2017年12月12日火曜日

筑紫磐井「秋思より具象が大事虚子の説」(「俳句界」12月号)・・



「俳句界」12月号は、特集「平成俳句検証」で、「平成を代表する句、平成を代表する俳人」のアンケートを主要な俳人に出して、その結果をまとめ、論考「平成とは俳句にとってどんな時代だったのか?」を岸本尚毅と渡辺誠一郎が執筆している。平成は31年4月で終わることに決まった。その中で、筑紫磐井は、平成を代表する句として、

 ビル、がく、ずれて、ゆくな、ん、てきれ、いき、れ  なかはられいこ

を挙げて、

9.11テロをこんな美しく衝撃的に詠んだ句はないだろう。この状況は現在も続いている。(作者は川柳作家)

とコメントし、平成を代表する俳人に、攝津幸彦を挙げ、「昭和のレトロな作家と思われているが、平成八年になくなった。むしろ平成俳句に影響を与えている」と記している。
筑紫磐井つながりで、もう一誌を紹介すると、「翔臨」第90号に、「山本健吉の『挨拶と滑稽』-隠者の性格」と題する論考を寄稿し、竹中宏をして以下のように語らしめている。



 山本健吉は、折口の文学観を、どのように咀嚼したのであろう。そのことに無頓着であって、俳人は山本健吉をどこまで理解したことになるのか。筑紫氏の文章から、そう問われる思いだ。(「地水火風」)

それは、筑紫磐井が、同論のなかで折口信夫「隠者文学」(昭和12年)と山本健吉「挨拶と滑稽」(昭和21・22年)の記述を比較し一覧表にして、類似性を指摘し

 「挨拶と滑稽」は恩師と同じ道をたどって俳句が、芭蕉が、肯定されている。そしてその根拠とは、「隠者文学」であるという理由なのである。現代の生々しい社会ではなく、一歩退いた、市井で風雅を楽しむ隠居たちの文学であるというのである。これでは、賢明な桑原の「第二芸術」に反論など出来るわけがない。「第二芸術」に対峙するためには致命的な欠点を抱えていたのである。
 健吉の「隠者文学」性は以後も、古典的な高踏趣味として続き(健吉の季語論や『基本季語500選』によく現れている)、晩年には軽み論で決定的に俳壇や中村草田男と対立するのである。

 と結んでいる。ところで、先に上げた平成を代表する、なかはられいこの句は、他に橋本直も挙げていて、そのコメントには「具体的には『9・11』の映像を喚起させつつ、当の言語表現をふくめ様々なものの崩れる時代そのものをあらわしているように見える」とある。なかはられいこは川柳作家とあるが、「俳句界」12月号には「川柳ーこの鮮烈なる詩型よ」として鶴彬と時実新子の特集もある。時代を先鋭に撃っているのは、いつの時代も詩歌であった。ならば俳句もそうであろう。ようやく俳句にも若い世代で俳句史に新しいエポックを刻む人たちが登場してきているように思う。中でも今年出版された福田若之『自生地』はそれを象徴しているように思えた。

   フジヤマとサクラの国の餓死ニュース  鶴 彬 
   平成七年一月十七日 裂ける      時実新子






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