新社・昭和53年9月刊、限定700部)の目次が紹介されている。初出は「海程」創刊号(1962年4月)から29号(1966年12月)まで23回にわたって連載された「現代俳句講座」に、加筆のうえ海程新社から発行されている。
 本著の特徴は当時の俳句作品をいわゆる伝統派から前衛派まで、具体的に作品をあげ、その特質を解明して、その共通する表現上の特徴を明らかにしている点であろう。同時にそれは、かの戦後俳句、昭和30年代の俳人の多くが現実生活と世界の在り様の真っ只中で苦闘していることも描出していよう。
 堺谷は「(一)音律と意味律との二重性」の部分で、以下のように述べている。 

 なお、葦男自身は特に説明を加えていないが、在来俳句が「句またがり」と呼ぶ表現を、句調に変化をつける技法としてだけでなく俳句独自の文体論から捉え返している点、俳句を二分節の文章とする意味律の規定によって、在来俳句が慣習的に忌避する「三段切れ」を予め排除している点などに「共通基盤」構築に向けた周到な用意を感じる。
 更に、分節と音の齟齬による「一種独特の深みや陰翳」には一句一行の棒書きのときに最もよく働くと考えると、俳句文体の効果を殺ぐ分かち書きや多行形式に対して堀葦男が慎重だったことも首肯できる。

 特集の他の執筆陣は、中村不二男「堀葦男の『俳句20章』の世界へ」、小野裕三「天上と地上に引き裂かれて」、伊藤佐知子「俳句上達の試み」。
今や、堀葦男のことを思い起こす俳人も少なくなった。貴重な特集だと思う。
 堀葦男(ほり・あしお)、1916年6月~1993年4月。東京市芝区(現・港区)生まれ。生後早々、神戸市に移り、関西に育つ。




 ともあれ、本号の「一粒集」から、一人一句を挙げておこう。

  睡蓮のあたり地下鉄掘れと云う    湖内成一
  名誉とは汝が花言葉凌霄花      鈴木達文
  路地二本同じ夕焼かかへたる     勢力海平
  摩文仁まで這ふ兵ありき蝸牛も    堺谷真人
  からまつはさびしとおもふ夏の霧   中村鈍石
  小刻みに震えて海の大西日      中井不二男
  薄暑光うなじにふわりはんかちーふ  有馬裕美


  

2017年10月5日木曜日

とくぐいち「裏山に鳥の身投げは続きけり」(『おじゃまむし』)・・



 とくぐいち俳句集『おじゃまむし』(私家版)には、二冊の句集が入集されている。ひとつは当人の『おじゃまむし』400句、あと一つは、彼の友人だった八田春木遺句集300句である。
著者「あとがき」に、

 この句集は二〇〇九年六月から二〇一七年二月まで『蕙』『鶏鳴』『ロマネコンティ俳句ソシエテ』『面』等の俳誌に発表したものを中心に選んだ。慣例的には、敬愛する俳人に選句を願い、解説等を書いていただくところだが、無季俳句孤軍奮闘中でもあり自選とした。また、『八田春木遺句集』を付録としたが、それは俳句にあって因縁浅からぬ、今は亡き友人八田春木の作品を収録しておきたかったからである。

 と記されている。無季俳句とはいえ、俳句は、言いおおせて何かある・・のであり、言いおおせるのが川柳ならば、とくぐいちの句は、やはり川柳的なのである。無季俳句も川柳も同じく五・七・五のみで立つ形式である。いずれにしても、その道は、ともに遥かである。「面」に所属とあったので、そこには見事な書き手である高橋龍がおり、無季俳句といえども、掌中のものである。せっかくの具現の士が近くにおられるだから、教えを請われるのが近道ではなかろうか。とはいえ、この困難な道を進もうとする、とくぐいちの奮闘に敬意を表したい。
 ともあれ、彼の句と、そして、俳句としては、よく完成されている八田春木の句をいくつか以下に挙げておきたい。

  年表の余白に兵が横たわる     とくぐいち
  身をひたす闇が縮んでしまいけり
  もういいと白菜煮えてしまいけり
  こんにゃくは時を盗んで煮えてゆく
  言訳のかわく舌の根蟻地獄
  「様」つけるほど上等か「世間」は
  ひっそりとしている円の中心部
  戦争にたてる爪なし季語二万

  少しだけ温もる水を吐く海月     八田春木
  白玉は水の深きへ変声期
  かなかなの声ふたとほり父娘
  春の闇乾ききらない手を使ふ
  霧の海死刑執行報じをり
  炎天下魚眼レンズの中の街
  少年を囮に入れて五十年
  死神も同席したる雪見酒

  とくぐいち、1947年山梨県生まれ。水戸市在住。



               つるし雲 撮影・葛城綾呂↑   

  

2017年10月4日水曜日

黛まどか「南無大師遍照金剛夕焼けぬ(「黛まどかの四国歩き遍路・同行二人」より)・・



 東京新聞夕刊にほぼ3ヶ月連載されていた「黛まどかの四国遍路・同行二人」がめでたく結願した。
 威張るわけではないが、信仰心もなにもない愚生は、遍路などという苦行には縁なく過ごしてきた。とはいえ、一度歩き遍路をしたことがある、しかも約一時間程度ですべてを歩き通せる、高幡不動尊の小山にある札所めぐりだ(笑)。
 黛まどかに最初に会ったのは、たしか第一回か第二回の加藤郁乎賞(第一回授賞は手島泰六)の折りだったのではなかろうか。まだ飯島耕一、辻井喬も健在だった。加藤郁乎は崇教真光(すうきょうまひかり)の信者にして、位も上位の人だったように思う。郁乎はごくたまに「手かざし」をすることもあった。俳句評論のご婦人方には、その「手かざし」をされた方も多くいらっしゃるだろう。
 その加藤郁乎賞の第一回受賞式の出席者に、俳人は愚生より他にいなかったようにおもう(いや仁平勝はいたかもしれない)。郁乎没後は加藤郁乎記念賞として引き継がれている。
 それにしても「同行二人」の遍路の様子は、身心ともにタフでなければ到底完遂できるものではないと思わせた。歩いているうちに金剛杖の先はめくれて花のようになるのだ。
 連載の最後は以下のように結ばれている。

  (前略)結願の果てに行き着いたのは、空と海のあわいだった。数えきれない一期一会はやがて線になり、円を描いて一つの真理に到達した。巡礼者には肩書も名前さえも要らない。ただ、「お遍路さん」と呼ばれ、施しを受け、襤褸(ぼろ)切れのようになりながら歩き継ぎ、生まれ変わる。祈り、供養して歩くことは、自分自身の魂の救済にほかならない。白衣は死装束(しにしょうぞく)であり、産着であった。
 「あっ、”花”だ!」。ユリウスの声に杖(つえ)の先を見ると、土にまみれた小さな”花”が咲いていた。

  南無大師遍照金剛夕焼けぬ

ユリウスは遍路の途中で会った年齢は親子ほども違う青年であるという。
ともあれ、連載終了前の一日一句を紹介しておこう。

  結願の道に拾へる落し文     まどか  
  月光に白衣の乾く柚子の花
  方丈ににぎやかな声樟若葉
  泉湧いてしきりにこぼす鳥の声




2017年10月3日火曜日

井上けい子「銀河へと行くかもしれぬ蓮見舟」(『森の在所』)・・



井上けい子『森の在所』(文學の森)、集名は以下の句に因む。

  秋蟬に森の在所を知らさるる         けい子

著者「あとがき」に、

 句集『森の在所』は、平成二十一年刊行の『雪ほたる』に続くもので、二十三年から二十九年四月までの三七一句を制作順に収めた、私の第二句集です。

とある。序文は塩野谷仁で、その結びに、

  老いてなお炎となれり冬紅葉

巻末に近い作品である。作者は昭和六年生まれ。されど、この句からは、今なお少女期から抱いてきた文学への熱い思いが見てとれる。「冬紅葉」が作者の思いを代弁していよう。俳句では八十代は熟成のとき。これからの健吟を願って止まない。

としたためられている。
 著者は退職後、星野沙一のカルチャー講座を受講し、「水明」の同人となり、沙一亡きのちは星野光二に師事、第一句集を編んだ後、塩野谷仁のカルチャー教室を受講、探求心、好奇心も旺盛な様子である。現在は「遊牧」同人で、句作りに、なお磨きがかかっているようだ。ともあれ、以下に、いくつかの句を挙げておこう。

  いもうとのさよならを告ぐ冬茜
  散骨の海果てしなく冬銀河
  品書に改訂のあと走り蕎麦
  蛍袋のなかに密かな隠し人
  留守電にのこる電話や花の闇
  洞窟にのこる声あり沖縄忌
  夜の卓に葡萄一房あり触れず

井上けい子(いのうえ・けいこ)、昭和6年、朝鮮京城府生まれ。



          ヒガンバナ 撮影・葛城綾呂↑

2017年10月2日月曜日

佐々木六戈「どよめきに彼の人思へしだらでん」(「草藏」第95号)・・


 
 句歌詩帖「草藏」(草人舎)誌は、見事なまでに佐々木六戈の美意識が隅々にまでめぐらされいる。句歌詩帖だから、毎号、佐々木六戈の俳句・短歌・詩が発表され、もちろん同人諸氏も六戈の選を閲して作品が掲載されている。本集の「風人帖(ふうじんてふ)/俳句」の「一人称」36句のなかに、ブログタイトルにした句「どよめきの彼の人思へしだらでん」を見つけたのである。そして、彼の人とは、最晩年の句集『しだらでん』の三橋敏雄に違いないと思ったのである。その集名ともなった三橋敏雄の句は、
  
  みづから遺る石斧石鏃しだらでん    敏雄

である。
 愚生が佐々木六戈と知り合ったのは、彼がまだ創刊からさほど間もない「童子」の編集長時代だ。仁平勝などともに、コラムを連載させてもらったこともある。彼を新宿の宮﨑二健の店「サムライ」で加藤郁乎に紹介した日もあった。その夜、加藤郁乎と佐々木六戈はすぐに意気投合した。
ともあれ、「草藏」本号から句をいくつかと短歌を二首挙げておこう。

  声あれば美声の黴でありにけり     六戈
  回りけり入道雲の裏口へ
  蟷螂の斧青青と使用前
  大夕焼絶筆は斯く暮れながら
  夭き死のかなかなの鳴き交はすさへ

  たくさんの人を屠りて此処に居るこの世のことではなうかのやうに
  非情なる息子にわれは成り果てて母の歌詠む一寸法師




★閑話休題・・

「俳人『九条』の会通信」第20号(俳人「九条」の会事務局)が届いて、去る4月8日に行われた「新緑の集い」の講演録・酒井佐忠「怒りをこめてふり返れ」が載っていた。2014年2月7日に69歳で亡くなった歌人・小高賢の遺歌集『茱萸坂』の短歌と大牧広の俳句について多くを語っていた。「茱萸坂は国会議事堂前の南の下り坂で、デモに参加された方はご存知だと思います」と酒井佐忠は述べていた。
 講演で紹介された作品の中から、それぞれの二首と二句を以下にとどめておきたい。

 沖縄に原発なきはアメリカの基地のあるゆえ・・・みんな知っている 小高 賢
 価値観が戦後ユガンデキタサウダツマリ戦時ガ正シイサウダ

 反骨は死後に褒められ春北風        大牧 広
 夏ひえびえいくさの好きな人が居て
   


  

 

2017年10月1日日曜日

日高玲「夜のひまわり液体爆弾壜の中」(『短編集』)・・


 
 日高玲第一句集『短編集』(ふらんす堂)、序句・序文「手法の自由さ」、ともに金子兜太の色紙、直筆原稿を写真にして掲載してある。序句は、

   小鳥来る巨岩に一粒のことば    兜太

跋文は安西篤「日高玲句集『短編集』評-独自の方法と多彩な映像」。その跋に「スケールの大きい知的形象力で勝負する本格派」と記している。そして、

 全体は十章によって構成されているが、(中略)さらに各章は、ほぼ七句編成となっていて、十章で三十五の短編があり、全体は二百四十七句で構成されている。ここに『短編集』の所以がある。(中略)こうした工夫は、日高の連句出身の経歴と無縁ではない。一編七句の短編によって、連句的手法の展開を図っているのだ。

とある。よって「短編集」の項、単独一句ではなく七句を以下に挙げる。

  皺の眼みせて湖あり涼新た          
  木の葉髪夜明けの湖むらさきに
  九条葱姉はそろりと雨戸引く
  餅菓子屋翁顔なり枇杷の花
  お元日猫を老い抜く尼二人
  お降りや短編集に恋の小屋
  喉通る七草粥の緑かな

いかがだろうか。それを金子兜太は「連句と俳句に親しんでいたのである。そして、付合いの手法を一句の句作りにも活用して、独特な俳句の世界を築いてもいたのだ」と序に言う。そして、また、安西篤は跋の結びに、

 寝物語に犀の生き死に無月なり
 まんさく咲くひとを去らせて素となりぬ

この二句の間に、夫の死があった。「寝物語」には、生前の夫像があるが、「生き死に」は、「犀」という場(景)のものであった。ところが「まんさく咲く」に到るや、「去らせ」た「ひと」とは「夫」、つまり二人称のものになる。夫に死なれて、にわかに一人称たる自己は「素」なるもの、無地な白そのものとなったという。それは「まんさく咲く」映像にも通い合う。
 
と記している。ともあれ、本集よりいくつかの句を取り出しておこう。

  鳥類学者シャツに氷河の匂いして
  アパートの死角真白し花八手
  夕立を待つベネチアの硝子吹き
  蛇はまだ寝てはいるまい摩尼車
  無色とは肺の澄むこと春鴉

日高玲(ひだか・れい)1951年、東京生まれ。



2017年9月30日土曜日

髙柳重信「目醒め/がちなる/わが盡忠は/俳句かな」(「現代俳句」10月号より)・・



 第41回現代俳句講座に澤好摩「髙柳重信と多行表記」の講演録が掲載されている。多くの俳人が多行表記の俳句に慣れ親しんでいないと洞察して、じつに平易に、丁寧に高柳重信の俳句を語っていた。冒頭には、

 実は「多行形式」と「多行表記」ではだいぶ内容が違っております。「多行形式」と言いますと、もともとあります「俳句形式」と対立するものと思われ、逆に、多行をあまり快く思わない人たちからは、俳句とは別ものとして括りだされてしまう恐れがある。そこで私は注意深く、「多行形式」と「多行表記」を使い分けて、というより、「多行形式」とはあまり言わないようにしてきたわけです。

と述べ、講演の終わり近くでは、

 (前略)多くの人は髙柳重信を前衛派の人だと思われていますが、重信は前衛ではありません。むしろ俳句作品史を引き継いで、かつそれを更新するために、新しい方法論を生み出した。またイマジネーションを重視してロマネスクな世界を書き留めながらも、方向的には決して詩、いわゆる現代詩というものに近づくことはなかったんです。俳句形式の名誉を守るべく常に鋭意努めている人でした。それに、伝統派と目される俳人も非常によく理解していて、優れた作品に対する読みも的確でした。もっと言えば、俳句の、真の意味での「目利き」でした。

と、正しく述べている。だから髙柳重信は、いわゆる前衛派と言われた作品については、いわゆる伝統派に対するよりも、厳しい批評をした。自分こそ言葉の正当な在り方において、もっとも伝統的だと思っていたのではなかろうか。
 澤好摩は髙柳重信編集長時代の「俳句研究」を長くその膝下で支え、髙柳重信亡き後の数年間は(富士見書房に売却されるまで)、三橋敏雄、高屋窓秋、阿部完市、藤田湘子などとの合同編集体制時の、その実務を、あたかも髙柳重信が存命中であるかのように忠実に実行していたのだ。
 澤好摩、昭和19年、東京生まれ。

   船焼き捨てし
   船長は

   泳ぐかな         重信

   明日は
   胸に咲く
   血の華の
   よひどれし
   蕾かな

   かの日
   炎天
   マーチがすぎし
   死のアーチ

   飛騨の
   山門の
   考へ杉の
   みことかな



         
               デュランタ 撮影・葛城綾呂↑
    










2017年9月29日金曜日

志賀康「千秋や風を問う葉と葉を問う風と」(『主根鑑』)・・



 志賀康第4句集『主根鑑』(文學の森)、著者「あとがき」に言う。

 もともとわたしの俳句は、上へ上へと繁りゆく樹冠の盛大さはともかく、地の深さに隠然と、しかししかと湛えられた存在の気に、時を経てたどりゆくものへの想いを強く持っていたように思う。本集を『主根鑑』(おもねかがみ)と名付けたのも、地中まっすぐに伸びてゆく一本の根に託したものの顕われであっただろう。いまはただ、草木の根や水底の魚と息づきを共にすることを、ささやかな希みとしていきたい。

幺』から4年ほどしか経ていないとはいえ、句集ごとに世界を拡げてきた志賀康の句業を思えば、待望された句集である。収録句は320句、自身も、

 前句集里程の前方に多少なりとも歩み出ることができたのではないかという思いを確かめつつ、この三百二十余句をもって、せめて慰めとするほかはあるまい。


 と自負を込めて述べている。
 愚生は「未定」と「豈」の創刊号同人でもあるが、一時期、事情在って、その双方の誌を辞して、全くの無所属だった時がある。志賀康は以後の「未定」に同人となり、支え、そして「LOTUS」を創刊するにいたった。その未定もほぼ40年になろうとする先般、ついに多行形式のみの俳句を標榜するに至った直後に解散してしまった。さびしいことであるが、これが時の流れというものだろう。「豈」と「未定」は、よく比較されたが、内容は全くことなる兄弟誌のようで、同時代を閲してきたことにちがいはない。「豈」は節目節目で変節をしてきたが、「未定」にあった俳句に対する先鋭な在りようを具現しているのは、志賀康や酒巻英一郎、豊口陽子らが生んだ「LOTUS」誌であろう。
 ともあれ、本集より、いささかの句を以下に挙げておきたい。

   山鼠らも神口を聞く衆生なれ       康
   柳絮とぶ汝が頭の中を恐れずに
   空木咲いてされば化身の音の雨
   魂と魄空と海へと帰るのか
   螵蛸(おおじがふぐり)に晴れの唄びと来つつあり
   幼年の悪夢もかくや花筏
   鈴虫にいつも老いたる雨の神
   利き腕の意識兆さん風の葦
   熊の友あり夢では熊に襲われて
   父は酔うて端ある地図を認めない
   菜の花の口から風の無言歌を
   根の族の空位に叫べ秋の石

志賀康(しが・やすし)1944年、仙台市生まれ。装幀は、童話作家であり、俳人だった巌谷小波の孫の巌谷純介。




2017年9月28日木曜日

白石正人「月祀るいつか地球も祀らむか」(『嘱』)・・・



 白石正人第一句集『嘱』(ふらんす堂)、序句は大木あまり「詩の河はいつも激流青胡桃」。序文の石田郷子は、

 古本のアデンアラビア燕来る

打座即刻における潔さは、失わない青春性であり、また青春性とは一見相反するようにも思える無常観でもあろう。私はそれを俳句の世界に限らず貴重なものだと思う。

と述べる。ポール・二ザン『アデン・アラビア』といえば、愚生の年代では、かの有名な冒頭の「ぼくは二十歳だった。それがひとの一生でいちばん美しい年齢だなどとだれにも言わせはしない」というフレーズがまさに独り歩きしていた。『嘱』の著者が1951年生まれとあったから、しかも東京生まれの、東京育ちでは、きっと早熟な高校生の頃だったに違いない。そして、著者「あとがき」に「二〇一四年八月、彼は癌で急逝してしまった。痛恨の極みとはこのことかと思った。ごめんな。この句集は梅本育生に献じます」とあった。


              「穿」編集人・梅本育生↑

 梅本育生・・どこかで聞いた覚えがあると思い、探した。昔の雑誌はほぼ処分してしまった愚生の匣底に一冊だけ残っていた。「穿」6号(1981年2月、言游社・定価600円)、その号に梅本育生の作品はなかったが、編集後記を書いている。「穿」6号には、「豈」創刊同人だった小海四夏夫の短歌「濡羽つばめ」14首が掲載されている。その後、杳として行方のわからない小海四夏夫が贈ってくれたものだ。その小海の作品を二首、以下に挙げる。

  三角筋の厚きを頌めつきゝ腕に鎮静剤をうつ看護婦(いもうと)よ  小海四夏夫
  病むわれにさぶしく響く暴走の彼らも地上を恃むほかなし

 その雑誌には特別に岡部昌生のオリジナルのフロッタージュが挿みこまれている。小特集1「フロッタージュの脈動・岡部昌生のしごと」が組まれ、9ページほどの絵画作品が掲載されている。梅本育生はその編集後記に以下のように記していた。

 今号は新しい試みとして、岡部育生氏のオリジナルを扉に挟んだ。これは氏の手描きによる一冊一枚のオリジナルであり、もちろん一枚ずつストロークが違う。息をとめ、手首の動きに全魂を込めたストロークをじっくり視て欲しい。

と・・・。改めてこの雑誌をみると、夭折した安土多可架志「首都攻撃」の20首も掲載されいるではないか(彼は俳句も書いていた)。

  朗らかにふるまふことをよしとせる雇ひ主も雇はれし者らも  安土多架志
  胸痛むこともなく内乱のこと戦争のことも教養として

想い出話めいたことを記してしまったが、以下に『嘱』の句をいくつか挙げよう。
因みに栞は髙柳克弘「酒場に集う人々」がしたためている。

  祈ること願ふことなし残る蟬     正人
  藻の花やめだか居るかと尋ねられ
  要らんこと引受けて来し年用意
  蓮の実飛んで百三十八億年
  採血の手の冷たきを詫びらるる
  わだつみに帽振れの声沖縄忌
  箱庭に行乞の人置きにけり
  

   


 

2017年9月27日水曜日

前田霧人「国会へウスバカゲロウ集合す」(「北の句会」晩夏号)・・



 「北の句会」報告VOL85・86・87号合併号(晩夏号・20178月)、北の句会は「豈」と同様、隔月に開催される句会である。この立派な報告の冊子は丸山巧が編集している。投句は席題1句+自由詠1句の合計2句で、事前投句らしい。欠席投句も認めているらしい。句会への出席者と欠席者合わせて約30名ほど。メンバーをみると「豈」から堀本吟、北村虻曵、岡村知昭、そして大本義幸など。大本義幸は咽頭がんで筆談だと思うが毎回のように出席していたようであるが、さすがに7月の例会は欠席だったらしい。また、本句会報の特徴は欠席投句者の選句評がついているところだろう。その大本義幸のコメントに、

 私事ながら、2月に入院してはじめた抗癌剤投与も3月からは片道2時間の週一回の通院で、ここ半年。手も足もうごかなくなりました。路上転倒六回、今回はお休みさせて下さい。

とあった。大本義幸はこれまでも最初の咽頭がんの大手術以外は、その都度初期段階で乗り越えてきたが、さすがに七度目、肺癌には苦闘しているらしい。先日の愚生への便りでは、6月13日に最後の抗がん剤投与をし、すこし楽になると思っていたらしいが、初めての路上転倒でズボンは裂け、膝の傷は今も残っている。さらに転倒を繰り返した。カリウムが過剰でふらふらになり、プールのなかを歩くよう感じで、右足の指が上らないのに気付いたとあった。結果、義足を使っているともあった。その義足(ギブス)をもうすぐはずせるということだった。
 とにかく、いつも大本義幸は不死鳥のように、その都度よみがえり、彼自身にしかできないような彼らしい句を作り続けているのだ。
 句会報告から参加者のいくつかの句を以下に紹介する(テープは席題)。

  たましいテープ剥がしていく遊び     野間幸恵
  振り向いた仕草がとても金閣寺      岩田多佳子
  芹摘むに膝ついており家滅ぶ       新井君子
  実存を見てきたように蟇         坂本綺羅
  知らぬ地の知らぬ植田も懐かしく     宗本智之
  真夜中の象の向こうに卯波立つ      木村オサム
  祝婚の碧羅天より紙テープ        丸山 巧
  綿毛指す廃墟に蒼き馬の影        浅井廣文
  あやめあやめ盗聴テープが喘ぎ出す    堀信一郎
  お花見をしないと決めた春が行く     原 千代
  神仏に在ったことなし水を打つ      谷川すみれ
  訣れでもゴールでもないガムテープ    大本義幸
  ヒメジョオン貌を得るため夢に飛ぶ    野口 裕
  明易やリサライオンの骨密度       植松七風子
  床の間の糸屑拾う鉄線花         中山登美子
  テープとび切れるラッパをカモメまふ   島 一木
  テープ起こしは不要ですゴキブリ研究会  寺西建舟
  桜吐くハイウエイを吸い込むテープ    堀本 吟
  『芋粥』の朗読テープ夏立ちぬ       三谷白水
  テープに砂しかし明治の海を聞く     泉 史
  桃をんな卑弥呼もももも投げテープ   二宮白桃
  仏法僧寺のあたりをぎゃっと飛ぶ     井上せい子
  水よどむ薄暗がりに杭一つ         北村虻曵 
  昆虫をスライス終わらぬ会議        竹井紫乙
  蝌蚪うごく影は自身を離れゐて       波多野令
  折鶴のうすむらさきへ座りけり        岡村知昭
  九条に傷テープ貼るゴキカブリ       前田霧人   
  



    

2017年9月24日日曜日

山本敏倖「吊し柿まだ抵抗の色残す」(第138回「豈」東京句会)・・

 

             
 昨日は、隔月開催の第138回「豈」東京句会(於:白金台いきいきプラザ)だった。同人以外の方々の参加もあって、少し雰囲気が変わって活き活きだった。
 以下に一人一句をあげておこう。例によって、純一句は画像で・・・(愚生にはパソコンでの円形にする入力技術がないので)。

 ← 鈴木純一
 

  からだ半分ひぐらしの湿りかな      吉田香津代
  鳳作忌ぼくの体は今も海         羽村美和子
  寝入らんと月光の橋渡りたる        福田葉子
  方眼紙にかくれる鈴虫の闇         山本敏倖
  初しぐれ白墨で描く経絡図         堺谷真人
  こころにも一枚羽織る逢瀬かな       早瀬恵子
  前例のない五体となりて休暇果つ     小湊こぎく
  夜明けの雨秋のかけらが寺山的       小町 圭
  覗かるや内視鏡にて我が秋思        猫 翁
  それぞれが辿りつく闇曼珠沙華       佐藤榮市
  人違ひされてにこにこ敬老日        渕上信子
  矛か楯か脊椎動物ってか         川名つぎお
  つかのまを草木に消え初嵐         大井恒行

 次回は、例年通り一足早い忘年句会、11月25日(土)午後2時から、雑詠2句持参。
午後5時頃より忘年会。場所はいつもと変わって府中市グリーンプラザ・地下1F集会室(京王線府中駅直通歩1分)。遠路の方々からも参加予定があります。皆さんお出かけ下さい。



            ホトトギス 撮影・葛城綾呂↑

           
  
  
  
  
   

2017年9月23日土曜日

たなべきよみ「蝶々の終(しま)う旅なり花野なり」(第171回「遊句会」)・・



 一昨日、9月21日(木)は、第171回遊句会、於:たい乃屋だった。午後三時から開催された句会の二次会で、不良老人?たちと一緒に、あやうく帰宅が午前様になる所だった。養生訓からすれば、寄る年波を考えなくてはいけないが・・・、奇しくも宮沢賢治忌だった。
ともあれ、一人一句を以下に挙げさせていただく。兼題は、秋場所・胡桃・花野・当季雑詠。

  しあわせはクルミの重さてのひらの       春風亭昇吉 
  ひねもすを老いの掌(て)のなか胡桃二個   たなべきよみ
  昼寝醒(さ)めあれはいずこの大花野      植松隆一郎
  地球割る程の覚悟の胡桃割り          山田浩明
  裃(かみしも)を解きて花野の浮浪(はぐれ) 橋本明
  秋場所や裏で北斎ふて寝かな          石川耕治
  秋場所や読めぬ四股名が五つほど        村上直樹
  汗怒号引きて花野の菅平            川島紘一
  歩兵銃墓標に立てつつ花野征く         渡辺 保
  秋場所や「や」の字「や」の字の星取表    中山よしこ
  昭和天皇贔屓の四股名隠しけり         石原友夫
  大海のごとき花野へ三輪車          山口美々子
  亡き母の夢は花野に終わりけり         武藤 幹
  坂東家辞して立ち寄る横綱碑          天畠良光 
  いく年も降るセシウムに大花野         大井恒行

 以下は欠席投句から、

  日に二便シャトルバス来る花野かな       加藤智也
  文字書かぬ今人(こんじん)の脳胡桃割る    林 桂子
  主なきベッドの脇に胡桃2個         原島なほみ   

 来月、10月19日(木)の兼題は「体育の日・狗尾草(えのころぐさ・ねこじゃらし)・秋の蚊)であるが、愚生は、遊つながりというわけではないが、一年ほど前からの約束で、「吟遊」20周年記念会に出席予定なので、遊句会は失礼する。11月の遊には、もちろん参加予定である。




★閑話休題・・・

その「吟遊」創刊20周年記念「吟遊同人自筆50句選展」が2017年10月18日(水)~22日(日)午前11時~午後6時(最終日のみ午後5時まで)が神田・東京堂書店6階ホールで開催される。カタログや各同人の著書も展示販売されるということである。会場へのお誘いとしてお知らせしておきたい。



大道寺将司「癌囚と吾れ呼ぶ人や秋夕焼」(「六曜」NO.48)・・



「六曜」NO,48(「六曜の会」)は、先般5月24日に亡くなった同人・大道寺将司の追悼特集である。享年69。執筆者は獄中からの句稿の受け渡しの労をつねにとった太田昌国「君逝くか遠き彼岸の道なるを」と詩人の倉橋健一「霧深き海にかそけく骨を撒け」の二人と「六曜」発行人の出口喜子「大道寺さんと『六曜』」。いずれも愛情あふれる筆致だが、倉橋健一のタイトル?句?には、寺山修司の「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」が下敷きにあるように思える。「六曜」同人になるについての縁は、太田昌国が以下のように記している。

 日本では死刑が確定すると、極端に厳しい処遇になる。「(死刑囚の)心情の安定のため」という名目で、面会や差し入れ、手紙のやり取りできる範囲が制限されるのだ。差し入れも間遠になる。仕方なく、拘置所に備えられている官本リストを見て、彼は子規の句集や俳論を手にしたようだ。見様見真似で万もの作句を試み、いくらか納得できる作品ができた九六年ころから、当時は存命だった母親宛ての手紙の末尾に、俳句を添えるようになった。それが、大道寺君と外部世界を結ぶ交流誌『キタコブシ』に載るようになり、第一句集『友へ』(ぱる出版、二〇〇一年)も出版されて、それを目にされた方が繋いでくださって、『六曜』との縁ができた。

そしてまた、

「危めたる吾が背に掛かる痛みかな」

自らが担い、多数の死傷者を生み出した七四年八月三〇日の三菱ビル爆破以降の四三年間の日々、彼は片時もこの思いを忘れずに生きたように思える。その行為の過ちを批判した文章を私は何度か書き、それを彼にも差し入れた。その私にして、棺に最後の別れを告げるとき出てきたのは「お疲れさま」という言葉だった。私の母の死に際して寄せられた、母の友人の忘れ難き句をわが心として、君を送る。

とあった。追悼最終ページに大道寺将司作品が掲載されている。その中からいくつかを挙げておこう。
  
   棺一基四顧茫々と霞けり                     将司
   解け易き病衣の紐や冴返る
   地震(なゐ)止まず看護婦の声裏返る
   新玉の年や原発捨てきらず
   蜘蛛の子やいくさは人を狂はする
   
以下には、同号の「六曜」同人・自選集から一人一句を紹介する。

  西隣東隣も燕来る          綿原好美
  ひまわりの太首に棘空青し    岩男 進
  三川の桜と語り昏睡す       岡本 匡
  要塞の窓が切り取る夏の海    神田ししとう
  頭から離れぬことば青葉闇    喜多より子
  病葉や刺を残して落ちゆけり   佐藤富美子
  サンプルに群がる女夏来る    柴野和子 
  チアガール大の字に跳ね夏来る 玉石宗夫
  戦わぬための闘い将司の忌    出口喜子 
  頬をうつ雨の硬さや原爆忌    望月至高




2017年9月22日金曜日

衣川次郎「どの首もさみしき長さ渡り鳥」(『青岬』)・・

 

 衣川次郎第三句集『青岬』(角川書店)、集名の由来について著者「あとがき」には、

 岬は人生を顧みるのには絶好の場である。港の突堤に立つのも好きだが、先が開ける突端は様々なことを考えさせる。
 三陸の岬や浜は、今祈りや鎮魂の場ともなっている。東日本大震災は多くのいのちと財産、生活の場を根こそぎ獲っていった。人生観を変えざるを得ないほどの衝撃をもたらした。『青岬』は残されたものの希望という意味を込めて名付けた。

とある。そしてまた、

 生活を基盤とした存在感のある俳句、庶民の生活感覚を大切にし、平明で抒情、・俳味のある句を心がけてきた。社会的なことに取り組んだのも、現実がそのような状況だと思えるからだ。

という。言えば『青岬』の句群はそうしたことの証左であり、それを証明していると思う。
また、俳号の由来は、妻の故郷だという。高野ムツオの跋文には、

 「私の俳句は破壊、喪失してしまった故郷東京と精神的な故郷となった衣川に根を持っています。私の原風景がここにあります」。と平泉近くに生れ育って東京で学生時代を過ごした私も即座に頷いた。

と述べている。そして「無骨ながらも繊細な感受」を指摘しているが、その詳細な部分は直接、本句集にあたっていただくとして、愚生は、衣川次郎の詠むいくつかの尻に、赤城さかえ「秋風やかかと大きく戦後の主婦」の「かかと」のたくましさ、生命力、精神力の強さに通じるような部分を感じるのだ。例えば、以下の句、
 
   獣みな尻持ちいたり年つまる     次郎
   尻なぜかなつかしくなる秋の暮  
   泉汲むいのちあるもの尻をもつ  

なかなかにたくましい尻なのである。何事に処するにしても下半身は重要である。
ともあれ、以下にいくつかの愚生の好みの挙げておこう。

   土筆など煮るから歳を尋ねらる
   沖縄忌海に出口のなかりけり
   流木に家屋の記憶つばめ来よ
   押しくらまんぢゆう貧しい子から出された冬
   春泥に育ち春泥に転ぶ
   ほたる手に妻の壊れてゆきつつあり
   春の河馬見過ぎて妻とはぐれけり
   きのふとは違ふ足音敗戦忌




   

2017年9月16日土曜日

高山れおな「我が汗の月並臭を好(ハオ)と思ふ」(『天の川銀河発電所』より)・・



 佐藤文香編著『天の川銀河発電所』(左右社)、以前少し触れた山田航『桜前線開架宣言』が1970年生まれ以降の短歌版若手の歌人アンソロジーであれば、その姉妹版の1968年以降生まれの現代俳人版アンソロジーである。いろいろ面白く読ませる工夫がなされた本なのだが、正直に言えば、愚生のような年寄りには、活字が小さすぎて、お手上げのところがある(虫メガネ必須)。
 もっとも、若い、他の分野の人たちにも読んでもらいたいということらしいから、それはそれでよしとしよう。佐藤文香のセンス満載の本で、何よりも助かるのは、「読み解き実況」と題した部分は愚生に、親切に句の読み方を示唆してくれている。その実況の対談相手が上田信治、小川軽舟、山田耕司、坂西敦子というのもまた良い。
 ここでは「豈」同人を贔屓して、「読み解き実況」の高山れおな篇「王様の恋と教養と軽薄さ」から、

上田 ぼくはやっぱりれおなさんが一番すごいと思います。圧倒的な才能だと思うね。この水準で書けてる作家が、この集中はもちろん、今の俳句界に何人いるだろうか。言語的才能っていうのは要するに、その人が選んだ言葉がそう配列されると、あるはずのなかった豊饒さが現れるってことでしょ。れおなさんのどの句をとっても、これだけきらびやかだっていうのは、塚本邦雄とか加藤郁乎とかの才能のあり方を思わせるよ。
佐藤 王様です。なのに、持っている教養とかお茶目さみたいなのとか、青春性までをも、ちゃんと手渡してくれる。私はなかでも恋の句がすごく好きで。〈七夕や若く愚かに嗅ぎあへる〉〈失恋や御飯の奥にいなびかり〉。

 もともと、高山れおなは、もっと若い頃には、有季定型の俳句のみを書いて、しかも落ち着いた大人ぶりの句をなし、その頃から、句そのものはしっかりしていた。
 また、「関悦史という多面体」の山田耕司×佐藤文香では、

編集 関さんは俳句に詳しくない人でも分かる感じがしました。
山田 散文の文脈がある。韻文の文脈じゃなくて。飛躍とか切れがわかりにくくないんでしょう。

 とあって、納得。
 あと一人の「豈」同人・中村安伸の句も加えて、幾つかの句を以下に挙げておこう。

  麿、変?             高山れおな
  無能無害の僕らはみんな年鑑に
  げんぱつ は おとな の あそび ぜんゑい も

  黄落や父を刺さずに二十歳過ぐ   中村安伸
  サイレンや鎖骨に百合の咲くやまひ
  雪片の一瞬を全方位より

  人類に空爆のある雑煮かな     関 悦史
  年暮れてわが子のごとく祖母逝かしむ
  倒れゆく体が我や山笑ふ







2017年9月13日水曜日

古田嘉彦「『あなたは今天にいる』と聞くのを待つ/・・」(『華茎水盤』)・・



 古田嘉彦詩集『華茎水盤』(思潮社)、著者はかつて古田嘉の筆名で「豈」同人であった時期がある。現在、俳号も古田嘉彦名で、昨夜、訃報の吉村毬子と同じくLOTUS創刊同人である。詞書を付した句は、詩の一行のようであるのも不思議ではない。
例えば(「LOTUS」第36号より)、

     「人の心は何にもまして、とらえがたく病んでいいる。」(エレミア書十七章)可視的になれない。

抑制できぬオーロラ濃度のヤツデ
                                                   
 ブログタイトルにしたのは「『天』-オネゲル交響曲『三つのレ』第一楽章冒頭が聞こえる。」の詩編からである。略歴によると、1993年の第一詩集『水狂い』(土曜美術社)からはじまり、詩学社、思潮社などから多くの詩集など、著書を上梓している。
 ここでは、本詩集の中から一番短い詩篇を挙げされてもらおう。

    チューリップ

チューリップは生死を超えて灯る
染め出る 勝つ
赤い障壁作りに加担して
守る 緩衝しあう
中の空間にある海 彗星 雛鳥を
しかしまもるだけでなく照り出る
ポンポン菊のように守るだけでなく
牡丹のように照り出るだけでなく
秘儀を鍛えて垂直になる
どれ程多くの彗星を失ってきたか
雛鳥を慈しみきれなかったか
色素を整えきれずに叫んでいたか
花弁を空へは連れていけない
しかしチューリップは
放棄された午後の中心にあって
強く訪れるようでありながら
癒す
私を
いつしかチューリップの花弁が絶え間なく
空から降ってくる午後に
私はいる

古田嘉彦(ふるた・よしひこ)1951年、埼玉県生まれ。