2017年2月25日土曜日

田中不鳴「子の声にためらいはなし鬼は外」(『傘壽』)・・・



田中不鳴(たなか・ふめい)『傘壽』(2013年2月刊・私家版)、今では句歴が浅いか長いかに関わらず句集を出したり、また、出せる時代になったが、田中不鳴存命の頃はまだまだそういう時代ではなかった。事情は「あとがき」に、
 
 師の見学玄は自家句集について、生前出すものではない、没後誰かの手で編まれるのが、本当だと信じていた人だったが、世の趨勢に抗し難く『莫逆』の名の句集をだした。私はそれに倣ったわけではないが、齢八十にして句集を出すことにした。(中略)
 脊髄狭窄症という難病にかかり、入院一年、手術二回を受けたが、手が上がらない、回せない、一人では歩けないという有様で、身体障害者となり、字も満足に書けない状態になったが、その後のリハビリで、下手ながら字が書けるようになった。それでようやく資料を整えた。考えてみたら、七十九歳も過ぎるので、それなら自ら傘寿を祝うこととして『傘寿』の句集名にした。

その田中不鳴は二年ほど前に81歳で亡くなった。不鳴は昭和8年2月14日、東京生まれ、本名博正。長期にわたり見学玄「五季」の編集長を務めた。職場であった読売広告社俳句会は最後まで続けたという。句集『傘寿』には、旅先のエッセイ「日本ところどころ」と「芭蕉の推敲」論が収録されている。
ともあれ、平明諧謔味のある句や愚生の好みの句を以下にいくつか挙げておこう。

  竹輪一本穴まで食べて冬に入る
  日本中逃げるつもりで羽抜鶏
  浴衣着る今日の終りの陽を浴びて
  凩や女の爪の痛い夜
  梅雨の雲極楽坂はゆるい坂
  美しき嘘が出る唇息白し
  春の星きれいな音をたてる水
  笑いたくなるほど胡瓜曲っており
  こんな日だきっと出て来る雪女
  墓洗うだんだん力入れだして
  鬼は外静まり返ってしまう町
  炎天の一本道曲ろうともしない
  一日じゅう自分で揺れて猫じゃらし



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