2017年12月10日日曜日

宇田川寛之「三島由紀夫の享年近づく僕たちは自決の秋の午後に生まれき」(『そらみみ』)・・



 宇田川寛之第一歌集『そらみみ』(いりの舎)、18歳のとき2歳年上の歌人・枡野浩一と知り合ったという。その時の短歌の一つが、

 「もうハタチ・・・・自覚しなきゃ」と言ったのに「自殺しなきゃ」と伝わる電話
                                   枡野浩一

だった。宇田川寛之が「短歌人」に入会したのも二十歳。そして言う。

 歌集をまとめようと思ったことが三十代半ばまでに二度ある。しかし、いずれも生活環境の激変があり、歌集どころではなくなってしまった。(中略)覚悟がなかった。以後も歌集刊行を勧めてくれる人がいないわけではなかったが、まさに生活に追われて、歌集をまとめようとは到底思えなかった。やがて勧めてくれる人は皆無に近くなった。

 纏められた短歌は2000年から15年の間の作品415首、二十歳から「短歌人」の欠詠がなかったというから、歌数は相当なものにのぼったはずだ。数首を除いて、20代の作品はほぼ捨てたようである。
 愚生が彼を知ったのは、「俳句空間」(弘栄堂書店版)の新鋭投稿欄である。もう20数年前のことだ。『燿ー「俳句空間」新鋭作家集Ⅱ』に参加してもらった。一人100句・16名のアンソロジーだった。その頃、宇田川寛之は俳句も作っていたのだ。当時23歳、アンソロジーのなかではもっとも若手であった。その時の正木ゆう子の評に、「追想に本音のような天気雨」「パラフィンのごとき言ひ訳繰り返す」などの句を挙げたのち、「もともと体質的にこの作者には『切れ』に対する必然性が希薄なのかもしれない。現在は俳句は開店休業中で、短歌の雑誌に属しているという。優しさは短歌では長所に転じるだろう」と記している。その優しさは本歌集に満ちている。愚生は年のせいか、おもわず涙腺を刺激された歌がいくつもある。宇田川寛之は、いまや充実の時を迎えようとしているのかもしれない。静かに六花書林という詩歌の出版社を一人で立派にやっている。
 ともあれ、いくつかの歌を以下に挙げておこう。

  愚図愚図と雨降りしきる。渋滞に連なるのみの二十代はも   寛之
  間の抜けた謝罪を朝に投函す酒のちからの口論の果て
  転居通知を投函せしが〈転居先不明〉と戻りきたるいちまい
  花水木はじめて見る子を抱きつつ五月の空のした抜けられぬ
  来年二月古稀を迎ふるはずの父、途切れ途切れの例のさびしさ
  待ち合はせ時間に遅れ焦る吾を背後から呼ぶこゑはそらみみ
  どしやぶりはおもひがけずに来るものぞひとつの傘に子と身を寄せて
  受賞者へ短きメールせむ「友がみな」などぼやくことなく
  無名なるわれは無名のまま果てむわづかばかりの悔いを残して
  匿名の許されてゐるゆふぐれを行き交ふひとはみな他人なり

宇田川寛之(うだがわ・ひろゆき)、1970年、東京都生まれ。




2017年12月7日木曜日

江田浩司「手にそっとふれてゐるのはきのうから消えずに残る夕日だらうか」(「扉のない鍵」創刊号)・・



 創刊の挨拶に、文藝別人誌「扉のない鍵」とある。同人誌ではない別人誌なのだ。編集後記に以下のように記されている。

 ◇「扉のない鍵」は、[文藝別人誌]という聞きなれない名称の雑誌である。私は当初、本誌に集う者が、普段とは異質な創作を行う場として別人誌を位置づけていた。また、同人誌のような関係性をなるべく無化した上で、他者による競演を意識したところもある。しかしそれは、あくまでも表層的な意味づけにすぎないだろう。各別人のテクストが、本誌にどのような本質を付与できるのかが、本誌の生命線である。

 編集人は江田浩司、発行人は[TNK]、発行所(発売・北冬舎)は江田浩司方、[別人]三十人によって創刊された雑誌である。各自のジャンルの壁はないとあるが、小説、エッセイ、評論などもあるものの、印象は、やはり短歌の別人誌の感じである。特集は「扉、または鍵」にまつわる(題詠)創作に加えて、加部洋祐歌集『亞天使』をめぐる「闘論会」ライブ版が約50ページを占めている。
 別人のなかには愚生の既知の方も何人かいらっしゃる。かつて「豈」同人だった生野毅もいて、「蛭化」という詩を寄せている。冒頭は、

 一枚の大きな扉は おお空に吊るされ 身じろぎもせず 時に微風にたじろぐ 

から始まる詩篇である。ともあれ、以下に三人の方の各一首を挙げておこう。

    ひろいそらどこまでもひろい春のそら(とくに何もないな、なにも) 加部洋祐
  どこまでが季何のからだか例ふれば鼻腔の空氣、胃の中の柿 堀田季何
  歳月はここにも滲む 玄関のだんだん回りにくくなるシリンダー 生沼義朗
  扉なき世界みだらに放たれて 排水溝の孤児(みなしご)阿修羅 玲はる名



★閑話休題・・・

 江田浩司には大冊の近著『岡井隆考』(北冬舎)がある。巻末の岡井隆自筆年譜抄や岡井隆著作一覧、岡井隆研究史などだけでも読み応えがある。論考はさすがに精緻を極めている。ただ、愚生が岡井隆を読んでいたのは、国文社・現代歌人文庫『岡井隆歌集』までで、いわゆる岡井隆失踪後は『鵞卵亭』『人生の視える場所』までである。その後は、ほとんどその営為に接してこなかったので、本著によって改めて、岡井隆の詩的営為について蒙を開かれる思いだった。当時、並走していた塚本邦雄も魅力的だったが性に合ったのは、岡井隆の方だった。尊顔を拝した最後は、「現代俳句シンポジウム」の企画で、健在だった三橋敏雄との対談の折り、現在、日野草城の評価が低い、もっと見直されてよい俳人だと語っていたのが印象に残っている。

江田浩司(えだ・こうじ)1959年、岡山県生まれ。


2017年12月6日水曜日

石寒太「いろいろいろいろはもみぢのちりぬるよ」(『風韻』)・・



 石寒太第7句集『風韻』(紅書房)、栞には宇多喜代子、末尾近く、

 石寒太の俳句には、夢や幻を追うような難解な嘘がない。過剰な装飾や知識や蘊蓄の偏重もない。自身が生きて、見て、感じたところから自らの内部の意識とことばに近づいてゆく。ことばと接するのにもっとも至難である「生」や「死」が、ごく自然に句の中で無理なく自分のテーマとして表現されているのも、他人の考えや他人のことばではなく、石寒太自身の思い、石寒太のことばで表現さているからであろう。

と述べている。句は幅広いが、楸邨の弟子というだけあって、師にまつわる句、楸邨の句を思い起こさせる句もおおくある。とりあえず、楸邨の名を刻む句を挙げてみよう。

  七月の三日楸邨忌を修す     寒太
  楸邨の供華はなやぎし梅雨墓参
  楸邨の謎めく一句去年今年
  楸邨のことば反芻春の風
  楸邨の星出るころぞ木下闇
  楸邨忌前日鰻焼け焦げし
  楸邨の句碑にもひとつ螢来よ
  楸邨の海月のくらり沈みけり
  楸邨のことばのちから茨の實
  楸邨の怒濤きらきら夏至の朝
  楸邨の顎の黒子や十二月

著者「あとがき」には、

  『風韻』とは風趣、少しでもこころ豊かに過ごしたいとのささやかな願いからつけたが、果たして如何であったろうか。

とある。「炎環」30周年おめでとうございます。愚生が、石寒太に最初に会ったのは、現代俳句のシンポジウムの打ち合わせか、何かで東中野で坪内稔典らと一諸だったとき、毎日新聞社の名刺に石倉昌治とあったのを鮮明に覚えている。やはり、30年以上前のことのような気がしないでもない。
ともあれ、愚生好みで、いくつか句を挙げておきたい。

  病む馬のたてがみへ降り流れ星
  戦争法案通過す四万六千日
  つくつくほふしつくつくぼふしつくしけり
  瓦礫二年更地三年赤蜻蛉
  飛花落花非核宣言都市真昼
   悼・長谷川智弥子
  つばくらめ風のいのちと繋がりし
   佐藤良重句会へ
  うららかや句座に着きたる車椅子 

石寒太(いし・かんた)1943年、静岡県生まれ。



2017年12月4日月曜日

佐藤りえ「海市見てより繪のなかの潮鳴る」(「guca」リニューアル創刊号)・・



「guca」短詩系マガジン[グーカ]リニューアル創刊号、テーマは「短詩への扉をつくる人たち」(編集部は太田ユリ・佐藤文香)。
 特集1は新装版『角砂糖の日』で「編集者・平岩壮悟に聞く・新しい扉の作り方」、短歌作品は服部真里子「変身」、短歌と文は、枡野浩一「布ならば三千円で売れるけど三千円の紙は売れない」。枡野浩一は相変わらず面白い。伊勢丹新宿店で店員として働き、自分の短歌をスゥェットに印刷した、イメージとしてはTシャツに短歌が印刷されているものと思えばいいらしいが、服飾ブランド商品として展示販売しているという話だ。
枡野浩一とは、大昔のことだが(攝津幸彦没後、まもなくの頃だったとおもうが)、「豈」東京句会を新宿・サムライでやっていた頃、マガジンハウス「鳩よ!」の句会取材で来て、句座をともにしたことがある(愚生の作をふくめてどんな作だったか全く記憶がないが・・)。
 特集Ⅱは『天の川銀河発電所Born after1968現代俳句ガイドブック』の編著者・佐藤文香インタビューが掲載されている。中に、

  これから、もっと読みたいのは口語の俳句です。今回公募で選んだ五人は五人とも、文語・口語に意識的な作者でした。特に佐藤智子さんは新時代の口語俳句にあたるんじゃないかと思って。口語だからわかりやすい、というのではなく、今のしゃべり言葉が本気で俳句に攻めてきたような句がいいですね。

 とあった。愚生はそれに是非、現代仮名遣いで書かれる奔放な作品がでてくれば、もっとイキイキとするような気がする。それは、作品として表現されたときに、歴史的仮名遣いがどうしても、ある種の安定した情緒からのがれられないからだと思う。現在に秩序を与えてはいけないのだ。
 他には「々々の絵俳句」で柳本々々、この人、多才だな、と思った。
 ともあれ、以下に俳句作品から各人一句を挙げておこう。

  真葛原何もなかつたのに起伏      クズウジュンイチ
  夕凪や錠剤各種凡て白         半田羽吟
  餡ぱんの顔投げられて鳥雲に      佐藤りえ



2017年12月3日日曜日

佐々木敏光「冬の沼おぼろなるものたちのぼる」(『富士山麓・晩年』)・・



 続・佐々木敏光句集『不二山麓・晩年』(邑書林)、集名由来の句は、

  晩年や前途洋洋大枯野      敏光

である。本集は『富士・まぼろしの鷹』に次ぐ第二句集。俳句個人誌『富士山麓』(ウェブ版)の創刊号(2012年9月号)から2017年8月号までの5年間の句からの自選である。初出がウェブ上なので、(俳句・佐々木敏光・富士山麓)のいずれか2語の検索で画面がでるが、毎月相当数の句が発表されており、多作の作家である(俳句をほとんど作らない俳人の愚生など到底及ばない)。従って厳選の573句ということになる。
 巻尾に、前書風の短文に句が置かれた章がある(面白い)。ただ、他にも前書のほどこされた句が多いが、これはこれで、句の背景がよくわかるのだが、読者にとっては、一句の謎がなくなるというリスクがあろう。前書がなければ、読者にはより広がりが生まれる。つまり、前書の答えとしての一句が用意されているのである。その分、作者の生活ぶりがよく伺えるのだが、平明すぎるというものではなかろうか。平明でも句は謎を秘めて読者にあれこれ想像させる方が、より楽しめるというものだ。どのようにも書ける、詠める俳人であるだけに、現状肯定ではない日常の俳を育てかえせば、これぞ世に問う佐々木敏光一世の第三句集がもたらされるに違いない。
ともあれ、愚生好みの句をいくつか以下に挙げておきたい。

     順番は運
  銀漢や人順番に死んでゆく      敏光
  死は未踏初日にささぐカップ酒
     老人力
  堂々と財布わするる祭かな
     戦争
  春風や死にゆくために敬礼す
  夢の世にうつつありけり原爆忌
  わが庭の椅子登頂をめざす蛭(ひる)
  炎帝は核融合をしてをられ
     
  ふるさとは枯枝にある懸り凧
    老夫婦 体調不安が続く妻へ
  眠るまで妻の手をとる昼月夜
  滅亡へ遅刻しつづけ秋の暮
  ふらここに乗りてあれこれおぼろなり
  核弾頭飛び交ふ春の山河否(いな)
  このわれにわれパラサイト秋の暮

佐々木敏光(ささき・としみつ)1943年、山口県宇部市生まれ。




2017年12月2日土曜日

西躰かずよし「アト少シ生キタイ雨ヲ受ケル」(『窓の海光』)・・



 西躰かずよし『海の海光』(鬣の会・風の冠文庫22、500部限定、税込1000円)、解説で林桂は、以下のように結んでいる。

  〈西躰かずよし〉は、短律の「境涯性」を擬きながら、その一方で、短律句の内部構造をハイブリッド化しようとしているのだろう。ここには少なくとも、現在に差し出された短律に正対しようとする誠実さがあるだろう。そして、その誠実さに於いて、〈西躰かずよし〉は、短律句の現在を引き寄せている大切な作家である。もちろん、現在の「俳壇」の視線が気づいているふうはないのだが。

 つづめて言えば、『窓の海光』は、現在では、じつに珍しい短律句集である。しかも、林桂の解説以外には、著者による「あとがき」などはない。つまり、この作品集を、言語作品としてのみいかに享受するかということのみが試されているのだが、著者も、たぶん一切の現実的、通俗的な生活を作品の辺々として見せたくはないのだ。それを林桂は「解説」の冒頭近くで、

(前略)短律で書くという行為は、そうした俳壇の外に身を置く覚悟とともに、自ら発表の場を確保する覚悟を持っていなければならない。第一に自己の表現欲求に向かい続ける真摯さと清潔性が必要だ。そして、西躰かずよしは、それを選んで、私たちの前に突如として現れたのだった。

 初出一覧をみると、見事に「鬣」以外には、句が発表されていない。2008年から2016年に至る作品、200句弱だが、珠玉である。ともあれ、いくつかの句を以下に挙げておこう。

  夜、置き去りの月がある
  雨を生れたばかりの色でかく
  死ぬ理由もなく雨にぬれる
  海をきれいな折り紙でつくる
  交叉するひかりをあつめる
  抱いた犬がつめたい
  何時カ空二届ク指
  冬の旅終わり海へ帰る

西躰かずよし(にしたい・かずよし)、1972年京都府福知山市生まれ。
装幀・挿絵、永井貴美子



2017年12月1日金曜日

芦田麻衣子「のけぞって神の舌出す赤ん坊」(『言ノ葉の舞』)・・・



 上賀茂神社奉納小丸屋扇子展『言ノ葉の舞』(六曜社)、上賀茂神社を舞台に、現代の詩歌を京扇子に装飾して展示した「言ノ葉の舞」展。その文芸扇子の制作を手掛けたのは、創業392年の京都の老舗・小丸屋住井とあった。その「言ノ葉の舞」展には、約110名による、詩、短歌・俳句・川柳が寄せられている。文芸扇子の装画は寺岡多佳、扇子の絵柄はすべて違う。図版の恵送にあずかった芦田麻衣子は、短歌と俳句を奉納している。作品は、

  神山の雲を蹴散らし競馬勝負のことは埒の中風    芦田麻衣子
  のけぞって神の舌出す赤ん坊
  青葉舟天の汀に棹さして





 愚生が二十歳の頃、三年間を過ごした記憶の中の上賀茂神社は、よく行った下賀茂神社から糾の森をぬけて質素な感じの社だったが、本図版によると平成27年の式年遷宮や世界遺産に登録されるなど、けっこう煌びやかな印象である。
ともあれ、文芸扇子に寄せられた詩歌のなかからアトランダムに以下にいくつかを挙げておこう。

  はるかなものの訪れのように
  山桃の実の小暗い茂みの中の子が
  うたいだすのである           池谷敦子(詩)

  寄り合いて葦辺に眠る少白鳥包むがごとき弥生の陽ざし  飯塚芳子
  紅を点すだらりの帯のはなやかにわれも舞ひたき京都の夜に 水崎野里子

  白木槿百花は天に向ひをり       辻中昭一
  火の山へ火の声放つほととぎす     みや子   
  内助の功卒業せしと妻笑ふ       馬場一甫
  寺まいりよく誘われる年になり     みとよ





  

2017年11月29日水曜日

安西篤「せりなずなごぎょうはこべら被曝せり」(『素秋』)・・



安西篤第4句集『素秋』(東京四季出版)、著者「あとがき」には、

 今回句集の題名を『素秋』としたのは、あるがままの秋という線にまで思いをひそめたいということである。
 老子のいう「人は地に法(のつと)り、地は天に法(のつと)り、天は道に法(のつと)る」にならえば、「自然(じねん)」とは「自ずから然り」の状態を指す。これは現在兜太師が志向しておられる方向に通じ、「あるがままの状態」をさらしてゆくものと受け止めた。そのことを「素秋」の題名に含意させたともいえる。意図するところを表現し得たとは思っていないが、せめて師の後姿に従(つ)きたいとは願っている。

とのべているが、その語を含む句で、「金沢武家屋敷」の前書をもつ、

  素秋罷り通る両袖に海鼠塀

がある。本ブログ前々日の佐藤映二句集『葛根湯』も忌日の句や、追悼の句が目だったが、著者の歩みきたった年齢がそうさせるのだろうか。『素秋』もそうである。因みに、

  山茱萸や雲低き坂花恋忌
        花恋忌=金子皆子の忌日(三月二日)
    悼村井和一氏
  花祭火男面の下に笑み
  歌舞伎町浴衣姿の重信忌
  屈葬の胎児透明紀音夫の忌
  河童忌の新月糸で吊るすなり
  時雨忌や木のぼり地蔵遠目して
  陽炎より何か出たがる三鬼の忌
  放哉忌ふいに欲しがる猫火鉢
  いつの間に杭たちならぶ沖縄忌
  カフカ忌の郵便物がこぼれ落つ
    悼長田弘
  南風(はえ)通す茂みのことば深呼吸
    悼まどみちお
  冬日向赤いビーズの行方かな
  舗装せしお歯黒どぶや一葉忌
    悼水木しげる
  着膨れて重き屁をこきしげる逝く
    悼中原梓氏
  今も旅の途次にあらずや大旦
  完市忌大根の花ならびます
  聖家族骨片もなしヒロシマ忌
  花札の梅に鶯久女の忌
  
安西篤は平成29年度の第17回現代俳句大賞を受賞している。本書の帯に金子兜太は、

 あるがままの生きざまを人生の秋に重ねて『素秋』の題名に含意させた安西篤晩年の成熟をそこに観る。

と記して賛を贈っている。 思えば、かつて愚生が青年部役員であった頃から、現代俳句協会においては長年にわたる幹事長職を歴任し、その名声が高かった安西篤の世話にいくたびなったことか・・・。
ともあれ、いくつかの愚生好みの他の句を以下に挙げておきたい。

  春愁の指のピストルこめかみに
  花擬宝珠黙禱はまだ終わらない
  春渚海亀はおいらん歩きする
  十一面より二面おそろし春彼岸
  皇帝ダリア倒れジハードはじまりぬ
  ガスの炎(ほ)に小さなゲリラ春立ちぬ
  春眠や甲骨文字の亀起きる
  終活は白紙のままにかぎろえり
  見るべきは見つ海牛の遠まなざし

安西篤(あんざい・あつし)、1932年、三重県生まれ。



2017年11月28日火曜日

上田五千石「もガリ笛風の又三郎やあーい」(『上田五千石私論』より)・・

 

 松尾隆信『上田五千石私論』(東京四季出版)。本書の多くは「松の花」誌上に「眼前直覚の推移ー五千石俳句に見る」として連載されたものという。また、五千石では世上評価の高かった、

  第一句集『田園』ではなく、第二句集『森林』についての考察からはじめていることに違和感を持たれる方もあるかもしれないが、これは、私が五千石に師事したのがその時期であったため。以来行を共にしてきた者として、その行程の確認から出発したかったのである。 

と、著者「あとがき」に記されている。同時にそれは、松尾隆信にとって、

 わが師・上田五千石が決して句集『田園』のみの俳人だけではなかったとをひしひしと感じている。

いわば本書は、その証明を当初より目論んでいたようである。それは五千石自身の口惜しみを灌ぐためだともいえよう。「眼前直覚」と「眼前直叙」。本書では、「竹の声晶々寒明くるべし 昭50」「母の忌を旅にありけり閑古鳥 昭54など4句をあげて、五千石の言葉を引いて、

 私が「眼前直覚」を俳句の在り様とするようになったのは、私の人間的はからいを捨てて賜った句の、そして多少は成功したという実験に発したものです。

と総括している、と述べている。ともあれ、愚生のような五千石俳句に熱心な読者で無かった者には、五千石の大方を知ることができる一書にちがいはなかった。巻末付録に「五千石の百句」があり、ブログタイトルにした「もがり笛風の又三郎やあーい」には、以下の鑑賞文が付されている。

 昭和三十四年作。盛岡から帰り、風の又三郎のラジオ放送をきっかけに成った句。どこか甘酸っぱい。この句の背後には、ー生涯を伴にする人ができたーとの叫びがある。

以下、いくつか五千石百句(松尾隆信選)から挙げておこう。

   青嵐渡るや加嶋五千石
   告げざる愛雪嶺はまた雪かさね
   萬緑や死は一弾を以て足る
   渡り鳥みるみるわれの小さくなり
   開けたてのならぬ北窓ひらきけり
   太郎に見えて次郎に見えぬ狐火や
   たまねぎのたましひいろにむかれけり
   もがり笛洗ひたてなる星ばかり
   安心のいちにちあらぬ茶立虫

松尾隆信(まつお・たかのぶ)、1946年、兵庫県生まれ。


2017年11月27日月曜日

佐藤映二「雪渓や急湍に風生れやまず」(『葛根湯』)・・



 佐藤映二第3句集『葛根湯』(現代俳句協会)、著者「あとがき」に、

 私の人生を振り返るとき、十代後半の宮沢賢治と音楽への目覚めが私の青春時代を形づくり、その後に出会った俳句の道を歩むにあたり、大きな支えとなりました。

とあるように、集中に宮沢賢治に関することや音楽に関係する句も多いが、何と言っても忌日を詠んだ句が多いのに驚かされる。アトランダムに挙げるが、

   金雀枝の実莢さやげりヘッセの忌    映二
   軒氷柱ごつごつ太る鬼房忌
   賢治の忌見えぬ手紙を渡す旅
   瀬頭の月下に白し迢空忌
   時雨忌や土と空気とわが自由
   和紙ありて詩歌残れり翁の忌
   栞して四十雀聞くゲーテの忌
   多喜二忌の首筋ぎくと鳴りにけり
   沙翁忌や柳の笞(しもと)水漬(みづ)きけり
   流木の隙に羽毛や浪化の忌
   箒草枯れて凛凛リルケの忌
   三鬼の忌離れず歪む石鹸玉
   英世の忌解体新書曝さるる
   幾多郎忌夏うぐひすの晴れ晴れと
   網に透く鬼灯ふたつ若冲忌
   
また、

  荒星を数へ鳥海むねき亡き
   兄・一(大正十五年五月一日生まれ、平成二十二年四月二十三日死去)
  ブランデンブルグの地鳴り南風が兄

 などの追悼句を加えると、理由はどうあれ、人を偲ぶ句が過半を超すのではないかと思えるくらいである。とりわけ、愚生は「鷹」時代からの鳥海むねきを思い、偶然にも何度かお会いする機会があり、親切にしていただいたことを思い出すと胸が熱くなる。
 もちろん「岳」同人らしく、地貌季語らしい季語を配した句、

  賢治好きオノマトペ好き成木責

もある。あるいは、集名に因む句は、

  葛根湯効きし夜長のトーマス・マン 

だろう。ともあれ、他にも愚生好みの句をいくつか挙げておきたい。

  ぶなしめぢどつてこどつてこどつてこど
  蔓茘枝つながりなほす生きなほす
  下駄の音立てず来る妣かぎろへり
  身支度のひとつが笑顔春ショール
  入学す津波到達点に杭

佐藤映二(さとう・えいじ)、1937年福島市生まれ。




  


  
 

2017年11月25日土曜日

渕上信子「紅葉かつ散るたとへば君がさうだ」(「豈」第139回忘年句会)・・



 毎年、11月の句会は一足早い恒例の「豈」忘年句会である。いつもは都心で開催しているのだが、本年に限り、第169回「豈」忘年句会は、府中グリーンプラザ地下1F集会室で行われた。しかも「豈」60号は出来上がったばかりで、参加者の皆さんには一冊ずつお渡しすることができて、ほっとしている。句会には間に合わなかったものの、久々に、高山れおなが懇親会に出席、また、京都からは妹尾健、奈良からは堀本吟、北村虻曵、近江八幡から岡村知昭、さらに十数年ぶりの妹尾健太郎に会えるなど、にぎやかな顔ぶれとなった。
 以下に一人一句を挙げておこう。

  オルガン弾く月光つなぎ合わせては    羽村美和子
  三島忌のさりげなくなく発つ夜汽車かな  福田葉子
  凍鶴 自動です             鈴木純一
  冬ざれの野面廻せり鳶の飢え       猫 翁
  生涯の構え崩さぬ枯蟷螂         山本敏倖
  身の洞へ牡蠣を滑らせ明日は鬱      篠崎央子
  「アントニオ!」誰かゞ叫ぶ酉の市    渕上信子
  銀河系すべて乾き始めたのか       川名つぎお
  姉ものをねだる皇帝ダリアかな      妹尾健太郎
  雪吊の完成形といふ堕落         飯田冬眞
  つるつると声のはみ出すテープかな    堀本 吟

  ことの葉の
  是の早稲なる
  早よ召され               酒巻英一郎

  訃報を怺え柿の個を守る         照井三余
  枯蓮のほとりや逢へば即笑ひ       小山森生
  鞦韆は退きたるせつな土仰ぐ       北村虻曵
  クリスマスシンクに浸ける皿いちまい   椿屋実梛
  居眠りやまた居眠りの炬燵かな      成澤洋子
  三日月や象の反抗期の新説        岡村知昭
  山茶花や寄り道じょうず副校長      小湊こぎく
  高く強く速く汚きメダルかな       筑紫磐井
  冬雲の関ヶ原より徐々に去る       妹尾 健
  作務太鼓鳴れば落葉の遽(にわ)かなり  堺谷真人
  泣くだらうくれなゐ椿の前にゐて     大井恒行

また、懇親会には、新同人・佐藤りえも駆け付けた。もう御一人猫翁さんの句友(大熊氏)が飛び入りで参加された。  
 ともあれ、皆さん、良い年を迎え、健康で無事、健吟、また来年お会いしましょう!


              大國魂神社欅並木の虚子の句碑↑

2017年11月23日木曜日

有賀真澄「よもや君虹の転写に手を染めて」(「TARUHO」)・・・


有賀真澄↑


菊地拓史↑


            稲垣足穂↑

 有賀真澄から案内をいただいた「TARUHO-稲垣足穂の愛した小宇宙(コスモ)とエロス」展(於:スパンアートギャラリ―・銀座2-2-18)11月18日(土)~11月28日(火)11時~19時に、創立70周年記念・第54回現代俳句全国大会に出席した帰路に立ち寄った。足穂からの種村季弘宛のハガキや「女性には身だしなみ男性には道徳」と書かれた短冊など、じつに興味深いものだった。愚生がかつて名を知っていた立石修志、中村宏、森ヒロコのものも展示されていて、ライトを付けてみる作品では、不器用な愚生には、上手く見えなかった作品では、菊地拓史氏(名刺を交換)が説明をして下さったり、短いながら有意義な時間を過ごさせてもらった。


 左から神野紗希・宇多喜代子・夏井いつき・岸本尚毅・渡辺誠一郎・小林貴子↑

★閑話休題・・・

 創立七十周年記念全国俳句大会(帝国ホテル)では、全国大会賞に以下の二作品が選ばれた。

   被爆胎児のわれを陽子と呼びし父   宮崎市 福富健男
   田螺鳴くまるごと村の捨てられて   豊能郡 原田タキ子

因みに一般選者だった愚生が選んだ特選1位句は、

  おことばの真意とどかぬ夏の雲    松下けん (4点)

特選に選んだ句は、

  わたくしの敗戦忌まで行ってくる   山本敏倖 (5点)
  小鳥来るペイネの胸の小窓にも    窪田英治 (2点)
  夏の空パントマイムのホームラン   前田猫佳 (3点)
  梅雨闇のフクシマ非常口がない   北村美都子 (秀逸賞) 
  
 講演とシンポジウムのテーマは「俳句の未来、季語の未来」。講演は宇多喜代子、パネリストは夏井いつき・岸本尚毅・渡辺誠一郎・小林貴子、司会に神野紗希だった。
この方はいずれ「現代俳句」で記録が掲載されると思うが、「季語とは記憶の再生装置である」、「日々のくり返しこそが季語の現場」「歳時記があって季語があるのではない、季語があって歳時記が出来上がる」「季語集のことを死語集、隠語集という人もいる」、「地貌季語運動」など、それぞれに興味深い話があった。
 愚生は、記念式典、懇親会は失礼したが、その前段の時間に、地下の「とらや」でお茶を飲んでいたら、黒田杏子、黒田勝雄、鳥居真里子、さらに角谷昌子など現俳協ではない人たちとも偶然に会い、お話ができ、しばし楽しい時を過ごした。


 


2017年11月19日日曜日

石井俊子「跳ねる魚冬木の影のあたりなり」(『虹の橋』)・・



 石井俊子第2句集『虹の橋』(東京四季出版)、集名は、

  言の葉の優しき人や虹の橋

の句に因むと思われる。懇切な序は鹿又英一、序によると職場の上司と部下であったらしいが、実に優秀な部下(石井俊子)のお蔭て郵便局長の激務をこなすことが出来たと感謝が記されている。しかし、その部下と上司が俳人として初めて出合うのは数年後の俳句の席である。そうした縁こそが大事だと鹿又英一はいう。また、親愛の跋は佐藤久、その跋には、、

  石井さんの句には、作者の生身の息遣いが感じられます。全てが実景句であり、実感句なのでしょう。飾らず虚勢もなく心のままに詠むことは、実際には大変難しいことですが、石井さんはこの壁を軽々と越えているように感じます。それゆえ石井さんの俳句は様々な顔を持っているのでしょう。それは複雑で矛盾した生身の人間として生きていることの有り様そのものです。

とある。あるいはまた、著者「あとがき」には、平成28年1月「蛮の会」に、縁あって入会し、

 理想の師、若い熱心な句座の皆さんに恵まれて、きびしさと恩情の句会に無我夢中でついていきました。それもつかの間の平安、四月に癌のリンパへの転移がみつかり、急ぎ、上梓の実現を目指し、二十七年春から二十九年春までの二年間の作品四百句あまりを収めました。

と、本集の上梓への経過と思いが語られている。
ともあれ、今後の健吟を祈って以下にいくつかの句を挙げておこう。

  雛飾り父母の遺影を拭ひたる     俊子
  手の平の幅の川なる花筏
  米軍の基地も氏子や本祭
  寄り添いし影のもつるる蛍の夜
  谷崎を読みて寝落ちの昼寝かな
  福も鬼も一人二役豆を撒く
  病廊の迷路めきたり春隣

石井俊子(いしい・としこ)昭和20年、神奈川県生まれ。装幀は田中淑恵。




 

2017年11月18日土曜日

原島なほみ「ひとつだけ嘘をついたわ神の留守」(「第173回遊句会」)・・



 一昨日は第173回遊句会(於:たい乃家)。いっこうにマシな句が出来ず、句歴だけはながーい愚生の現在の句会出席といえば、「豈」と、この「遊句会」以外は、ほとんど無いのだが、若年のときから思い起こせば、一度だけだが、中村草田男健在の「萬緑」や沢木欣一「風」などにも出たことがある。二十歳になりたての頃、京都に居たころは、天狼系だった「立命俳句」、鈴鹿野風呂「京鹿子」、山口草堂「南風」などの句会にも出た。運命を変えたのは代々木上原での「俳句評論」の句会への出席だったかもしれない。そして、愚生が遊句会に参加させてもらうことになったのは、ある御仁との縁によるものである。飲み食いをしながら句を楽しみ、人との付き合いを楽しむという趣だが、なかには、新聞俳壇に投句をしたり、「海程」の句会に出て、本格的に俳句を創ろうとしている人もいる、多士済済の仲間である。
 この長い遊句会の歴史を支え、築いてきたのは、そうした仲間が句会の進行役、兼題など、毎月担当を決め、なおかつその都度、句会報を出し続けてきたことによるだろう。今回は、その句会報の担当をしている山田浩明氏の句会報に添えられた感想を本人に無断で以下に引用したいと思う(許されよ・・)。じつによく、この句会の雰囲気を伝えていると思うからだ。

 今回の遊句会は「原島なほみDay」&「加藤智也Day」でした。


それにしても原島さん。貴女がこんなに〝悪いオンナ〟だったとは。
村上直樹が「嫁に欲しいぐらい・・・」と、手も無く騙されるのを見て、
大したものだと感心しました。

超低空飛行の私が云うのもナンですが、 
村上氏作の「銚子二本」もイイ、加藤さん作の「予報士の棒」もイイ、
天畠氏作の「七五三」も身につまされるヒトがいて、それぞれにイイと思いつつ、
やはり〝善〟より〝悪〟にこそ神の力は宿るのか。
もっともっと闇の底から香り立つような句が詠みたいなと思った次第です。

無理かな?俺もこれで結構イイ人してるからな・・・
余計なことを云いました。とにかく原島さん、オメデトウ。
                                  山田

今月の兼題は、神の留守・時雨・千歳飴。一人一句を以下に・・。

  小夜時雨銚子二本の理由(わけ)になり   村上直樹
  七五三親子が家族でありし頃         天畠良光
  時雨くるデイサービスの送迎車       春風亭昇吉
  鈴の音も虚ろに聞こゆ神の留守       橋本 明
  落葉松(からまつ)の一本道に片しぐれ   中山よしこ
  あの人に似た人のいて時雨かな       原島なほみ
  傘たたく音もなかりし時雨かな        武藤 幹
  祈祷待つ泣き顔笑顔千歳飴         石原友夫
  出雲へと留守居も置かず神の旅       渡辺 保
  心情を背に貼りつけてゆく時雨       たなべきよみ
  あっぱれな過剰包装千歳飴         山田浩明
  送信のあてなきメール初時雨        大井恒行

*欠席投句より

  予報士の棒の先から時雨来る        加藤智也
  引きずりし身の丈ほどの千歳飴       林 桂子
  休耕の田圃乾(ひ)上がる神の留守     石川耕治

次回(第174回)は、12月21日(第3木曜日)。兼題は、手袋・冬の海・除夜の鐘。



2017年11月16日木曜日

岩田由美「雲なしと思ふ待宵さしわたる」(『雲なつかし』)・・



 岩田由美第4句集『雲なつかし』(ふらんす堂)、帯には岸本尚毅の、ごくシンプルな惹句「いい句もある。」がいい。集名は、

  天窓の雲なつかしや避暑の宿   由美

からのものだろう。雲はさまざまに変容する。変転する。著者の雲にはそれぞれの愛着がたんたんとしてうかがえる。

  白き雲来て去る秋の神事かな
  鳥雲にもの皆花を急ぎつつ
  秋高し雲の映れる水に漕ぐ
  虹の色帯びて薄雲初御空
  雲なしと思ふ待宵さしわたる

収録句は、「平成二十二年四月から平成二十九年五月までの二百九十一句」(「あとがき」)とある
。読むにはほどよい句数である。ともあれ、以下に愚生好みの句を、いくつか挙げておこう。

  探りとる小銭冷たき小春かな
  恋ゆゑに世間が狭し花空木
  をりをりに飛ぶ蟬見えて蟬時雨
  天高し海ある方となき方と
  天高きまま満月の空となる




  

2017年11月14日火曜日

仁智榮坊「戦闘機ばらのある野に逆立ちぬ」(「『京大俳句』を読む会会報」第4号より)・・



「『京大俳句』を読む会 会報」第4号、挟み込まれた「ご挨拶」冒頭に、

 (前略)第1回目の「読む会」を開催したのは平成20年7月5日でした。会場は、柿衞文庫に近い伊丹郷町館の2階で、19名の参加がありました。爾来毎月「読む会」を続け108回を越えました。「京大俳句」復刻版全12巻、86冊を読み続けてきました。あと昭和15年1,2月号を読めば一応全冊を読了することになります。プロの研究者ではなく素人でありながら各々課題をもち、毎回レクチャーを決め、担当する者は関連する資料を準備してレクチャーするという形で地道に続けて参りました。その持続を支えたのは「京大俳句」という発表誌に拠りながら、俳句という表現により時代と向き合い、「新興俳句」という新たな自由な表現を追求する個性ある人々の情熱に、私達各々が魅力を感じたからだと思います。(後略)
  「京大俳句」を読む会 代表 西田もとつぐ 、編集責任 梶谷予人       

と記されている。最後のページにあった「『京大俳句』を読む会 活動記録」(平成二十七年六月~二十九年三月)を見るとさすがに最初の参加人数のほどではないが、常に10人前後の参加者で毎月行われてきたことが知れる。愚生などには到底及ぶべくもない活動というべきだろう。本会報の内容についても、おのおの数十ページを費やす力篇である。目次から、例えば、「人と作品」では、堀本吟「『京大俳句』の仁智栄坊」、西田もとつぐ「桂樟蹊子の決断ー満州俳句への道ー」、梶谷忠大「井上白文地ー鎮魂、異国の地に眠る人へ」、特別寄稿に、樽見博「中西其十の跡」、その他、新谷陽子「満蒙開拓移民と俳句ーその二ー」、綿原芳美「『京大俳句』の読み方」等々である。
 ここでは、「豈」の同人でもあり、本誌を贈ってくれた堀本吟の仁智栄坊についての以下の個所のみを引いておきたいと思う。仁智栄坊の俳句について述べた部分である。

  (前略)それらを一覧して感じたことは、戦争、反戦或いは厭戦気分が出ている作品でも、栄坊の場合は、他の人達よりは人工的で劇的であることだ。大衆小説のように風俗を大胆に持ち込む。彼も野放図さが時局を軽視侮辱したと言いがかりをつけられそうなところもある。しかし、表現は往々にそういう毒を許すものだと考える。俳句の諧謔精神もまさにそうなのだ。

こう指摘されたのが以下の俳句だ

  戦闘機ばらのある野に逆立ちぬ(「京大俳句」昭和11年1月号)
  射撃手のふとうなだれて戦闘機(「同」昭和12年10月号)
  哨兵よそなたの嫁は自害して(「同」  〃  )
  砲弾ガ風ヲ切ル鶯ヲ探セ(戦線日記)(「同」昭和13年5月号)
  リトヴィノフは葡萄酒じやないぞ諸君(「同」昭和13年9月号)
  幾山河越え來し馬のもの言はぬ(「同」昭和13年10月号)



2017年11月13日月曜日

右城暮石「鱧ちりの氷を白布にて砕く」(『右城暮石の百句』)・・



 茨木和生『右城暮石の百句』(ふらんす堂)、ブログタイトルにした句は、暮石句集『天水』所収、昭和59年作とあり、その解説(鑑賞)は以下のように記されている。

 梅田のビルの一階を借りて、安騎生さんの奥さんが料亭『井戸平』を営んでおられた。板前料理だったが、その魚は絶品だった。前登志夫さんや中上健次さんも何度かここにこられた。この句、先生ええ鱧が入っていますといって、後藤綾子さんと私も一緒に招待を受けた。板前さんは目の前で、鱧ちりに敷く氷を白布に包んで、すりこ木のような棒で打ち砕いていた。私など食べること、飲むことだけだが、先生の目は違うと感心した一句である。このときの後藤さんの句は「老すすむ湯攻めの鱧の縮む間も」である。

あるいは、また、「ふたたびは会ふこともなき滝仰ぐ」暮石(『一芸』・昭和62年作)の句には、

 句に前書をつけなかった暮石先生だが、この句には「兵庫県大屋町天滝 三句」とあり、(中略)先生は八十八歳、無理をさせてはならないと、藤本安騎生さんと私は代わる代わるに先生を負ぶって登った。「予は満足じゃ」というのが滝を見ての感想。

 著者・茨木和生は暮石に師事して以来、暮石の作句のほとんどの現場に立ち会っている。そしてまた、藤本安騎生も茨木和生と同じく、行く先々を車で案内し、同行しているように思える。師弟とはその生活を、共にする人のことではないかとも思わせる。そこには俳句を通しての実に濃密な関係が想像される。ともあれ、本書より、いくつかの暮石の句を以下に挙げておきたい。

  大和どこも団栗柴の黄ばむ頃
  狐かと南瓜の花に駭きし
  大学生最後まで観る後宴能

上掲の大学生は茨木和生のことらしい。

  いつからの一匹なるや水馬
  薬莢の笛猟犬を呼び戻す
  妻の遺品ならざるはなし春星も

茨木和生(いばらき・かずお)昭和14年、奈良県生まれ。
  




2017年11月12日日曜日

百瀬石涛子「死者の衣を分配の列寒月光」(『季語体系の背景』より)・・



 宮坂静生『季語体系の背景』(岩波書店)、「地貌季語探訪」の副題が示すように、宮坂静生が推し進めてきた地貌季語とはなにか?という命題に、現地での実作を踏まえて探求してきた一本である。が、愚生がもっとも感銘を受けたのは、第一部の「忘れられた戦後ー地貌への目覚め」である。この部があることで、宮坂静生が求めてきた根源にあるものが何であるかを明示できている。改めて宮坂静生は60年安保世代だったのだということを思い知らされた。なかでも第3章「シベリア抑留譚ーもうひとつの戦後体験」では、香月泰男、石原吉郎に触れられた部分は何より印象的だった。愚生は残念ながら行きたいと思いながら香月泰男記念館にはいまだに行ってないが、若き日、香月泰男,無言館についての連作を発表したことがあるし、石原吉郎には、句作上でもかなり意識した時期がある。この章では過日、恵送されていた百瀬石涛子『俘虜語り』の句も多く引用されていた(愚生は何も書けずに日月を過ごした)。例えば、

   収容所(ラーゲリ)の私物接収霏々と雪   石涛子(せきとうし)
   伐採のノルマの難き白夜の地
   哭く声は虜囚の声か冬に入る
   凍てし樹皮刻み煙草の日々なりし
   大八車の遺体白夜に搬送す
   柩なき遺骸を覆ふ班雪土
   秋深し愚鈍を以て我卒寿




また、満蒙開拓民を詠んだ宮坂静生の句に「満州より帰途、妻子足手まとひとなりて、自害さす」の前書きを付した、

  白萩や妻子自害の墓碑ばかり    静生

の句があり、痛ましい。そして、本題である地貌季語について著者は、

  (前略)季節が等分なのは地球の北緯、南緯ともに三〇~四〇度の地域に限られている。地軸の傾きによる日照の違いが、気温の変化をもたらすのである。日本列島では、北緯三〇度は鹿児島県屋久島と中之島の間、四〇度は秋田県の男鹿(おが)半島から岩手県境の八幡平(はちまんたい)を結ぶ線上である。(「まえがき」)

と述べ、本著でも秋田県以北、南は沖縄の地貌季語の豊かさを探訪し、触れた部分がより魅力的である。さらに、その地貌の探求の過程において、以下のように「あとがき」記していることは、まさに本質的なことだと思われる。

 私は地貌季語が使われる現場に立つ体験を重ねながら、地域限定語はわかりにくく拡がりがないという問題に絶えずぶつかった。そこで納得できたのは、表現の究極の目的は端的に広く知られるこのと普遍性が問題なのではないということである。一つ一つの地貌季語の持つ特異性への理解を深める愛情こそが新しさを見出す喜びに繋がるということではないか。

宮坂静生(みやさか・しずお)1937年、長野県生まれ。







   

2017年11月11日土曜日

岩田暁子「白鳥のかうかうと空鳴かせけり」(『陽のかけら』)・・


 
 岩田暁子第二句集『陽のかけら』(朔出版)、「あとがき」に「本句集には、平成26年から同二十九年夏までの作品を自選して二九八句を収めた」とある。集名に因む句は、

   沈黙の春潮へ散る陽のかけら    暁子

だろう。上掲句、沈黙の春潮は少し思わせぶりだが、読みようによっては、東日本大震災の津波の翳が覗えないわけではない。それはたぶん「沈黙の」の措辞がそう思わせる内容を含んでいるからだ。3・11は、季題的には、春の濤であり、春の地震であったのだからそれも詮無し。また海を含めて水にまつわる句、或いは花にまつわる句もなかなか多い。春霞までも含めて水と思えば、

  春霞かもめ落ちざる影なして
  冬怒涛一羽の鷗加へたし
  枯蓮や水に映りし刻の色
  寒鯉の鰭動かざる暗き水
  ひとところ明るき中に花の寺

 などの句が印象に残る。ともあれ、あと少しいくつかの句を以下に挙げておこう。

  朝ごとに色足されたる春寒し
  エレベーターガール手を上げ赤い羽根
  蒼ざめし被爆のマリア冬館
  二人乗りしたるふらここ空へ飛ぶ
  人は皆小さく眠る枯野かな

岩田暁子(いわた・あきこ) 昭和44年、愛知県生まれ。  




  

2017年11月10日金曜日

藤原喜久子「幻日や双手あふれし雪と虹」(『鳩笛』)・・・



 藤原喜久子俳句・随想集『鳩笛』(コールサック社)、内容の充実した俳句・随想集である。解説の鈴木比佐雄「『透明な美』や『冬の響き』に耳を聡くする人」に詳しい。本集名にちなんだと思われるエッセイと句に鳩笛の句と鳩笛の章がある。句は、

  鳩笛で紛らせようか萌黄山     喜久子

があり、エッセイの「月見草」のなかに、

 後の月の十三夜、広面に住む八十歳の弟より「姉さんお月さんが出たよ」と、電話の一報が届いた。
 だれにでも、どこにいても眺められた十三夜、この十五夜をスーパームーンと新聞は報じていいる。

とあって、愚生は、広面という地名に反応したのである。秋田の広面、そうだ安井浩司の住まいも確か広面野添だったな。そして安井浩司の生まれは能代市、米代川の河口で材木商だったな・・・藤原喜久子の「川は語り部」にも、かつて米代川にあった秋田杉の筏の係留地のことが書かれてある。愚生もその河口に数年前に立ったことがある。それともう一つは手代木啞々子(てしろぎああし)が、著者の師だと書かれていて感銘したのだ。愚生もかつて、兜太『今日の俳句』以来、手代木啞々子「乾く橇嗚咽はいつも背後より」の句に魅せられていた時期があるからだ。その独特の名とともに東北にこの俳人ありと長い間遠望していた。その師を詠んだ句も多い。

  啞々子以後沖見るごとの童唄
  鳴り砂の緑は近し啞々子の背
  昭和の町へ啞々子のベレー冬隣
  啞々子忌は五日でしたよ柿をむく

啞々子は1982年12月5日、78歳で亡くなった。
題簽も著者、編集、装幀、挿画などすべてを近親の者たちに囲まれてなった幸せな一書というべきか。
ともあれ、いくつかの愚生好みの句を以下に挙げておこう。

  地の韻(おと)にきさらぎの父口ごもる
  春の沼ほたほたあの子は癒えたろう
  北国の空見たろうか飛花落花
  料峭の次の間こけし総立ちに
  原発の円周を外れ滝桜
  数ほどの胸の弔旗や黄菊摘む
  霧食うていようおとこえしおみなえし
  千体の一体親し蟬時雨
  父母の昭和遠しや雪しんしん




   
 

2017年11月9日木曜日

橋口等「宇宙巡礼星星をして祈らしめ」(『建立 橋口等全句集』)・・



 橋口等『建立 橋口等全句集』(諷詠社)、「鈴木石夫の御霊に捧ぐ」の献辞がある。跋によると、
  
 本書は、既刊第一句集『透明部落』(一九九一年 黙遥社刊)、既刊第二句集『こすもすごろす』(二〇〇一年、青木印刷)に、新たに、未刊の、第三句集『徳魂』、第四句集『鶴恋暮』、第五句集『宇宙遊弋』を加え、『建立 橋口等全句集』として仕立て上げ、江湖に問うものである。

と記されている。略歴によると1972年「歯車」(鈴木石夫代表)に参加とあるので、おそらく橋口等が16歳のときであろう。当時「歯車」は、10代や20代の若い俳人たちの拠点の同人誌だった。現在の代表は前田弘に継がれているが、編集の大久保史彦はその頃から不動の編集長である。江湖に問う志は、鈴木石夫が現代俳句の革新に賭けたものと同根だろう。その鈴木石夫は11年前に80歳で亡くなっている。
 本句集の中の特徴は第三句集の「徳魂(とくこん)」など、造語による連作ではなかろうか。不昧な愚生にはその「徳魂」がよく分からない。しかし、著者にとっては大事なキーワードである。第四句集の「鶴恋暮」もそうである。恋があるから恋慕となれば分かり易いが、その道は避けているのだ。最後の「宇宙遊弋」に至っては「宇宙山脈」「宇宙大陸」「宇宙渓谷」「宇宙鉄道」「宇宙都市」「宇宙婚礼」「宇宙大祭」「宇宙大葬」「宇宙漂流」「宇宙遍路」「宇宙巡礼」の句群である。造語とは、新しい概念を創出するために創造される言葉である。つまり、作者は造語によって、既存の世界ではない別の新しい世界を創造しようとしているのである。果たしてこれが現在の状況下に、受け入れられるか、そうでないか、文字通り、橋口等は江湖に問うているのである。
 ともあれ、以下にいくつかの句を挙げておこう。

  蒼蒼と湖底の少女火を焚けり     『透明部落』
  今を走る馬とは遂に出逢はざりけり
  山脈ヲ星脈と呼ぶ銀河すくーる    『こすもろごす』
  幼年を断固支持せよ蟻の道      『徳魂』
  潮干狩天も無数の目をひらき
  飛魚の飛翔哄笑の波がしら      『鶴恋暮』
  かぐはしや幼年棕櫚の花一番星
  たましいをともしびとなし宇宙遍路  『宇宙遊弋』
  宇宙遍路ねぐらは白鳥座の影か
   
橋口等(はしぐち・ひとし)1956年、鹿児島県出水市生まれ。







2017年11月8日水曜日

加藤楸邨「死ねば野分生きてゐしかば争へり」(『言葉となればもう古し』)・・


 今井聖著『言葉となればもう古し』(朔出版)、副題に「加藤楸邨論」とあるので、その多くは加藤楸邨を論じたものにちがいはないのだが、その実、今井聖の真に言いたいところは第2章「リアルの系譜ー子規から楸邨へ」ではなかろうか。例えば「『反戦』とモノローグ」に「『俳句の力』ということについて考えた」で始まるなかに、楸邨「しぐるる街ざわめく声は罵り来」の句を挙げて、以下のように記している。

 前書きに「十二月三十一日終日冷雨、早暁収容所を出て無蓋貨車によりマニラに入る。投石の中に銅貨あり。缶詰、煙草も振り来しと」
 こういう述懐には社会通念的見方にないリアルさがある。「日本帝国主義の侵略」によって殺され略奪され、凄惨を極めた現地国民は捕虜に投石を浴びせる。そのとき、日本兵はさらに自国の政策の被害者になる、というのが社会通念。ところが、投石の中に銅貨や煙草が混じる。日本兵と現地の人の人間的な交流を思わせる。もっとも弱い立場になった「侵略者」に差し入れを投げるのだから。そこには侵略の兵とその被害者である現地の人たちという一般的な図式はない。(中略)
 「反戦句」が人の心を揺さぶり、行動に駆り立てるエネルギーを与えてくれるということを意味するなら、それは作品が予定調和的な内面吐露や映像を超えて、本物の「リアル」を示し得たときだ。本物のリアルはそこらじゅう転がっているのに、ぼくらはリアルを口にすることが難しい。あるいは見えていても見て見ぬふりをする。通念に寄ろうとしてしまう。

 こういうとき、愚生は眼前の景にホントウの写生ということを思う。かつて湾岸戦争の折りに、阿波野青畝は多く俳人たちのなかで唯一湾岸戦争に関する句を発表していた。そのときの句は、確か、

  カシミヤの毛布ぐるめは避難民   青畝

だった、と記憶している。これこそ今井聖のいうリアルだ、と改めて今おもう。
じつは愚生も楸邨といえば、『野哭』だった。愚生の故郷の山口市は、当時(50年前)、駅前のメインストリートといっても五分も歩けば突き抜けてしまう町だ。そのかどに唯一の古本屋があって『野哭』を求めたのだった。田舎なので安い買い物をした。数年経って、生活費の一部に『野哭』を替えた。従って今手元にはない。その時、古本屋の親父は、『野哭』、そのウインドウにも入っているだろ・・他にも何冊かある・・・と言いながら、それでも、愚生が買った値の三倍で買ってくれた。
ともあれ、いくつか愚生好みの楸邨の句を以下に本書より孫引きで挙げておこう。

   十二月八日の霜の屋根幾万
   死ねば野分生きてゐしかば争へり
   木の葉ふりやまずいそぐなよいそぐなよ
   落葉松はいつめざめても雪降りをり
   冬鷗生に家なし死に墓なし
   おぼろ夜のかたまりとしてものおもふ
   百体の過客猫の子もしんがりに
   天の川わたるお多福豆一列