2018年4月4日水曜日

田中裕明「本読まぬ指さびしかり龍の玉」(「静かな場所」NO.20より)・・



「静かな場所」NO.20の「田中裕明一句鑑賞」のところに森賀まりは以下のように記している。

 本読まぬ指さびしかり龍の玉  (「ゆう」二〇〇五年一月号)
 
 (前略)私が手に取るのはたいてい文庫本だが、出かける前に「読み本を探す」というのも田中の残した習慣の一つだ。文庫本には栞が入っていることがある。新潮文庫の紐というわけではない。電車の切符だったり、ポストイットだったり、紙切れのようなものだ。その紙切れの中で確率が高いのが箸袋で、蕎麦屋だったり駅弁だったり、先日の山口瞳は「新幹線グルメ」だった。虚子の「龍の玉深く蔵ずといふことを」は田中の愛誦句だった。崩れそうな「本読まぬ」を龍の玉の碧色が支えていると思う。

 身近にいた人ならではの、田中裕明の姿を彷彿とさせる鑑賞である。愚生もまた栞をそういう風によく使ったが、箸袋というのは特にいい。ときにはそこに句が認められていたのではないだろうか。
 また、本誌には、愚生が楽しみにしている連載、青木亮人「はるかな帰郷(14)-田中裕明の『詩情』についてー」がある。今回も田中裕明、森澄雄、坪内稔典を比較してよく検討がなされている。愚生は坪内稔典を先行者の大事な一人として見続けてきたところがあるが、極端に言えば、森澄雄は「龍太・澄雄の時代だ」といわゆる俳壇で喧伝されているときでさえ眼中の俳人ではなかった。圧倒的に龍太だった。それは坪内稔典が1960年代末から70年代、80年代をあきらかに愚生ら当時の若い俳人たちを領導していたと思うのだが、そして、その時に提出されていた表現における課題は今もなお解決されることなしに存在している。あたかも永久革命のように・・。愚生が青木亮人の指摘にとりわけ関心と興味をいだいたのは、以下の結びの部分である。愚生には見えなかった部分である。

 この点坪内と森澄雄は「主体」を信じる点で、つまり誰もが共有しうる理念や伝統、文化に対する肯定、否定いずれにせよ、それらを前提としつつ判断を下す「主体」が強く保たれている点において、意外に近い俳人たちではなかったか。

  うふふっふうふふうふふっ乳捨てる    稔典
         (句集『わが街』、一九八〇年)
 意味や理念、俳句らしさが「不在」であることを露悪的に強調した、何事かへのアンチ・テーゼ。このような坪内句と、例えば森澄雄の「秋の淡海かすみ誰にもたよりせず」は対極の姿をとりつつ、その「主体」はコインの裏表のように近しい。しかし、戦後生まれの田中裕明はどちらでもなかった。

今後も、戦後俳句の見取り図を見事に剥訣

して見せる青木亮人の筆さばきに注目していきたい。ともあれ、招待作家と各同人の一人一句を以下に挙げておきたい。

   羽ばたいて寒暁の鳥光生む     山根真矢
   きいろも白もつかねゆく花野かな  森賀まり
   出世間たとへば恵那の青瓢     和田 悠
   わからなくなり水仙のやうに立つ 対中いずみ
   発音をなほされてゐるみむらさき  満田春日 



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