2017年9月29日金曜日

志賀康「千秋や風を問う葉と葉を問う風と」(『主根鑑』)・・



 志賀康第4句集『主根鑑』(文學の森)、著者「あとがき」に言う。

 もともとわたしの俳句は、上へ上へと繁りゆく樹冠の盛大さはともかく、地の深さに隠然と、しかししかと湛えられた存在の気に、時を経てたどりゆくものへの想いを強く持っていたように思う。本集を『主根鑑』(おもねかがみ)と名付けたのも、地中まっすぐに伸びてゆく一本の根に託したものの顕われであっただろう。いまはただ、草木の根や水底の魚と息づきを共にすることを、ささやかな希みとしていきたい。

幺』から4年ほどしか経ていないとはいえ、句集ごとに世界を拡げてきた志賀康の句業を思えば、待望された句集である。収録句は320句、自身も、

 前句集里程の前方に多少なりとも歩み出ることができたのではないかという思いを確かめつつ、この三百二十余句をもって、せめて慰めとするほかはあるまい。


 と自負を込めて述べている。
 愚生は「未定」と「豈」の創刊号同人でもあるが、一時期、事情在って、その双方の誌を辞して、全くの無所属だった時がある。志賀康は以後の「未定」に同人となり、支え、そして「LOTUS」を創刊するにいたった。その未定もほぼ40年になろうとする先般、ついに多行形式のみの俳句を標榜するに至った直後に解散してしまった。さびしいことであるが、これが時の流れというものだろう。「豈」と「未定」は、よく比較されたが、内容は全くことなる兄弟誌のようで、同時代を閲してきたことにちがいはない。「豈」は節目節目で変節をしてきたが、「未定」にあった俳句に対する先鋭な在りようを具現しているのは、志賀康や酒巻英一郎、豊口陽子らが生んだ「LOTUS」誌であろう。
 ともあれ、本集より、いささかの句を以下に挙げておきたい。

   山鼠らも神口を聞く衆生なれ       康
   柳絮とぶ汝が頭の中を恐れずに
   空木咲いてされば化身の音の雨
   魂と魄空と海へと帰るのか
   螵蛸(おおじがふぐり)に晴れの唄びと来つつあり
   幼年の悪夢もかくや花筏
   鈴虫にいつも老いたる雨の神
   利き腕の意識兆さん風の葦
   熊の友あり夢では熊に襲われて
   父は酔うて端ある地図を認めない
   菜の花の口から風の無言歌を
   根の族の空位に叫べ秋の石

志賀康(しが・やすし)1944年、仙台市生まれ。装幀は、童話作家であり、俳人だった巌谷小波の孫の巌谷純介。




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