2017年8月18日金曜日

橋本明「笑顔ふり手ふり踊るや車椅子」(第170回遊句会)・・



 昨夜は記念すべき第170回の遊句会、於:たい乃家だった。とは言っても愚生が最も新参者のペイペイなのである(句歴は愚生が馬齢を重ねるごとく長ーいのだが・・)。
 今月もその一人一句を以下に紹介しておきたい。

  無花果のなめらかという摩擦      たなべきよみ
  いちじくの舌にざらりとアジアかな   石川耕治
  無花果のどこやら腐肉食(は)むここち 武藤 幹
  盆踊り三池を知らぬ月が出る      植松隆一郎
  一村に五十余人や盆踊り        村上直樹
  無花果の実は謎のまま失楽園      山田浩明
  秋めくや老いの矜持が邪魔をする    石原友夫
  飯館や無花果熟れて朽ちをまつ     石飛公也
  道草の戯(ざ)れ合う影も秋めきぬ   橋本 明 
  秋めくや警策響く古刹かな       山口美々子
  死んだ子が輪の中にいる盆踊り     春風亭昇吉
  無花果やシルクロードの旅遥か     中山よし子
  無花果の切り口に乳母恋ひし      渡辺 保
  無花果や報われぬ事多かりき      林 桂子
  午後五時の家路のメロディ秋めいて   加藤智也
  無花果は古来稀なる内気なり      原島なほみ
  噺家の座っておどる盆踊        大井恒行



★閑話休題・・・
小林良作著『八月や六日九日十五日』(「鴻」発行所・900円)のこと記す。
本書は「八月の六日九日十五日」という句を著者の小林良作が作ったところ、類似句ありとされて、ボツにされたこと話しが始まる。実はこの句には多くの類似句、いや同じ句が存在することが分かり、この句を最初に作った人を探し出す旅を敢行するのだ。
つまり、同じ句を戦後に多くの人が詠んで来たのだ。
この本を遊句会の渡辺保氏が、読めといって愚生に貸してくれたのだ。
そしてこの句を最初に作った人にたどり着く。その人の名は諌見勝利。しかも大分県宇佐市城井お掩体壕公演には句碑もあった。90歳で逝った父・諌見勝利の子息・康弘氏の寄稿には、

  九十歳で逝く半年前のクリスマスに洗礼を受けた父は、これらの出来事が、その時まで記念され、そしてそれが真の平安に新しく生まれ変わりますようにという祈りを、この句の中で祈り続けていたのではないでしょうか。

と記されている。この先行句に対して、愚草「八月尽六日九日十五日」、中村洋子「八月の六日・九日・十五日」など15人ほどが、類似句を作っていた。これらは盗作ではなく、こういう構造の句に、それぞれの作者が、ある思いを込めて作句したのであろう。



          撮影・葛城綾呂↑
  
  

2017年8月17日木曜日

鈴木志郎康『とがりんぼう、ウフフっちゃ。』(書肆山田)・・



 鈴木志郎康の詩集は、ここ四半世紀のあいだ、単独詩集10冊ほどは、すべて書肆山田から刊行されている。「あとがき」には、冒頭「三年連続で詩集を出せたのは良かった。嬉しいです」とある。その三冊とは『どんどんどん詩をかいちゃえで詩を書いた』(2015年)、『化石詩人は御免だぜ、でも言葉は。』(2016年)、そしてこの度の『とがりんぼう、ウフフっちゃ。』(2017年7月)である。つまり、鈴木志郎康が80歳になってから出版された詩集ということになる。
さらに「あとがき」は以下のように記されている。

 かまくら春秋社季刊「星座」二〇一六年夕鐘号No.79に発表した「木の魚眼写真をいつも見てるっちゃ」以外の作品はすべてさとう三千魚さんのWeb詩誌「浜風文庫」に発表した。FacebookやTwitterにリンクされていて、そこに投稿されると、読んだ人が押すそれぞれの「いいね」や「コメント」や「シェア」に読者の反応がでる。その「いいね」や(コメント」や「シェア」の数が励みになって詩を書き続けられたということもある。ボタンを押してくれたみなさんに感謝です。

ともあった。そうしたツールを使いこなせない愚生には想像もできないネットの時代に入っているらしい。ともあれ、引用したい詩はいくつもあるが、短い詩を一篇以下に紹介しておきたい。

     これって俺っちの最後の姿かって

立て掛けた杖が
キッチンのリノリュームの床に、
バチ―ンって
倒れた。
床にペタッと、
してた。
これって、
俺っちの
最後の姿かって、
つい思っちまったよ。
ホイチョッポ。
ここまで書いて、
翌日の夜中に、
キッチンと広間の境で、
杖投げ出すかっこで、
すっ転んじまったっす。
イテテって叫んで、
テレビを見てた、
息子の草多に
抱き起こされたっすね。
怪我はなかった。
麻理が脚をさすってくれたよ。
よかったですっす。
ホイチョッポ。
明るくなって、
庭に、
五月の風が流れ込んで、
若緑の葉が、
さわさわって揺れたよ。

鈴木志郎康(すずき・しろうやす)、1935年、東京生まれ。



          ナミアゲハ↑ 撮影・葛城綾呂

2017年8月15日火曜日

首くくり栲象「夏の世や庭劇場の土の色」(「今月の庭劇場より」)



残暑お見舞い申し上げます。
愚生のところに、首くくり栲象(たくぞう)から今月の庭劇場の案内が届いた。
これを転載したいと思う。ご案内まで・・・

「夏の世や庭劇場の土の色」

庭の土の上に、 蝉の死骸がある。その死骸に二ミリほどの蟻が群がっている。 地面 にはこの夏、羽化するために這い出た坑道の孔が幾つか点在している。  鮭は産まれた川に戻る。 蝉だってそうかもしれない。
 土は不思議だ。 穴に種子をまく。種子は土から養分をもらい変容し、成長し、やがて植えた人に収穫をもたらさんと実る。
それだけではない、かっては「お袋が土の下で云々」という言い方があった。土は生きている者に死者の声を届けている。 

昨年の真夏。  富士山の麓の森で 半日、 蝉の声を聞いていた。  森の蝉にはそのおののエリアに指揮者格の蝉がいて、他のエリアとの塩梅を図り、タクトを振っているよるに思えた。
それにしても、昨年の夏はどこにいったのろうか。またこの夏とどんな繋がりがあるのだろうか。こころを澄ませば、土の下の声は月夜にほてって甲高く、きっときっと聞こえている。

 ●開催日と開演時間
〇8月23日(水曜日)夜7時開演
〇24日(休演)
〇25日(金曜日)夜7時開演

〇開場は各々十五分前
〇雨天時も開催
〇料金→千円
〇場所→庭劇場
〇国立市東4の17の3

 電話 090 8178 7216
   首くくり栲象




            カギハアオシャク↑ 撮影・葛城綾呂   



2017年8月13日日曜日

中川智正「真白から鳥なき獄へ白鳥来」(「ジャム・セッション」第11号)・・



「ジャム・セッション」は江里昭彦の個人誌である。本号・第11号のゲスト作品の嵯峨根鈴子「シュプレヒコール」から以下に一句。

   液晶の画面を水素爆弾がゆく      嵯峨根鈴子

ブログタイトルの句「真白から鳥なき獄へ白鳥来」には、前書が「松下カロ氏の『白鳥句集』を拝読」とある。中川智正の他のいくつかの句を句紹介しよう。

  裏返しのシャツを笑われ夏隣    智正
  三途ふと何級河川か春一番
  徘徊をせぬ母が見る大まぐろ
  義士の日や我ならきっと吉良の侍医
  初陽受く賀状見ること許されず
  おでん吹く腫れ物として獄に生き
  配属の換わる看取と春の午後

 他の読み物中、愚生のもっとも惹かれたのは江里昭彦「哀悼 宍戸恭一氏」である。宍戸恭一は今年1月22日に95歳で天寿をまっとうした。京都・三月書房の店主だった。愚生が二十歳の頃、京都にいた3年間に幾度か店に行った。当時(1968年ころ)、その店には、左翼系党派の機関誌がすべて置かれていた。したがって、最初は故・厚見民恭(玄文社)に連れて行ってもらったのだったと思う(玄文社では、上野ちづこ・江里昭彦らの「京大俳句」が印刷されていた)。いわば、一般書店が敬遠する反体制的な書籍や雑誌が売られていたのだ。その後は、江里昭彦がいうように最新の詩歌の書が、多く置かれる店になっていたから「俳句空間」(弘栄堂書店版)も出るたびに一冊ずつは置いてもらった。
 他の文中、宍戸恭一が江里昭彦と中川智正との縁を結び「ジャム・セッション」を出すにいたる経過も記されている。
 また、「あとがき」には、以下の部分も記されていた。

(前略)まず第一に、VX事件に関する中川氏の発言についての反応である。「資料」として掲載した。北朝鮮の金正男氏が化学兵器であるVXで殺害されたことを、マレーシア警察が発表する前に、氏が言いあてたことは、大きな反響を呼んだ。もちろん確定死刑囚である中川氏が記者会見に応じることは不可能なので、代わりに、氏と接触できるアンソニー・トゥ博士(コロラド州立大学名誉教授)に取材依頼が殺到することとなった。
 新聞、雑誌、NHKニュースに加えて、「アンソニー・トゥ VX」で検索するなら、インターネット上でも多くの記事が読めるだろう。

 ともあれ、本号の江里昭彦「沖縄から遠く離れて」から以下に挙げておこう。

  徴兵ののちも美男という病    昭彦
  水葬かもしれずとどまる沖の船
  拷問の警官がする鰓呼吸

また、以下に同封されていた琉球新報の記事を転載しよう。



  

2017年8月11日金曜日

福田若之「白壁にか黒い蚊グロいかグロい」(「オルガン」10号)・・

 

 オルガン10号の読み物には、片山由美子と田島健一の対談と浅沼璞と柳本々々の往復書簡「『字数の問題』をめぐって」が掲載されている。いずれもそれぞれに興味深いが、片山由美子が対談で語っていたある部分にだけ、すこし異議を唱えておこう。それは、

 片山 (前略)私が俳句を始めたころは、住み分けていたんですよ。高柳重信さんが編集長だったころの『俳句研究』っていうのは執筆依頼も含めて前衛の人ばかりでした。五十句競作で競い合い、俳句研究からデビューする、みたいな。

 どうでもいいことだが、「執筆依頼も含めて前衛の人ばかりでした」というのは少なくとも間違いだろうと思う(もっとも愚生も直感で言っているのだが・・)。当時、髙柳重信の部下として編集部にいた澤好摩にきけば、もっとはっきりすると思うけれど、髙柳重信は俳句形式を語る時には前衛も伝統もなく公平だった。従っていわゆる伝統派も前衛派にも半々程度に作品依頼をし、作品掲載が成されていたと思う。愚生はそこで、いわゆる伝統系であれば、女性作家では、清水径子、飯島晴子、岡本眸、古賀まり子、石田あき子、寺田京子、野沢節子などを読んだ記憶がある。男性では飴山實、上田五千石、上村占魚、清崎敏郎、能村登四郎、波多野爽波、福田甲子雄、草間時彦、森田峠、磯貝碧蹄館などを思い出す。川柳の時実新子もそうだ。
 一方角川の「俳句」は、前衛系にはほとんど依頼しなかったのではなかろうか。というわけで、相対的にみると「俳句研究」のほうが前衛系の俳人ばかりという印象をもたらされていたのではなかろうか。先入観や図式的にものを見てしまっては眼が曇る。
 愚生が最初に「俳句研究」を手にしたのは、二十歳の頃、京都の百万遍近くの小さな書店に一冊だけ置いてあったのを、買っていた。そして、記憶があいまいだが、その中の小さな広告、もしくは時評欄で坪内稔典「日時計」を知り、購入したのだった。その頃の「俳句」も中味の濃い作家特集をしていた。角川源義の「俳句」にもがんこな骨があったのだ。それは片山由美子がいう住み分けではなかった。さらにいえば、角川原義が髙柳重信にある信頼を置いていたらしいことは、髙柳のエッセイにも具体的に書かれている。
 以下に「オルガン」10号より、テーマは「切れ」。

    黄や赤に光が蜘蛛の巣に届く    宮﨑莉々香
    玉蜀黍割るや採血せし両手     宮本佳世乃
    夏や空すとんと落とすように着る  田島健一
    システムや指の模様をわたる鳥   鴇田智哉
    夏の月細胞膜のなかへ差す     福田若之 




★閑話休題・・・

宮﨑莉々香つながりで「円錐」第74号に眼を移すと、宮﨑莉々香は以下のように述べている(『今、田中裕明を読み直す』2)。

 この文章を書くために様々な裕明論を読んでいる訳だが、みんな裕明に期待しすぎていると思う。裕明はもういない、なのに、裕明が生きていたら今、どんな俳句を書くだろうなんてつまらないことを言う。私は何よりそれが嫌だ。大事なのは、今、自分がどんな俳句を書くかではないのか。

そして、山田耕司の編集後記には、
 
 ▼金原さんが九十九歳の頃から文通をしていた。〈前略 体調により俳句つづけてゆけなくなりました。(中略)さようなら 少年兵どの〉山田耕司を〈少年兵どの〉と呼び続けてくれた金原まさ子さんの最後のハガキ。追記にこうある。〈円錐73号拝見 胸がかきむしられるようです〉▼これは円錐新鋭作品賞への思いだろう。ここにあるのは、自在にものを表現することへのせつないまでの希求。▼表現への〈胸がかきむしられ〉るほどの思い。それは金原まさ子が少年兵にくれた最後のプレゼントだ。

とあった。宮﨑莉々香の言挙げもまた、表現への〈胸がかきむしられる〉ほどの思いにつながっているはずである。


           撮影・葛城綾呂↑

2017年8月9日水曜日

中島修之輔「米兵の巨大な尻や遠き夏」(『系譜』)・・



中島修之輔句集『系譜』(文學の森)、「あとがき」によると著者の俳句の出発は、

 ストレスフルな仕事を終え、余生を豊かにすごすべく趣味を広げました。緑の保全のボランティア活動(鎌倉の緑のレンジャー)、市民農園の農作業、俳句、俳画などです。俳句は地元の結社「和賀江」に入会し、志摩和子先生から写生中心に基礎を教わりました。

とある。その後病に倒れ、退院後リハビリを続けながら、「嘗て現代俳句協会の通信句会に参加し大牧広先生から特選をいただき感激した記憶を頼りに『港』に入会しました」とあった。その大牧広は序文で、

 『系譜』の著者が「港」に入ってこられて、すぐに直感したのが著者の作品が知的であり、その知的な作品に流れているのが、「反骨」ということであった。「反骨」、こう思われるのは、その人が意志的であるということである。いわば「日和見」という言葉と対峙するが、この「反骨」は自信と知性がなくては、只の変り者にしか見えない。ゆえに、氏の作品の底に「反骨」の気脈がながれていることに強く共感したのである。

と述べている。

著者は「句業なお未熟とおもいつつも、相次ぐ病気や怪我から実年齢以上の老いを実感する昨今、ともかくも生きた証しとしてこの辺で句集に纏めておきたいと思うようになり」(あとがき)と謙遜して語っているが、「笹鳴やわが伸び代も信じたし」という句が巻末に置かれている通り、まだまだクタバルわけにはいかないという意思がある。
ともあれ、いくつかの句を以下に紹介しておこう。

   沖縄忌追悼の辞に虚実あり      修之輔
   開戦日記念写真にわが童顔
   葉桜や遠き記憶の樺の忌
   夏深く三池炭鉱不滅まり
   花見酒散華といふ語みな忘れ
   文弱に建国の日の昏かりし
   下萌や餓鬼の頃から反巨人
   墓洗ふ洗はれる日が来るまでは
   長生きを許されてまた敗戦忌
   すすき原この世の妻と歩きゐし
   股引や粋な老などあるものか
   
 中島修之輔(なかじま・しゅうのすけ)、昭和11年、東京港区生まれ。



2017年8月7日月曜日

戸張凱夫「基地帰還不可能に哭き夏雲衝く」(『俳句の底力』)より・・



秋尾敏『俳句の底力ー下総俳壇に見る俳句の実相』(東京四季出版)、下総の俳壇、それも明治以後、戦前から戦後までの、とりわけ、流山・野田の俳句については詳しく、資料を駆使し、事実に即したかたちで、文字通り実相にせまるものである。もちろん、現在の俳壇情勢も記してある。その際の秋尾敏には、ゆずれない眼というものがある。そこでは、イデオロギーよりもむしろ、俳人同士の人間関係に影響を受けて、敷衍する俳句作品の特徴がよく描かれているように思える。地道な作業を積み重ねての労作である。そのことに触れて「あとがき」に、以下のように記している。

 俳句の文学的価値といえば、凝縮された斬新な表現が人々の心を打つという点に集約されるであろうが、それとはまた別の価値が俳句にはある。それは俳句の文化的価値というべきもので、俳句によって人とつながり、コミュニケーションを深め、自らのアイデンティティを形成し、生きがいを見出していくというような価値である。なぜこれほど多くの人が俳句を詠み続けるかといえば、俳句が、人の内面はもとより、現実の生活をも支えるからである。

ブログタイトルの句の作者・戸張凱夫はのちの「軸」主宰・河合凱夫(がいふ)であり、本著はその子息で、現「軸」主宰の秋尾敏である。秋尾敏は、収集した俳書類の鳴弦文庫をも運営し、今後の下総俳壇を、また現代俳句を牽引するであろう俳人である。その「軸」は、先日、創刊50周年を迎えた記念の合同句集『軸燦燦』も、本著と同時に出版されている。その序にもまた、只今、目指すべき目標を序にしたためている。

本書の句が多種多彩であるのも意味のあることで、これからも「軸」は、形骸化した形容を避け、類型化した句を作らぬことを社是とし、幅広い表現様式を認めあいながら継続していくことになるであろう。
                          秋尾 敏

以下に「軸燦燦」より、

 花冷えや出刃で搔き出す魚の腸      河合凱夫(平成11年没)
 囀や日本というホームレス        秋尾 敏
 画架に掴む葛飾の秋余すなし       森 一汀(昭和45年没)
 秋の田の賑わい居しがはやさびし     高梨花人(昭和49年没)
 稲架解いて稲架より重き風を負う     井上富月(平成4年没)
 幾万の雪片の黙木々眠る         河合宏美(平成14年没)
 朧夜のピコと舌出す改札機        逆井和夫(平成二十二年没) 
 星の子も入れて帰りぬ蛍籠        増田斗志(平成26年没)    

秋尾敏(あきお・びん)、昭和25年、埼玉県生まれ。



         撮影・葛城綾呂↑ 
 


2017年8月4日金曜日

金田咲子「あつよほら庭の椿が咲きました」(『平面』)・・



 金田咲子第二句集『平面』(ふらんす堂)、集名は、次の句から、

  死は平面しづかに春の逝きにけり    咲子

 ブログタイトルにした句の「あつよほら」の「あつ」は、「平成二十七年三月二十六日、七十四歳で忽然と世を去った」(あとがき)夫・穆(あつし)のことである。生前はきっと「あつ」と呼びかわしていたのだと思う。ほかにも「あつ」を詠んだ句はある。

  あつが死んだ日囀りの口が見え
  夫よ来よ盆の俳句を作るため
  夫の忌の鼻の頭を春逝けり
     夫誕生日
  ぬるっと柿食べて誕生日祝ふ
  逢ひにくる夫よ達者か盆の道
  あつもいま見てゐる頃か旱星
  
 金田咲子は愚生と同年生まれ、飯田龍太に師事し、「雲母」終刊ののちは廣瀬直人「白露」同人を経て、現在「郭公」同人。1984年に第一句集『全身』(牧羊社)がある。

  銀杏落葉祈りの量と思ひつつ       『全身』

 以下に本集から幾つか、愚生の印象深い句を挙げておきたい。

  冬青空明日をはるかとおもふとき
  臥して見る暑き日の空終るとき
  剪りもどす花又咲いて昼寝覚
  抜かれある草にも露のはげしかり
  その中に母のいろある春の虹
  
金田咲子(かねだ・さきこ)昭和23年、長野県飯田市生まれ。



            猩猩草(しょうじょうそう)、撮影・葛城綾呂↑

2017年8月3日木曜日

松山たかし「母の日にもめるかもめる海の音」(『新・とどのまつり』)・・



 松山たかし『新 とどのまつり』(象の森書房)、略歴に、19歳 坪内稔典氏に誘われ京都学生俳句会「あらるげ」入会とあった。「あとがき」には、さらに「この新・とどのまつり」は私の第3句集にあたる。ただ『とどのまつり』という句集はない」と述べ、

 「新・とどのまつり」のとどは
 「とど」、「鯔」のこと。
 食べてもそんなに美味くない。しかし、出世魚である。
 さらにはトビウオではないけれど飛ぶことがある。

と記されている。 坪内稔典の跋文「面白がる松山クン」には、その出だしの書名を『とどのつまり』とわざと書いているのに面白がるネライが覗える。

 おっ、やるな、松山クン!
 『とどのつまり』を開いて数ページ目で私は右のようにつぶやいた。次の句に至って、松山クンを見直した。

  梅雨空をシフォンケーキもシフォンシュギ

もちろん、シフォンシュギは梅雨空やシフォンケーキの影響を受けた資本主義。資本主義のゆるみ、あるいは曖昧さが、梅雨空のシフォンケーキのようなのだ。それにしてもシフォンシュギという言葉を思いついたところがすごい。たしか昔、日本語のハ行はファと発音されたのだった。紫式部や在原業平だとシフォンシュギと発音しただろう。
 
 著者は、言葉の必然性、最適性にこだわった作品を集めたと言い、独りよがりではあるけれど、こんな俳句もあるのではないか、と威勢でまとめた140句なのだという。
ともあれ、いくつかの句を以下に挙げておこう。

  土踏まず踏めば地雷よ花の乱      たかし
  建国日雀のお宿舌を切る
  サクランボ民主主義の二者択一
  油照り次女はもっぱら油売り
  さくらちるひとこぶらくだだらくする
    (さくら散るヒトコブラクダ堕落する)
  七転び転んだままに夏来る
  あいにくという肉体の夏涼し
  新米の兵士ほどほど穀潰し
  鳥帰るファミリーレスのレストラン
  寄り道の挙げ句の果ての帰り花
  



 

2017年8月2日水曜日

柴田千晶「アイロンの胎内に水春の星」(「hotel 第2章no.40」)・・



 「hotel 第2章 no.40」(hotelの会)、詩の同人誌で、久しぶりに読む機会に恵まれた。柴田千晶は詩ではなく俳句作品だった。巻尾の同人諸氏の近況報告によると、「俳壇」(本阿弥書店)のエッセイ「地名を歩く」という連載が始まったことと、「術後一年が経ち、とても元気になりました」とあった。本号の「8ミリ」と題した作品の多くはその術前、術後の句群15句だった。暑さ厳しき折りのご自愛を祈る。
 因みに、たまたま手元にあった「俳壇」7月号には「⑦我老林」(連載・地名を歩く)のことが書いてあって「がろうばやし」と読むのだそうである。それは、柴田千晶の畏敬した詩人・阿部岩夫の生地だという。
 ともあれ、以下にいくつかを挙げておこう(愚生の好みの句は最後の「栗の花」かな・・・)。

   8ミリの悪性腫瘍白木槿        千晶
   造影剤に焼かるる裸身蔦紅葉
   甲状腺濾胞性腫瘍銀杏散る
   手術前の首も暮れたり冬の海
   石蕗の花母に抱かれてみたき日の
   BGMはゴスペル二月の手術室 
   麻酔より覚めて見知らぬ冬座敷
   六十日目の傷痕の透く春ショール
   栗の花静かな家の静かな犬






2017年8月1日火曜日

金子兜太「梅咲いて庭中に青鮫(あおざめ)が来ている」(『名句徹底鑑賞ドリル』より)・・



 髙柳克弘『作句力アップ 名句徹底鑑賞ドリル』(NHK出版)、読みやすく、なかなか面白い。愚生のようないい加減な者には、改めて気づかされることもある。
 著書は二部構成で、第一章は「名句徹底解剖」、第二章は「名句名勝負」で、その他にはいくつかのコラムもある。ドリルといいながら、読み物としても良く出来ている。第二部の名句名勝負を例にあげておこう。

【名句名勝負5】  「反戦を詠む」 Q1、反戦の思いを、より直接的に詠んでいるのはどちらでしょう。 

   原爆許すまじ蟹(かに)かつかつと瓦礫(がれき)あゆむ  金子兜太(かねことうた)
           ✖ 
   あやまちはくりかへします秋の暮(くれ)        三橋敏雄 (みつはしとしお)

Q2 「あやまちはくりかへします」は、ある場所に建てられた碑(ひ)の文をもじっています。碑がた建てられているのは、どこでしょう?

Q3 戦争を繰り返す人類へのアイロニカルな視線が感じられるのは、どちらの句でしょう?

Q1の正解は金子兜太の句、Q2の正解は「広島平和記念公園」。Q3は三橋敏雄の句である。正解と同時に髙柳克弘の解説が読ませる。構成もよく練られているのではなかろうか。最後に「まとめましょう」とあって、それには、

 兜太は大正八(一九一九)生まれ。敏雄は同九年生まれ。二人は一つ違いで、ともに戦争の現実を体験した世代です。彼らの反戦句は、一方は直情的で、一方は韜晦(とうかい)的。対照的と言っていいほどですが、戦争を憂い、体験の思いを俳句という形で後世に伝えようとする真摯(しんし)さは、共通しています。

と、分かり易く、的を射た解説である。
本書は「NHK俳句」の連載を一冊にまとめたもの。巻末には、掲載句の俳人紹介、俳人別索引、季語別索引も付されている。

髙柳克弘(たかやなぎ・かつひろ)1980年、静岡県生まれ。



           睡蓮、 撮影者・葛城綾呂↑

2017年7月31日月曜日

瀧春樹「炎天を突き抜け麒麟の首である」(『樹句集Ⅲ』より)・・



『樹句集Ⅲ-「樹」創刊25周年記念季語別アンソロジー』(書心社)、樹同人代表・太田一明「『樹』創刊二十五周年を祝す」は以下のように記している。

 「樹」にはいろいろの樹がある。松の木があれば杉の木のある。瀧主宰の指導方針は「自身の肉声で自身の今を書く」である。肉声は個性に他ならない。松に向かって杉になれとは言わない。松は松のまま育ってくれればいいのである。(中略)
 句を募集し始めてから五年が経った。作者の中にはこの世にいない方も居られる。残念でならない。

と。また、瀧春樹の「あとがき」には、傍題は「樹俳句歳時記」としたがとして、

 ただ一、四〇〇余句の季語と三、〇〇〇ばかりの句数では、歳時記というには拙く、同人による「季語別アンソロジー」と位置付けている。
 句の分類は、春、夏、秋、冬、新年、雜の部の他、「花の彩時記の部」を特別に加えた。理由は、今「樹」誌上で連載を続けている《花の彩時記》を念頭に置いた。
 このシリーズは、管見にして過去に比較的例句の少ないと思われるものや、手許の歳時記に単独で記載のない、主に山野草を中心に俳句でどこまで書き込めるかという試探と言えなくもない。

と記している。ところで、「樹(たちき)」俳句会歌というのがあるらしい。作詞は伊藤ミネ子「樹節だよ人生は」という題の歌で、(「浪花節だよ人生は」のリズムで)とある。面白いのは「樹句会」という部分をそれぞれ別の俳句会の名を入れて歌えば、すぐにも〇〇俳句会歌というのが出来る。お試しあれ。一番から三番まであるが、一、二番を以下に紹介しておこう。

  一 樹に入って素直に詠んだ
    少し褒められその気になった
    軽い気持ちが本気に化けて
    よせばいいのに俳句漬け
    樹句会は男の男の人生よ
 
  二 嘘も詠えと教えてくれた
    恋も詠えと教えてくれた
    そんな春樹に振り廻されて
    燃えた女がまたひとり
    樹句会は女の女の人生よ

誌を読んでいると指導はなかなか厳しそうだが、また、無類に楽しそうという印象である
ともあれ、雜の部立から一人一句を以下にあげておこう(雜・無季の部があるのに意外に雑の句が少ないので・・)。

      杏色
   束ね髪頬の丸味の杏色       渡辺ひでお
      銀波
   森よりいできて銀波にすいこまる  夏田風子
      鶚(ミサゴ)
   ゆったりと風のミサゴの鋭き眼   安行啓二
      落暉
   落暉が不気味な平和部厚く肉焼かれ 瀧 春樹

「樹」創刊25周年おめでとうございます。



  

2017年7月30日日曜日

近恵「夕焼が足りないジャムの瓶に蓋」(「豈」第137回東京句会)・・



 昨日は、隔月奇数月開催の「豈」第137回東京句会(於・白金台いきいきプラザ)だった。同人以外では、佐藤榮市さん、また、初めて、近惠さんが参加された。いつもの同人メンバーだけでなく、他の参加者があると句会がいきいきする。気楽に参加いただけると嬉しい。
 以下に一人一句を紹介する(サークル形式の投句は清記原稿をそのまま画像にして以下に挙げた。愚生の技術ではパソコンで打つのは全くできないので)。



               鈴木純一↑

  青枯れし少年のまま「気を付け」      川名つぎお
  ラベンダー水平に風吹き替わる       羽村美和子
  夏荻に触れて脈絡なく血族         近 恵
  本日は筋肉質な積乱雲           山本敏倖
  十年後われは留守なり沙羅の花       福田葉子
  ときどきはひまわりにある立ち眩み     杉本青三郎
  砂日傘眠くなる曲続きをり         堺谷真人
  夏の蝶追いかけ星になった村        早瀬恵子
  そのたびに成長とげし女郎蜘蛛       小湊こぎく
  眠るらしトルコ桔梗を言いながら      佐藤榮市
  空蝉の灼けておらんか空のうち       大井恒行

次回、第138回句会は、9月23日(土)午後1時~5時、於・白金台いきいきプラザ(地下鉄・白金台下車1分)。同人以外も参加自由、雑詠3句持参。
  


  
  

2017年7月28日金曜日

南陀楼綾繁『街を歩いて本のなかへ』(原書房)・・



 南陀楼綾繁(なんだろう・あやしげ)、1967年、島根県出雲市生まれ。その名前からして怪しい。何者だろうかと思う。その名前に惹かれて、数年前、「週刊読書人」に連載されていたコラムを楽しみにして読んでいた。愚生は、ことさら本好きというわけでもないが、昔、書店にいたせいか、出版業界のあれこれについて、すこしは興味がある。
「一箱古本市」は彼のアイデアらしい。一箱だから、開こうとおもえば、全国どこででも開ける(ただし、採算はわからない)。「・『本屋』の概念が変わる?」で、

 改めて思うのは、これだけネットが発達していても、本を必要としている人たちは確実にいるということだ。いやむしろネット時代が本の必要性を高めたと云えるかも知れない。
 これまで、本に関する発信は都市中心で、地方の本好きはそれを受け取る側だった。しかし、情報が均一化し、双方向のコミニュケーションが可能になったことから、地方でも本に関する活動を行う機運が生まれたのだ。

と言う。あるいはまた、「再販制」と「委託制」が、出版業界の売り上げが下がり続けているにもかかわらず出版点数は増えているとしてと指摘しているが、もっと言えば、とりわけ、新規参入の版元には、取次会社は次の新刊が出るまで、売り上げ金の支払いが保留される契約になっていたので、いきおい新刊を次々に出さざるを得ない、そうしなければ保留された売上金の回収ができないという構造的な問題をはらんでいたと思う(愚生がいた十数年前のことだから、今は少しは改善されているかもしれないが・・)。

 本書第3部「早稲田で読む」には、愚生の定年後に勤めた出版社が高田馬場にあったので、昼休みにはよく馬場坂上から早稲田方面に歩き、古本屋を覗いていた。平野書店や三楽書房、その2階にあった丸三文庫、坂を下って現世までが、昼食後の散歩コースだった。というわけで、その頃のことを鮮やかに思い出させてくれたのだ。
 そうそう、第二部「古い本あたらしい本」の章のなかに、田島和生『新興俳人の群像ー「京大俳句の」光と影』(思文閣)の書評があって、著者の「近所の入口に、『戦争が廊下の奥に立つてゐた 渡辺白泉』という手書きの紙が貼られていて、見るたびに気になっていた」という。そして、その結びは以下のように記されている。

 国家権力が思想や言葉を管理することが、多くの悲劇を生んだ。この一年ほどでじわじわとキナ臭くなっていることを考えると、悲劇がまた繰り返されるかもしれない。気がつけば、それは「廊下の奥に立つて」いるのではないか。
              (『サンデー毎日』二〇一五年四月五日)

挙げられていた白泉の句を孫引きして以下に記しておこう。

  銃後といふ不思議な町を丘で見た    白泉
  赤く青く黄いろく黒く戦死せり
  繃帯を巻かれ巨大な兵となる



  

2017年7月27日木曜日

岡田耕治「冷房の風来る弱いところへと」(「香天」通巻48号)・・



 「香天」(2017年7月・通巻第48号)は、先に岡田耕治が上梓した『日脚』の特集である。批評は、彼が十代からの同行者というべき久保純夫「真ん中にいて、隅っこ」、土井英一「句集『日脚』を拾い読む」が筆を執っている。半世紀の長い付き合いなので、気心もしれて、自ずから句の読みも深く、かつ、友情に満ちた、厳しい指摘も垣間見える評文だった。例えば、久保純夫は「内側の水増えてゆく箱眼鏡」「いくたびか小さく死ねリ花氷」「大南瓜もう半分は考えず」「せめぎ合うことの静かにいぼむしり」「戦前の一日終わる薄かな」「さまざまな記号たずさえ羽根蒲団」の句に対して、

 耕治のよさ(・・)は〈箱眼鏡〉も〈花氷〉にしても、そのモノに寄り添っている感覚が常に存在していることである。つまり実際の経験に裏打ちされているのが、読み手には容易に想像できるのである。それが句の世界をより深くしている。大南瓜の〈半分〉、〈静かに〉せめぎ合ういぼむしり。薄や羽蒲団にもあらたな像が表象されている。概念としての像を裏切る営為が、固有となる方法。一見平平凡凡に見内容が、実は思いの外強く逆転している像が見えるだろうか。線対称ではなく、点対称、あるいは非対称。岡田耕治は俳句形式の新たなる地平を展開しているのかもしれない。

    秋の空一番前の真ん中に

ここが岡田耕治の立ち位置なのだろう。そう、真ん中にいて、隅っこの感覚を横溢させること。

と述べ、土井英一は、

 この句集は四章に分かたれており、その節目節目は作句勝地うの画期と軌を一にしている。第一章は『花曜』編集長時代の八年間九九句。第二章は『光芒』同人時代の四年間八四句。第三章は『香天』宗匠時代の四年間一四四句。第四章は『香天』・ツイッター併用時代の二年間一三八句。(中略)
 期を追うごとに作句ペースが倍倍ゲームのように上がってきていることが読み取れる。今やエンジン全開といったところだろう。

と記している。その岡田耕治の全開ぶりは「香天」本号の作品発表がざっと150句ほどだろうか、多作である。その多作ぶりは、近年の久保純夫を髣髴とさせるが、ほぼ同レベルの句をじつに多く一度に読まされるのは、その力量に感心はしても、愚生のような年寄りには少しつらい。美味い佳汁を少しいただければけっこう満足するのだが・・・。ともあれ壮年の奮闘にはひたすら敬意を表するのみである。
そのほか、随想や一句鑑賞もあって、充実の一冊、充実の岡田耕治である。多芸多才の印象である。
 招待作品は、ふけとしこ。その人に献句した岡田耕治の句を最後に挙げておこう。

     ふけとしこさん
   夏の手帳カバーにペンを眠らせて       耕治






2017年7月26日水曜日

松本邦吉「逆光の昭和背高泡立草」(『かりぬひ抄』)・・



松本邦吉『かりぬひ抄』(ふらぬーる社)、自跋に、

 本書は、俳句を学びはじめた二〇〇一年から二〇一六年までの句の中から、菲才ながら独力で四二〇句を選んだ。句の構成は心緒にかなうほぼ制作の年代順とし一部の句に前書を付した。

とあり、扉裏には、オクタビオ・パス『弓と竪琴』の「われわれが詩にポエジーの存在を問うとき、しばしば、ポエジーと詩が勝手に混同されているのではなかろうか?」が献辞され、最初のぺージには自序として、

  春の野はまだかりぬひのひかりかな

の句が掲げ配されている。加えて装幀も自装であることをおもえば、本集のすべてに松本邦吉の目と手が行き届いていることに気付かされないわけにはいかない。自跋の「独力で四二〇句を選んだ」とあったことに、愚生は、ふと、高屋窓秋が「俳句は一人でするものものです」と言った言葉を思い出す。最後は俳句を作ることもまた孤独な作業であるという覚悟を述べたものだと、理解しているが、座の文学と言われようと、言われまいと創作に関わるということは、所詮、そういうものかも知れない。端整な句姿の句群である。
 詩人の松本邦吉が句歴に「二〇〇一年六月二十八日 突然、五七五のリズムに襲われる」と記すとき、他人にはうかがい知れない何かがあったのだろう。ともあれ、本集よりいくつかの句を以下に挙げておこう。
     
      湘南
  盗まれし鶴かもしれず春の雲
  チェーホフの話少女の息白し
  冷奴かたちくづしてしまひけり
  平成の皹皸の痛むなり
  いづこにも四門ありけり冬籠
  おぼろ夜の朧を抱くも抱かざるも
  鰯雲捨てがたきものなほあまた
  波ハミナ光ノカケラサングラス
  黙禱の果てなき秋の暑さかな
  
松本邦吉(まつもと・くによし)1949年、東京生まれ。




2017年7月24日月曜日

武藤幹「木下闇我らが無為を包みけり」(第169回遊句会)・・



 数ヶ月前から「遊句会」に参加させてもらっている。きっかけは、40年ほど以前に知り合ったシャンソン歌手の石原友夫から、先師の坂東孫太郎(源五郎とも。本名・輝一)が亡くなって3年半、俳句の専門家がいないので、俳句を作る仲間としてちょっと覗いてくれないかと、持ちかけられたからだ。それにしても、坂東孫太郎の没後、一周忌には遺句集『坂東孫太郎句集』(遊句会篇)を出し、その後も指導的な主宰者をおかず、句会が続けられて来たというのだから立派なものである(句会報も出されている)。
 参加してみて、「一杯やりながら、わいわいやりましょう」の遊句会が、実は、いまだに伝統的な句会の作法を維持していることに少し驚いたのである。それは、句会の方法が、現在、ほとんどの句会では、投句された句を清記したコピーが回ってきて、選句をするという具合に変ってきているのだが、この遊句会は、今なお一杯やりながら、各人三句を清記し、清記を回し、気に入った句をメモし、選句用紙に選句をし、披講し、句を選ばれた者は、名乗り、点盛りをしながら、「いただきました」と点盛りの発声をする。 このような市井の句会にこそ、俳句の伝統的な作法がいまだに生きているのだと少なからず感動したのだった。
 愚生はといえば、相変わらず、どこの句会に行っても低空飛行であることは言うをまたない。
 ともあれ、以下に当日、7月20日(木)、遊句会の一人一句を挙げておきたい。兼題は青柿・木下闇・晩夏だった。

  白球を吸い込みし空はや晩夏      渡辺 保
  引く波と浜の葦簀(よしず)や晩夏光  武藤 幹
  青柿の落ちてさずかる己が影     たなべきよみ
  青柿や逆上がりする子らたわわ     石原友夫
  青柿の葉に隠れるも処世かな     植松隆一郎
  大波を待つサーファーや晩夏光     石川耕治
  君を撒く白き航跡晩夏光        川島紘一
  シネマ終え六区に零(こぼ)るる晩夏光 橋本 明
  オトコ右オンナ左へ晩夏かな      山田浩明
  逆光の晩夏の富士のよごれ雪      石飛公也
  青柿や息子はやっと係長       中山よしこ
  晩夏この激しき雨を共に濡れ      大井恒行
  
以下は欠席投句より

  青柿や首を縦には振らぬ女(ひと)   林 桂子
  どぅうどぅると海泣きおりて晩夏かな  原島なほみ
  宿題に追われる子らの晩夏かな     加藤智也
     
因みに、次回の兼題は、盆踊り・無花果・秋めく、当季雑詠。於・たい乃屋。







2017年7月23日日曜日

榎本とし「耳福とは聞えて三たび時鳥」(『榎本とし遺句集』)・・



 榎本とし遺句集『筍飯』(榎本好宏編・航出版)、集名の由来は、疎開先の句会で母・榎本としが特選の賞としてもらった短冊、林浩平「帰り待つ筍飯に布かぶせ」の句に拠る。母は帰郷するまでこの句を床柱に掲げていたという。榎本好宏の父・錥男はアッツ島で玉砕していた。編者は、

 私がずっと思い込んでいたのは、「帰り待つ」は、帰ってくるはずのない父が、もしかして帰ってくるかも知れないと、そして「筍飯」は、私と弟二人のことで、「布かぶせ」はこの三人を「私が守っていますよ」の意だろうと、私も成長するに従い、そう思うようになっていた。しかし、母にはそのことについて、一度も問いただしたことはない。

と記している。そして、榎本好宏は大学を出、忙しい新聞社勤務で母とゆっくり話す機会がなかった。「杉」創刊の話を、母の俳句仲間の猪俣千代子から聞き、

 俳句から遠ざかっていた当私も、母と共通の話題が持てるからと思い、親子で一緒に「杉」に入会した。この句集に入集した作品は、「杉」に発表した作品の中から選んだ。また二十年余の作品を「杉」から抜き書きしてくれたのは、私の娘に臼井由布だった。母が生きていればきっと喜んでくれたに違いない。

とも述べている。母没後十年、句姿の美しい榎本としの遺句集である。以下にいくつかの句を挙げておきたい。

   奥深に金色寒き仏具店           とし
   桐の花越後に夕日見ず終ふ
   駅の名に小海日照雨(そばへ)のうまごやし
   五臓ややよみがへるやにつばくらめ
   道おしへゐておろそかに通られず
   牡蠣小屋を通り抜けして西日あり
   道聞くに種蒔く人を止めにけり
   七月や逆さ別れの子の忌くる



   

2017年7月22日土曜日

小津夜景「あたたかなたぶららさなり雨のふる」(『フラワーズ・カンフー』)


『第8回田中裕明賞』(ふらんす堂)↑


              小津夜景と柳人の兵頭全郎・右端に小池正博↑

 今夜は、四ッ谷三井ガーデンホテルのピッツアサルヴァドーレクオモ四ッ谷に於て、「小津夜景『フラワーズ・カンフー』を祝う会」が開催された。明日は第8回田中裕明の受賞式だという。
いわば前夜祭のようなものかも知れない。若い俳人・歌人・川柳人などが多く、熱気のある会だった。愚生もすでに参加者としてはあまり多くない年寄り組だろうな・・・と思った次第。「豈」同人では遠路ながら小池正博、また、橋本直、関悦史、次号より同人参加の佐藤りえに会った。
 ふらんす堂の『第8回田中裕明賞』の選考委員会の選考経過を読むと、第一位に岸本尚毅・四ッ谷龍が推していて、他の選考委員・小川軽舟、津川絵理子も評点が入っているので、小津夜景の受賞は順当であったろう。
 中でも小川軽舟は以下のようにのべていて納得だった。
 
 私も一句目の「あたたかなたぶららさなり雨のふる」というのは、読んだときにビックリしました。私もアルヴォ・ベルトのCDを昔買っていたので、その印象もありましたし、四ツ谷さん仰るように子規の句も思い出しました。子規の句は山本健吉『現代俳句』に一番最初に出てきたと思うんです。子規の句を踏まえながら、子規から始まる近代俳句とは別の世界が真っ白なところから始まるんだという、ある意味宣言のような句だと受け止めました。それが実に軽やかにさりげなく詠われていて。「たぶららさ」をひらがなで書いたところも上手いなと思いましたね。

 俳句界では久々の新星の登場という感じだが、それだけ、今後の小津夜景の歩み方に興味と期待が寄せられている。因みに、品切れだった『フラワーズ・カンフー』の三刷が決まったとふらんす堂の山岡有以子が報告し、是非、さらにお買い上げ下さいと挨拶宣伝していた。また、先日106歳で亡くなられた、存命であればお祝いの花束が贈られていたであろう、金原まさ子(長女・植田佳代)からの花も飾られていた(下の写真)。


                          
               故・金原まさ子(長女・上田佳代)よりの花↑

ともあれ、以下にいくつかの句を挙げておこう。

  とびらからくちびるまでの朧かな    夜景
  もがりぶえ殯(もがり)の恋をまさぐりに
  長き夜のmemento moriのmの襞
  ふるき世のみづにも触るるミトンあれ
  人はいさ蓮にしづかなみづばしら
  くらげみな廃墟とならむ夢のあと

小津夜景(おづ・やけい) 1973年、北海道生まれ。




2017年7月17日月曜日

逆井花鏡「昏睡の母呼び覚ませはたた神」(『万華鏡』)・・



 逆井花鏡『万華鏡』(雙峰書房・春月文庫)、句集名は次の句から、

   万華鏡の中の宇宙や春日さす     花鏡

 実は、この句集が送られてきたとき、とっさに「俳壇」7月号特集「つい口づさむ名句名吟ー韻律の魅力、俳句の愛誦性に迫る」のなかで、鳥居真里子がエッセイ「万華鏡と俳句」の末尾に、愚生の句「万華鏡寂しき鳥の手の夢ばかり」をそっと忍ばせてくれたので、てっきり、その特集を読んだ著者が手づから句集『万華鏡』を贈って下さったのだと思ったのだった(同時期だったので)。
 序の戸恒東人によると、航空会社に長年勤務したキャリアウーマン、かつ、多趣味の人らしい。描かれる句の情景にそれがさまざまに表現されている。それを以下のように戸恒東人は述べている。

 逆井花鏡さんは、小学二年生から清元を始め、現在清元と小唄の名取りであり、ほかに河東節三味線で歌舞伎座助六公演にも出演されるほどの実力者である。春月の新年会では、大学の同級生の尾上胡蝶さんと小唄・三味線の余興をして頂いているが、こうした邦楽の実力と素養が、三味線や歌舞伎を素材にした多くの優れた俳句作品の背景となっていることを上げなければなるまい。 

ともあれ、集中よりいくつかの句を以下に挙げておこう。

  ハンカチの木の花は片結びかも
  ふらここを漕げば思はぬ高さかな
  大いなる富士の全景初飛行
  雛祭芸妓の襟の抜き加減
  塔頭は拝観謝絶春時雨
  夢に見し母の若さよ赤のまま
  五月雨や立三味線の一の糸
  胸に貼るお岩の乳房盆芝居

逆井花鏡(さかい・かきょう)1946年、千葉県野田市生まれ。


   

2017年7月16日日曜日

菟原逸朗「春めくや物言ふ蛋白質に過ぎず」(「儒艮」21号より)・・



 「儒艮」(儒艮の会)は久保純夫の個人誌である。今号・21号には、評論として久保純夫が大阪俳句史研究会例会に「和田悟朗 人と作品」と題した講演からおこされた「和田悟朗 人と作品ー『和田悟朗全句集』のことなどー」が掲載されている。それには、和田悟朗の初学時代からはじまって晩年、『和田悟朗全句集』(飯塚書店)に関わる経過、そして、なによりも「儒艮」誌に、多く句を「疾走」として発表し、第二の開眼をしたというあたりは実に興味深いものがあった。その過程に以下のように記した部分がある。和田悟朗を見舞った折りのこと、

 地球には水が多すぎる――人間にも 
 メロンの水は命の水・最期の水

 メロンの水(果汁)を今生の終りに口にしたいというのは本人が希望した。その場に居合わせた筆者たちは、「臨終に叶わなくても、お供えしますよ。」と言い合った。その折の話を種にした俳句であった。

ブログタイトルにした菟原逸朗の句に和田悟朗は、俳句作家としての出発点があったという。菟原逸郎とは、たぶん後に「渦」で歩みを共にする西村逸朗のことであろう。
あと一つは、土井英一の「『四季の苑』漫遊(16) 純夫句集『四照花亭日乗』斜め勝手読み」が面白く、読ませる。久保純夫の盟友だけあって、久保純夫を語って的を外さない。

 この男の体内にはどうも性愛、というより性そのものに関する妄念がとぐろを巻いて蹲っているらしく、作品の大半はその妄念への偏執・愛着・賛美・肯定、あるいは妄念との格闘・妥協・共存その他の産物である。その表出は多くばあい隠喩であるが時にあられもない表現をとることもある。私はそういう傾向がどうも生理的に受付けにくい体質に生まれついているらしく、執拗に繰り返し表現される性の妄念に正直辟易している。(中略)

 『久保純夫作品D/B』13000句のうち『花曜』時代34年の作品はたかだか1600句に満たない。実に圧倒的大多数は『光芒』以来のここ十年余の作なのである。この間、妻のるみ子さんを亡くした。亡くしたあと純夫は一年ほど泣き通した。泣いて泣いて泣きじゃくった。人目を憚らず泣いた。体中の水分が抜けたかのごとくに体が縮んだ。が、不思議なことに創作意欲だけは失われなかった。(中略)第八句集『美しき死を真ん中の刹那あるいは永遠』で心の区切りをつけたあとは、もうどうにも止まらない勢いで噴火するようになり、勢い余って若い奥さんまで娶ってしまった。
 
 その他、今号では久保純夫『四照花亭日乗』から、6人が30句選をしている。一句づつを挙げたい。( )内は選者。

  愛も恋も掬えぬ穴開き玉杓子    (上森敦代)
  愛人のリトマス試験紙になって   (久保 彩)
  野菜屑溜ればミネストローネかな   (瀬川照子)
  抽斗の出し入れに鳴る箪笥かな    (妹尾 健)
  好きにしていいよと輪ゴム手渡され  (曾根 毅)
  少女ありモップを股に挟みたる    (原 知子) 
 


2017年7月14日金曜日

長谷川つとむ「春の夢きものどころに集れり」(「黎明俳壇」第一号より)・・



「黎明俳壇」第一号(黎明書房・定価500円)、第一号には第1回~3回までの投句による募集結果、入選句が発表・掲載されている。
表4の案内には、第4回~6回まで隔月の募集期間と発表が掲載されている(当面の第4回は7月31日までが募集期間で、発表が9月1日)。投句料は無料。投句先は黎明書房内・黎明俳壇 係宛、選者は黎明書房社長にして俳人である武馬久仁裕。
 ブログタイトルの句の作者・長谷川つとむは102歳(1915年6月18日生まれ)。本誌コラムには「102歳の健康法~人生を楽しく生きる~」とあって、その秘訣が三つ書かれていて、その③には、

  いわゆる〈寝たきり〉になるのがイヤで杖をついてゆっくり歩いています。温泉好きですのでデイサービスに一週間に二度送り迎え付きで通っています。

とある。総ページは24ページながらカラーで読み易く、エッセイも永井江美子「俳句の森散歩」、医学博士・古井倫士「いにしえの頭痛診断」、水戸志保「近代と俳句①-文学者達の俳句観」など充実。武馬久仁裕は絵手紙ふうの「選者詠」、「添削講座」、「『野ざらし紀行』の跡を、名古屋に訪ねよう」、「漢字で読む俳句の楽しさ」など、八面六臂活躍ぶりである。今のところ名古屋地方で、シニア限定の感じであるが、「刊行のご挨拶」に、

 小社の脳トレーニング書の読者のご要望に応え、昨年12月に、シニア対象の黎明俳壇を開設いたしました。

とあった。その脳トレーニング研究会編で先日、本ブログで紹介した『クイズで覚える日本の 二十四節気&七十二候』(黎明書房・1500円プラス税)が出たばかりだ。
 因みに、「黎明俳壇」第一回から第3回までの特選句と選者詠各一句を以下に紹介しておこう。

  遠き日と同じ色した毛糸編む   安城市 沓名美津江 (第1回)
  生れてからずっと戦争ひなまつり 碧南市 飯伏テミ (第2回)
  桜吹雪分け校門の女学生     安城市 杉浦文子 (第3回)
  光年の先の私の秋桜       選者詠「秋」 武馬久仁裕

いずれも、詳細は黎明書房ホームページをご覧下さい・・・