2017年11月12日日曜日

百瀬石涛子「死者の衣を分配の列寒月光」(『季語体系の背景』より)・・



 宮坂静生『季語体系の背景』(岩波書店)、「地貌季語探訪」の副題が示すように、宮坂静生が推し進めてきた地貌季語とはなにか?という命題に、現地での実作を踏まえて探求してきた一本である。が、愚生がもっとも感銘を受けたのは、第一部の「忘れられた戦後ー地貌への目覚め」である。この部があることで、宮坂静生が求めてきた根源にあるものが何であるかを明示できている。改めて宮坂静生は60年安保世代だったのだということを思い知らされた。なかでも第3章「シベリア抑留譚ーもうひとつの戦後体験」では、香月泰男、石原吉郎に触れられた部分は何より印象的だった。愚生は残念ながら行きたいと思いながら香月泰男記念館にはいまだに行ってないが、若き日、香月泰男,無言館についての連作を発表したことがあるし、石原吉郎には、句作上でもかなり意識した時期がある。この章では過日、恵送されていた百瀬石涛子『俘虜語り』の句も多く引用されていた(愚生は何も書けずに日月を過ごした)。例えば、

   収容所(ラーゲリ)の私物接収霏々と雪   石涛子(せきとうし)
   伐採のノルマの難き白夜の地
   哭く声は虜囚の声か冬に入る
   凍てし樹皮刻み煙草の日々なりし
   大八車の遺体白夜に搬送す
   柩なき遺骸を覆ふ班雪土
   秋深し愚鈍を以て我卒寿




また、満蒙開拓民を詠んだ宮坂静生の句に「満州より帰途、妻子足手まとひとなりて、自害さす」の前書きを付した、

  白萩や妻子自害の墓碑ばかり    静生

の句があり、痛ましい。そして、本題である地貌季語について著者は、

  (前略)季節が等分なのは地球の北緯、南緯ともに三〇~四〇度の地域に限られている。地軸の傾きによる日照の違いが、気温の変化をもたらすのである。日本列島では、北緯三〇度は鹿児島県屋久島と中之島の間、四〇度は秋田県の男鹿(おが)半島から岩手県境の八幡平(はちまんたい)を結ぶ線上である。(「まえがき」)

と述べ、本著でも秋田県以北、南は沖縄の地貌季語の豊かさを探訪し、触れた部分がより魅力的である。さらに、その地貌の探求の過程において、以下のように「あとがき」記していることは、まさに本質的なことだと思われる。

 私は地貌季語が使われる現場に立つ体験を重ねながら、地域限定語はわかりにくく拡がりがないという問題に絶えずぶつかった。そこで納得できたのは、表現の究極の目的は端的に広く知られるこのと普遍性が問題なのではないということである。一つ一つの地貌季語の持つ特異性への理解を深める愛情こそが新しさを見出す喜びに繋がるということではないか。

宮坂静生(みやさか・しずお)1937年、長野県生まれ。







   

1 件のコメント:

  1. 百瀬石涛子さんのファンです。
    季語体系の背景、詠んで見ます。

    返信削除