2018年2月8日木曜日

青倉人士「手錠が光っているだけの昭和だった」(「俳句人」第682号)・・・



「俳句人」第682号(2018年2月・新俳句人連盟)の特集は「青倉人士追悼」である。愚生はお会いしたことはないが、その略歴には、おおよそ、

  1927(昭和2)年4月12日、京都府福知山市生まれ。前号は月海。
  1949年7月、定員法に基づく国鉄の人員整理(レッドパージ)で職場を追われる。50年6月、京都の自由労働組合に入会。労組常任として生活保護を担当。俳句は、連盟横村庄一郎の紹介で連盟入会。50年10月、井沢唯夫と「京都俳句人」第5号の共同編集者となる。58年京都俳句作家協会の設立に協力。2014年より新俳句人連盟顧問。京都支部報「いき」発行人。「青い地球」「あまのがわ」「二弦」「未完現実」各同人。2002年~2005年口語俳句協会事務局長を務める。2017年10月24日逝去、享年90。

 とあった。
 追悼文は、伊藤哲英「青倉人士さん追悼 俳句に捧げた人生」、石川貞夫「非戦つらぬく一本の棒ー青倉人士顧問を偲ぶ」、鈴木映「青倉人士 追悼 有難う青倉さん」でいずれも熱い。以下にいくつかの句を挙げておきたい。

   うすっぺらい紙に印一つそして職場追われる    人士
   朝から影を踏んで俺の影が踏めない
   階段一つ一つおりる 母がここから落ちた
   高齢者という見捨てられた列に並んだ
   ごはんがこぼれた茶わんの大きさが見えない





 追悼繋がりと言っては実に失礼恐縮の極みだが、あと一人、是非、「追悼 平松彌榮子」(「小熊座」2018年2月号)を紹介したい。
 追悼文は、我妻民雄「霜葉は二月の花より紅なり」、増田陽一「平松彌榮子さんの『魂の木・転生と再生」。その我妻民雄の追悼文の末尾に、

  『雲の小舟』は第十五回の鬣俳句賞を受賞した。その推薦の辞に曰く「派手なパフォーマンスよりも、専一的な求心的な営為の継続を知らしめた句集」とある。世の中に具眼の士があって、霜葉に日が当った。 合掌

とあった。また、増田陽一は、

 何時も死と転生の匂がしたけれど、不思議に暗くない。彌榮子さんは笑顔も声もいつも朗らかで居られた。『足萎えも三年経たれば浮寝鳥』などと、こちらも微笑したくなる。

と記している。「馬酔木」で波郷と句座を同じくし、「鷹」で飯島晴子と競い並びたち、「小熊座」では鬼房・ムツオ両主宰の信頼あつく最後まで巻頭の定座を譲らなかった、という。

   百歳のわれを見てゐる朧の木      彌榮子
   ながらへてきのふのふゆるゆすらうめ
   黄砂降る肉体に肉ありもせず
   木犀日和雲の小舟は金の縁
   肋より光の漏れて冬の暮

平松彌榮子、享年90。



          撮影・葛城綾呂↑



0 件のコメント:

コメントを投稿