2017年6月2日金曜日

安井浩司「句の兄ら一牛鳴地でのたうてり」(『烏律律』)・・



安井浩司『烏律律』(沖積舎)、句数はまたまた一千句をはるかに越す。「あとがき」には、

 本集は、前著『宇宙開』(平成二十六年刊)を継ぐかたちで生まれたものである。前著をもって「句篇」(全)の終結を願望していたにも拘わらず、その後、わずか三年で姿を現わすこととなった。敢えて申せば、その”烏律律”としての無限のポェトリーの湧出を如何ともしがたく、ここに自然のままに”混沌”の一巻を落掌する外はなかったことである。俳句形式の原理を君達に任せ、ただ湧くがままに在る外ないだろうと、今日の自分を信ずるだけだ。

とあった。「烏律律」(うりつりつ)・・、どうやら道元の語録にある「一対眼精烏律律」の訳から推測すると、この前にある「以前鼻孔大頭垂」とともに、いくら悟りをひらいても、従前とおり鼻は大きな顔に垂れ、「両眼は変わらず黒々としている」ということらしい。とはいえ一千句以上を読むのは愚生には、辞書類を片手にしなければ、その意味さえ不明の句が多い。しかし、言葉ひとつひとつが難しい漢字というわけではなく、むしろ普通の漢字なのであるが、造語(慣用句)めいたものも多く(永田耕衣ゆづり?か・・)、根気がいる。にもかかわらず読者は、退屈どころか、句に引き込まれていくのは筆力と詩想のなせるわざというべきか。
様々に句を読む醍醐味、句を読む楽しみ、ブログタイトルにした「句の兄ら」のとおり、幾人もの先達俳人を想像させる句も多く、渉猟の興味は尽きない。
 また、安井浩司の誕生日は、次の句にあるとおり。

     二月二十九日生
  似たる日の生死微苦笑久米三汀
       「微苦笑」は久米正雄造語

だから、今年八十一歳になるという安井浩司は、うるうの年に限れば、まだ二十歳を超えたばかりだ。世間でいう傘寿越えの安井浩司にとってのこれより先の詩の道行は、敬愛してやまない西脇順三郎と永田耕衣の二人くらいになったかもしれない。もはや誰追う人も無き一人旅の様相である。
 引用したい句はいくらでもあるが、愚生の好みによるいくつかの句に限らせてもらおう。

   天皿(あまざら)は自ずと回る寒の果て    浩司
   幻のむらさきの童(こ)が吹雪なか
   似我蜂が飛びくる唇(くち)の酒舐めに
   楓紅葉の土中まで血を降ろすのか
   春塵校庭三鬼がふらり現われる
   耕衣絵の柘榴の戦意感じたり  
   浜荻や天語(あまこと)歌の聴こえつつ
   雪の家叫ぶや老児生まれたと
   献体の老妻剖(さ)かる叫びいま
   子宮みな落とし行くのか野の女兵
   詩父逝けば山と海辺の墓ふたつ
       初重をひらけば獏の睾丸よ
   夏草や井戸は底息吐くばかり
   石墓のまま孕みおり永久の妻
   いちめんに宇宙の静脈秋初(あきは)
   行く雁にわが涙して人間(じんかん)や 




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